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vol.18
 

<雨の木の下で>

講演会「北村太郎の会」の感想 2000.11.15 桐田真輔

2000年11月12日、横浜で行われた講演会「北村太郎の会」に行く。横浜大さん橋国際客船ターミナルの4階ホール。建物はもう海にせり出していて、見晴らしがとてもいい。演目は、松田幸雄さんの「北村太郎と「荒地」」という講演。元府立三商の同級生の方々の壇上での懇談。吉田文憲さんの「戦後詩人北村太郎」という講演。

松田さんの講演では、松田さんと戦後の「荒地」メンバーとの親しい交流の様子があれこれと語られた。田村隆一、鮎川信夫、片桐雅夫、黒田三郎、といった名前の他に、鈴木喜緑(若い頃に友人とあれこれ話題にした詩人だった)や、衣更着信など、後追いだが、かって「荒地詩集」その他関連書を読んだものには、懐かしい詩人たちの名前がでてきて、たのしく伺った。

府立三中の悪童たち(撮影・コメント・関)府立三中の悪童たち。向かって左から加島祥造氏、北村太郎の双子の弟、松村さん。お友達。

ついで、北村太郎の双子の弟である松村さんを交えた元府立三商同窓生の方々が、懇談形式で当時の思い出話を語られた。この時期は北村太郎の戦前期にあたるので、松田さんの講演と重複せずに、ちょうどいい感じだ。トピックは加島祥造さんが、飛び入りに近い形で参加されたこと。加島さんは、近年では老子思想に接近して、精力的に執筆活動をされているようだが、やはり同じ府立三商のご出身だったとは、はじめて知った。

加島さんは、今回、府立三商時代の卒業アルバムを、会のためにと持参されたのだったが、偶然昔の同窓生との対面となったという経緯も面白い。そのアルバムを拝見できたのも予期せぬおまけとなった。同窓生の方々は、もう七十代半ばになられると思われるのだが、皆さんかくしゃくとされていて、つっこみやおとぼけにも味がある。聴いていて特に興味深かったのは、どうも当時の校長先生の独自の方針によると思われる、元府立三商という学校の自由主義的な校風にまつわるお話。公立学校ながら、相当の裁量権が校長という職分にあったのだろう。今ではちょっと考えられない。

北村太郎1「(撮影・コメント・関)写真をクリックすると大きくなります。横浜港の氷川丸の前にて。向かって右から、田村隆一、加島祥造、北村太郎。画像は、加島さんが会場に持参された写真を撮影したもの。加島さんのご家族のお話では、この写真は、3人が50歳代のころ、文芸春秋の同級生交歓という欄に掲載されたものだそうです。加島さんはこの氷川丸でアメリカ留学をされ、そのときは北村さんが見送りに来てくれたということです。」

吉田文憲さんは、北村太郎における「わたくし」の場所、というテーマで、「五月闇」(詩集『眠りの祈り』所収)と、「こちら側」(詩集『笑いの成功』所収)という作品を例にだされて、それらの作品に表現されている、北村太郎の不思議な時間意識(直線でもなく、円環でもないような)の謎について解説された。私自身は怠惰でろくに調べていないのだが、北村太郎の時間意識には、ベルグソンの影響というのが、かなりあるのでは、とは、以前からぼんやりと思っていることだった。このことに関連して、私の知っている限りウェブで言及されているのは、河津聖恵さんだ(「rain tree」 vol.12所収詩と時間(1)(2)参照)。聴衆のひとりの勝手な思いだが、機会があれば、こういう会でも、河津さんの「北村太郎と時間」についての講演が聴いてみたいなあと。

講演会の聴衆は四十人程度だっただろうか。そのうち、会主催の方たちの先導で、二十数名が、懇親会風の飲食会に参加。私は隅っこで関富士子さんと話しこんでいたが、隣席されたた詩誌「hotel」の根本明さんや、会の企画者のひとり宮野一世さんとすこしお話しできた。私の管理させてもらっている「あざみ書房」のHPの詩誌紹介コーナーに、「hotel」の掲載承諾を頂いたのも収穫。。

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mail桐田真輔 HP:KIKIHOUSE(個人) HP:あざみ書房(管理)

