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vol.21
<詩を読む>
 

「P」について思ったこと

森ミキエ詩集『P』を読む

布 村 浩 一

 去年の夏に森ミキエから『P』という廃墟になったビルの内部が映されている写真を表紙に使っている詩集が送られてきた。白黒の窓から漏れている光がちょうど正面にきている写真。森ミキエの名前は99年6月発行の「トビヲ」18号のなかの「す、き」という詩で覚えていた。この詩は落ち着いた明るいリズムで書かれており、ぼくはこの詩が好きになった。
 
  眠りの途中
  夢からはじき出されそうになると
  傍らにいる名前を
  手探りします
  明日 起きたら
  大きな伸びをします
  すき と呼吸します

          「す、き」より

 この詩のリズムは対象に対して開かれており、書き手の触感が、触れているところの暖かい許容が伝わってきて、明るい気持ちになる。そして森ミキエの透明な、薄い、光を通してしまいそうな心も感じ取れる。
 そのあとも送られてくる「トビヲ」のなかから森ミキエの詩をさがして読んでいた。この人の書く詩のリズムが心地好くこちらに届いてくる。何故か太った女の人かもしれないと思ったりした。そして「十二年ぶりの詩集です」というコメントとともに『P』が届いたのだ。
 『P』という21編からなる詩集を読みながら受け取りつづけたものは、リズムの良さということだった。まろやかといってもいい滑らかさのある、柔らかいリズムだった。それから詩集全体にあるゆったりとした落ち着きのいいものを常に受け取りつづけた。 柔らかさ、伸びやかさ、何よりも「リズム」というものが森ミキエの詩の特徴なのだ力なのだといってもいいと思う。このリズムが森ミキエという詩人の独自性であって、この独自のリズムが読む者に柔らかな震えを伝えてくるのだ。
 みずみずしいなと思う。とてもいい人だろうと思った。透明で、すこし悲しい人かもしれない。この詩集のなかには「あなた」という存在への思いがよく出てくる。とても濃い思いといっていい。「あなた」というのはたぶん生活を共にしている人物であり、結婚している相手なのだ。これは愛情の表現や恋のような心であるとともに、森ミキエが生活というものを地べたに落とすまいという詩のなかの行為なんだろうと思った。ある程度の時間を経ただろう夫婦にしては思いが濃すぎる。この「濃い思い」のなかに森ミキエの内部世界の秘密というか、不安定さといってもいいものがあるのかもしれない。
 
  私の傾いだ首を羽交い締めにして
  おまえの肌は肝油のにおいがすると云った
  好きになりそうだと云った
  体温が上がって 夜になる前
  乾いた魚が発火する
  炎のような夕焼けの中
  黒々とそびえ立つ煙突は静かだ

        「乾いた魚」より

 森ミキエは「不幸」を書こうとしていない。「不幸」のそばまで行くけれども、すぐ引き返す。詩集ではかなりの詩が肯定的な場面のなかで、肯定的な感受を展開しているようにもみえるが、そうではないと思う。「肯定的」でも「否定的」でもない微妙なところを軸としているのだ。資質的なリズムと内部世界の不安定さとでもいうものが、森ミキエの持っている「書ける理由」なのかもしれない。
 「肯定的な物語」を詩にするのはとても難しいことだと思っている。それに成功している詩には滅多に出会わない。たいていは「否定的な物語」を薄めたり、濃くしたりしながら詩というものを作り上げている。森ミキエの肯定的でもないし、はっきり否定的でもないという位置はどこからくるのだろう。
 「肯定的」なものと、「否定的」なもののあいだで、振幅しながら「不安」や「異和」にたどり着く。流れ着く。女性的で、幼児的で、平安だったり、不安定だったり、振幅する範囲は広く、個性も様々だけれど、森ミキエもそのなかにはいる、この流れはぼくの詩の体験でいえば、「卵座」や女性のメンバーがほとんどである「トビヲ」という詩誌でよく目にしはじめたことだと思う。 北爪満喜の詩がこの流れにある詩のなかで最初に読んだものだという記憶がある。幼児的で、粘着質で、しかしやはりリズムのいい流れを持っている北爪満喜の詩をぼくは好きだった。断定しないリズムというものが北爪満喜の詩にはあった。
 森ミキエは詩をじぶんの内側に置いているのだろうか、外に置いているんだろうか。じぶんの内側に置きながら、詩をいちばん遠くに引っ張っていって、外部世界に近づけるところまで近づいて書こうとしている詩のようにみえる。内部と現実の触れ合う固いところが見えてしまうはずだ。そして森ミキエの詩はきれいな詩だと思う。身体感覚の図々しさというものを持っていない。外の世界を時として絶対的な客観としてとらえるような資質かもしれない。
 森ミキエは生の意欲をどこから取り込んでくるのだろうと思った。暮らしを共にしている「あなた」との生活によってだろうか。そうであったらいいと思うし、森ミキエの書いている詩はその方向を向こうとしている。暮らしから飛び出ようとして、不安や異和をまといつかせながら、「あなた」の元へ帰ってくる。沈黙や断念は台所やトイレの排水口に流し込む。

  突き刺す 痛み
  わたしたちは覚醒する
  閃くガーゼ
  かろやかに
  光に向かって
  離陸した
  激しい雨に打たれながら
  雷鳴の遠く とおく
  産声を聞いた気がした

        「ガーゼの翼」より

 森ミキエのリズムにひかれて『P』を読み続けたけれども、やっぱり森ミキエの生や人や選択した生活の場面に出会ってしまう。ちょうど森ミキエはぼくの妹と同じくらいの年齢のはずだ。遠くに住んでたまに会う妹から長い年月の間、「幸福」や「不安」や「断念」をその顔に見つけてきた。「意志」も、不安と異和の間にゆれながら「しっかりと伸ばそうとする手」も見てきた。森ミキエもそうなんだろうな。       

「す、き」は詩集『P』では改稿しているが、ここでは「トビヲ」発表のものを使った。



 初出誌 「トビヲ」おまけ号 2001年7月14日発行

 
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