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vol.18
<詩を読む>

有働薫詩集『雪柳さん』を読む


桐田 真輔

雪柳さん』は、風味豊かな詩集だ。冒頭の「a.白猫抄」から最後の「o.にぎやかな夕ぐれ」まで、それぞれ味わいの変化にとんだ15編の作品が収録されている。感覚的でユーモラスな作品、謎めいた作品、スケッチふうのもの、などいろいろバラエティにとんでいるのだが、個別に読むとちがうのに、全体では、不思議に落ち着いた統一感がある。この統一感は、著者の的確な対象の描写力からきているのだと思う。対象の輪郭をとらえる技法がとても安定しているのだ。

 そういうことは、冒頭の「a.白猫抄」にみられる魅力的な猫の描写をみるとわかるが、細密画のように対象の細部を克明に描写するというのとは違っている。あくまでも対象の特徴を強調したスケッチ風なのだが、どの作品もその線が太くひかれているわけではなく、さらりと軽快に描いたようにみえる線がとても(作品の内容に即して)的確な感じを与えるのだ。とくに「j.荒川堤」は、若い頃の記憶を綴った短いエッセイのような散文詩だが、そういう描写の力の特徴がよくでていて、詩情にあふれている作品だ。
 つい描写力のことを書いたが、描写力というのはもちろん、作者の個性ときりはなせない。この詩集の風味豊かさをかもしているのは、正しくは描写力も含めた作者の個性というべきなのだろう。それを言うのはむつかしいが、「わたしにとって、詩とは日常の中のディテールである。様変わりしていく日常のなかで幻影と化してなお、わたしを引きつけてやまないもの・・・。」(著者)という詩集の帯のことばをヒントに考えてみよう。この場合「幻影」というのは、詩集を読むと、「b.波」や「c.内気な中学生」というような作品の風変わりでユーモラスなシチュエーションや、どこかとりとめないが印象深い挿話の交錯する「h.雪柳さん」のような作品が思い浮かぶ。

 これらの「幻影」の声のでどころは、夢や幻覚の体験から直接ひきだされたような、曇った感じがなくて、明るい澄明感がある。それをたどっていくと、ひとつの成熟した心のたたずまいのような場所が、みえてくる(気がする)。声はそこから、いろんな言葉の屈折の層をくぐりぬけて、曇りなく届いてくる。そうして、全体にその内奥の遠い声を曇りなく届かせるために、描写の力がいかんなく発揮されているという風なのだ。そういう試みを、深刻なよそおいなく(猫の「美しい尻尾」の、思わぬ動きのような軽快さで)まとめられたことが、この瀟洒な小詩集をとても風味豊かなものにしている、という気がした。
 
 有働薫詩集『雪柳さん』(2000年9月19日刊・ふらんす堂新刊案内へ)

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mail桐田真輔 HP:KIKIHOUSE(個人) HP:あざみ書房(管理)

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三井喬子詩集『魚卵』を読む


桐田 真輔

 『魚卵』という詩集は前段の「魚卵」と後段の「・・・すべきもの」というふたつの系列にわけられていて、それぞれ13編,11編の詩からなる。厳密に区別できないが、前者は「肉親」にまつわる濃密な幻想をテーマにした作品が多く、後者のテーマは、もうすこし多様で、栞『魚卵管見』の倉橋健一氏の言葉を借りれば、「詩というジャンルの楽しみ方をじつによく知っている詩人」という印象を覚えるような作品が多い、とはいえそうだ。

 前段の「魚卵」にも、いろんなスタイルの詩が登場するが、その全体を流れているのは母との子供(娘)の関係へのこだわりだ。それが、「過去を塵芥や睡蓮の花のように浮かべている「沼」」(「睡蓮の沼」)のような、「思考する脳髄」のなかで、ゆらめく波がたまゆらかいまみせる形象のようにたちあがる。そこで「母」とは私を産み落とした起源であると同時に、すでに現実の母親として生きている自分自身の現在の呼称でもある。失った「母」への痛切な追慕や今も呪縛される感覚はそのまま「母」としての自らの子に対する濃密な思いや距離の自覚に重なり溶け合ってる。

親-娘-その娘、という地上的な関係性の連鎖が、「思考する脳髄」のはらんだ「魚卵」の皮膜に被われたイメージのなかでは、同じ「産む性」の同一性として、その他者としての境界をあやうくしながら細胞の呼吸のように行き来する。そこは「「それ以前」が確かな輪郭を持たず、「それ以後」も漏斗目模様のように流れてしまう」(「わが名はまだき立ちにけり」)ような場所なのだ。そういう場所から現実の生に起きた関係の喪失の意味を訪ねること、あるいは、逆にそういう「思考する脳髄」の場所に遡行して記憶の痛みを呪縛から解きほぐすこと。この一連の詩の試みが、恣意的な思考実験ではなく、作者が、ある生の季節をくぐり抜けるために必要な観念の営みであっただろうことを、「魚卵」末尾におかれた「やすらかなねむりのためのハーブ」という詩の、甘くやさしくて切ない鎮魂の調べが伝えている。

 後段の「・・・すべきもの」の作品群が「魚卵」と同時期に書かれたのかどうかわからない。主題からでなく文体から区別できるとしたら、詩行にときどき顔をだしてふっと構成を揺るがせるような声の登場だろうか。これは感じでしかいえないが、なにかを越えたある時期から、作者の詩の声のでどころが、ちょっと多声的な場所に移行したのかな、と思った。もっとも、「魚卵」に含まれている散文詩「安らかな眠りのためのハーブ」には、そういうすこし声調の異なる意気のいい声が満ちている。「眠り姫」や、「われらの伝統的知識によって解明される謎語」といった散文詩。これらの作品には、言語の構築性に独特の情緒(ユーモア)が裏打ちされていて、確かな詩の言葉を読み解いていくとき特有の知的な驚きや喜びが堪能できる、と思う。

 三井喬子詩集『魚卵』(1999年8月16日発行・思潮社)

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