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宮野一世さんからお知らせ

北村太郎の会


日時11月12日(日)14時開場(講演14時半〜16時半)
場所 横浜大さん橋国際客船ターミナル4Fホール
(関内駅から徒歩15分。山下公園にほど近い。公園通りの、
水上警察のある角を海にむかって大桟橋埠頭にのびる道の右手。)

ゲスト 松田幸雄さん、府立三商同級生の方々、吉田文憲さん。
それぞれ「北村太郎と「荒地」」、「三商時代の松村君」、
「戦後詩人北村太郎」という題で講演。
会費 1000円
問い合わせ先 03-3292-0350(世話人 北冬舎内 柳下和久)
当日連絡先 090-4922-4887





小さくて、濃い朗読会
駿河昌樹「モウ戻リノキカナイモノ。ソレトトモニ行ケ。行ケ。」の感想


2000.11.15 桐田真輔

 2000年11月10日、夜8時からhowl the bar青山で行われた詩の朗読会「モウ戻リノキカナイモノ。ソレトトモニ行ケ。行ケ」に行く。この催しはhowl poetery booksの一冊として出版された『駿河昌樹詩集』と詩誌「SPITTOON」の発刊記念朗読会。

清水鱗造
清水鱗造
 駿河昌樹さんからメールで案内をいただいたのは一月位前のことで、詩集出版記念に、なじみのひとやBT(ブービー・トラップ。清水鱗造さんが主宰されている詩誌)の面々に声をかけて、朗読会も兼ねた小さな集まりを予定している、というものだった。ついては当日朗読にも参加しないか、とも言われ、最初それだけは、、と固辞したのだったが、さる経緯を経て(^^;、さる人(KOKOさん)が私の詩を代読してくれることになった。そういうわけで、私は皆さんの朗読を酔っぱらって聞いているつもりで出かけたのだった。

 会場で早めにKOKOさんと待ち合わせたこともあって、また早めにお酒を入れておこうという魂胆もあって、一番乗りで青山のハウルのビルに辿り着く。上階のカフェ「詩人の血」で呑んでいて、今回の会場を提供してくれた藤本真樹さん(ハウルのオーナーで、グラフィックデザイナーで『駿河昌樹詩集』、「SPITTOON」の制作者。この一連の企画の実質的な仕掛け人の方だと思う)と、やがて来たKOKOさんや、長尾高弘さんもまじえて、少しよもやま話ができた。

駿河昌樹
駿河昌樹
 8時過ぎからはじまった会は、冒頭の藤本さんの挨拶(小詩集『駿河昌樹詩集』の制作に至った経緯など)に続き、駿河さんのアルトナン・アルトー(仏の詩人、演劇人。1896~1948)とフランソワ・ヴィヨン(仏の詩人。1431~?)の詩の朗読で始まった。まず駿河さんが自身でされた翻訳を読み、次にフランス語の原文が朗々と朗読される。『神経計測器』「神経の秤り」)より採録されたという、アルトーの文章の内容は、いわゆる「ブンガク」や「ブンガクシャ」(もっというと人間的な意味とか価値全般について)への嫌悪と呪詛に満ちたもので、ヴィヨンの詩は、墓碑銘の「首吊りのバラード」。資料が配られたとき、一瞬カルチャーセンターかなにかで、講義を受けているような気になったが、なんというか、最初から強烈な皮肉と、朗読の言葉のもつ表情の豊かさ(過激さ(アルトー)や音楽性(ヴィヨン))をそれとなく提示する、という、駿河さん流の(詩法にも通じる)凝った仕掛けだと思った。続いて駿河さんの自作詩の朗読。

青木栄瞳
青木栄瞳
 さてそれから、関富士子さん(詩集『ピクニック』から)、清水鱗造さん(ホームページ掲載の「週刊詩」シリーズから)、長尾高弘さん(詩集『頭の名前』から)、青木栄瞳さんの朗読(ご持参のトライアングルの鳴り物入り)が続く。青木さんの朗読された詩の一編は、この催しのために制作されたという「滑空する動物たち 無制限のギリアム宇宙」という詩。「ナショナル・ジオグラフィック」『テリー・ギリアム』(フィルム・アート社刊)という本からの引用多数のあるこの作品、青木さんにかかると本の目次も詩になってしまうのだなあ、という、いつもながらの自在さに感じいった。

