
vol.20
地上の人に告げて
梅を見に
机と椅子のある庭
地上の人に告げて
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| 海の湿った舌状気団が長くのびて
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| 北の窪地に大量の雨を降らせ
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| あわただしく去った朝
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| 雲量は目測で「3」だが
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| 風の水気は残っている
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| 笑ったドラゴンみたいな巻雲が
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| 南一万メートルにある
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| 太陽に乱反射してきらめく
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| 羽毛あぶらのスペクトル
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| エッジに氷の粒が透けている
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| たった今つぐみの群れを
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| エレキテルが走りぬけた
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| 川べの散歩者は発見した
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| けさ羽化したばかりのトンボのよう
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| 黄に白を混ぜたやわな機体だ
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| ななめに水に浮いている
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| ヘリコプターの風防ガラスに
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| 僅かなひびわれがあって
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| 操縦士が倒れている
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| 気流落下のスピンで目をまわした
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| でも死んじゃいない
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| 堰堤の管理小屋にはこんだ
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| 続きの夢から醒めない
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| 砂あらしで耳をやられて
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| 総天気図の気圧の谷をさまよっている
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| 森の案内者は語った
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| 喉を鎮痛して材木は防腐した
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| クレオソートがあたりに満ちている
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| 焼けたイヌブナのタールのにおいだ
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| 廃ダムの魚道にカケスたちが避難した
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| きこえるか
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| 業腹そうに鳴いている
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| きのうの雨が火を収めた
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| キャンプは水に漬かったがしかたがない
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| 炎は都市の方角から来て
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| 鳥の群れを川に追いこむ
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| 東の都市はヒートアップして
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| 放熱は鎮める方法がない
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| 乾いた風がはこんでくるのだ
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| 爪の先で葯にしがみついたまま
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| 一ぴきのカナブンが客死した
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| 有毒きんぽうげの野原で
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| 我知らずバタカップはゆれる
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| みっつに裂けた葉紋スタンプが
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| 鉛筆用の画板にひろげられ
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| 観察者のルーペに縁どられている
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| 人力で地上三百メートルまで
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| 櫓を組んで延びたビルの
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| 強化ガラスにスネタカヒコの右脚が映る
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| 尾根から半島の岬まで左脚をかけている
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| 弾けた積雲の一列が北北西にあって
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| やや欠けた昼の月をめざす
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| 過ぎていくキャラバン
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| かすんだ都市をまたぎこして
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| スネ高の男は行ってしまう
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| 光が散乱して目が痛む
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| 輝くテレスコープの画像に
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| 羅針はふるえて止まらない
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| どんな気象も観測者の上に顕れる |
「gui」2001.夏掲載より
<詩>梅を見に(関富士子)
<ことばのあやとり>かかとに羽もつ六人の勇者が(関富士子)
梅を見に
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| 杉林を登っていく
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| 雪の残る北側の中腹に氷池がある
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| 午前中に氷を切り出す
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| 着くともう昼過ぎで
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| 尾根の南側の日溜りに
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| 二人の男が弁当を広げている
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| あたりに材木が積まれていて
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| 氷は見あたらない
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| 池はどこですか
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| 一人が日陰のほうを指さす
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| もう一人が言う 氷はないよ
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| それきり黙っている
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| 池には行かずに日溜りで
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| 男たちが材木を切り出すのを見ている
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| 紅梅、白梅、蝋梅
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| 案内図にしたがって
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| 右手に紅梅、左手に白梅が咲く小道を行く
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| 山の頂きは蝋梅の林だ
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| いちめん黄色にぼやけている
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| 人々は木の下に座って
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| 町はずれに光る川を眺めている
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| その向こうに
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| 台形に切り取られた岩山があって
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| 発破が響く
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| 山のてっぺんが吹き飛ばされて
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| 石灰岩のかけらが降ってくる
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| ケーブルカーは三十分おきに来る
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| 町へ下りる人でぎゅうづめだ
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| メンドリを抱いた女が窓際に座っている
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| ケーブルがぐらぐら揺れるので
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| 人々は小さな叫び声をあげる
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| メンドリは喉をくうくう鳴らす
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| メンドリの尻の下
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| 女の膝の上に
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| 卵の籠がある
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| 女はこらえきれないように顔をしかめている
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| 駅に向かう道に沿って
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| 豆屋と佃煮屋と石屋があって
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| 豆屋で甘納豆を
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| 佃煮屋で椎茸の甘辛煮を買う
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| 石屋では
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| 蛇紋石や柘榴石や
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| ヒトデやアンモナイトや
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| アマゾンの巨大な魚の化石があったが
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| 蝋石を買う
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紙版「rain tree」no.20 2001.5.25より
<詩>机と椅子のある庭(関富士子)
<詩>地上の人に告げて(関富士子)
机と椅子のある庭
| ファインダーをのぞいているときは気づか
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| なかった。全体は翳っているヤブコウジの西
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| 側だけ光があたって、艶を含んだ赤い実の一
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| つにピントを合わせるのに気を取られていた。
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| 焼きあがった写真を見ると、くっきり浮い
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| た一粒の実のかげから、奥へ進むように小道
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| が続いていて、行きどまりの空き地に何かが
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| 置いてある。小学校で使ったような小さな木
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| の机と椅子。
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| 辺りは庭木が茂って雨ざらしなのに、ぼや
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| けているせいか、数十年前の小学校の教室か
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| ら運ばれて、たった今、そこへ置かれたばか
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| りのようだ。
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| 椅子は、横木の二本ついた低い背もたれと、
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| 四角なみじかい四本の脚の造りで、そこに座
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| っていた少年のことをたしかに覚えている。
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| 窮屈なお下がりの学生服の両肩が緊張して
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| いて、まっすぐに伸びたきゃしゃな背中の上
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| に、バリカンで刈り上げた細長いぼんのくぼ
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| の二本の筋だけ太く張っている。その首筋全
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| 体が紅潮していて、彼が激しい感情にじっと
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| 耐えていることがわかる。
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| 教室ではいつもだれかが突然わけもなく侮
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| 辱された。それが自分ではなかったことに安
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| 堵しながら、わたしたちはいっせいにうなだ
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| れてそのときが過ぎるのを待っていた。どの
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| 机の下でも、急速に伸びてしまった足がねじ
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| れて折れ曲がっていた。
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| 少年もいつだって口ごたえをせず、どんな
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| 言葉も思いつかないというように俯いている
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| のに、なぜか抑えようもなく首の付け根まで
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| 一気に赤らんでしまう。すると、いらだって
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| 震える細い指示棒が、いつも彼の肩に振り下
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| ろされるのだ。
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| 写真にぼんやり見えている古びた机と椅子
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| には、もうだれも座っていない。彼はいった
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| いいつ、立ち上がってわたしたちに背を向け
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| たまま教室を出ていったのだろう。
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| いいえ、わたしはうなだれた目をそっと上
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| げてそれを見たように思う。学生服の袖から
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| ぶかっこうに突き出した長い腕を伸ばして、
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| 椅子の背もたれをつかみ、脚をはめこむよう
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| に机にきっちりと収めて、彼は大またに出て
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| いった。そして、机と椅子をその庭に置き去
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りにしたのだ。
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小池昌代個人詩誌「音響家族」no.15 2000.11.15発行より
執筆者紹介(せきふじこ) 掲載一覧
<詩>挨拶詩3「日永」「順番」――関富士子へ(中上哲夫)(縦組み縦スクロールのみ)へ
<詩>梅を見に(関富士子)
<詩>地上の人に告げて(関富士子)