長尾高弘
長尾高弘
 ワインがふるまわれて休憩。須永紀子さん(個人詩誌「雨期」より)の朗読、詩誌「はちょう」吉田多雅子さんの朗読。ついで、KOKOさんが私の詩(未掲載)を読んでくれて、急遽、駿河さんのご指名で、自作朗読はしないという私に似た見識?の持ち主である布村浩一さんの詩(詩集『ぼくのお城』より)を、kokoさんが代読。詩誌「ミて」の同人坂輪綾子さんの朗読。

 ここで駿河さんが、会場で通して朗読を聴いておられた藤本さんと、佐伯誠さん(広範な教養趣味をお持ちという駿河さんのお知り合い)に、朗読会の感想を伺う。佐伯さんが、それぞれの詩の傾向がまったく違うのが興味深かったというような趣旨のことを言われてたのが、私も同感で印象に残った。ついで駿河さんが、ご自身の詩論の原稿(はじめの部分)を朗読。現代では「詩」をどんな言葉で定義するのが妥当か、というようなところから展開していく論旨だったと記憶するが、この論考はいつか目で読める機会があるかもしれない。時間はどんどん過ぎて行き、これからマラルメについての、、、と駿河さんがおっしゃったところで、私たち(他に布村さん、KOKOさん)は名残惜しくも退出することとなった。

 ふりかえれば、終始、親密感(なごやかな時間)と緊張感(じっと聴き入る時間)の入り交じった、いい感じの内容の濃い朗読会だったと思う。私には、これまでお会いしたこともあり、詩集も読んだことがあり(数えてみれば、6人の方の作品についてウェブ上で詩評を書いている!)、という人たちの朗読が多かったので、そういう場合、言葉がすぐに耳になじんで、内容を聞き取ることに集中できる感じだった。KOKOさんが読んでくれた私の作品の朗読については、詩のできはともかく、間のとりかたが微妙な長さまで望むところで、自作者としてはとても気持ちが良かった。

 こう書くと淡々とした朗読会の進行だったようだが、実際には、司会進行をされていた駿河さんが、関さんの読んだ詩「森へ」を別の口調で抑揚をつけて朗読したり、有名好色小説『ファニーヒル』の一節を、その場で適当にページを開いて朗読したり、駿河さんの自作「C級詩」(性をちょっときわどく主題にした屈折詩)を朗読したりと、随所に仕掛けを用意されていたのが、なんともいえぬ演出で、悪童のシュールレアリストみたいな感覚だなあと、大いに楽しませてもらった。これはアルトーとヴィヨンという狂乱の詩人と泥棒詩人の詩の朗読を最初にもってきたのと同じ流れの演出だったに違いない。

  欲をいえば、いろんな人と、感想など含めて少しお話できればよかったが、これは限られた時間の中では、無い物ねだりというべきだろう。私(たち)は、皆さんの朗読をひとわたり聴き終えたとはいえ、会の途中で退出してしまったのだが、それでも私の住まいは会場から遙かに遠いので、帰宅したのは深夜零時をとうに過ぎていたのだった。

 最後に、こういうもちだし一方の無償の集いを、またしても(7月14日の出口裕弘さんの講演会に続いて)企画実行された藤本真樹さん、司会進行演出でサービス満点だった「最後のロマン主義者」駿河昌樹さんに感謝したい。駿河さん、格好いい蛇腹デザインの詩集出版おめでとう。

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mail桐田真輔 HP:KIKIHOUSE(個人) HP:あざみ書房(管理)

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関富士子
関富士子
デジカメを壊したので普通のカメラで撮ったのだが、スキャンしたりの手間がたいへんでアップをサボっていた。ようやくおめみえ。ほかの方々はフラッシュがいまいちで暗くて見えなかったり、撮りそこねたりで、ごめんなさい。いつも人の写真ばかりで自分のを載せないといわれるので、こっそり撮影者のも載せておく。(関富士子)


<雨の木の下で>悪霊退散(関富士子)

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