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vol.22

<雨の木の下で>


2001年☆『セツアンの善人』  布村浩一

 2001年9月14日、赤坂ACTシアターで串田和美演出、松たか子主演の『セツアンの善人』を観た。99年に新国立劇場でもこの組み合わせで『セツアンの善人』を上演しているから2年ぶりの再演になる。
 『セツアンの善人』は劇作家ブレヒトが1940年に書き上げた戯曲で、名前だけは昔からよく聞くけれども、観には行かなかったブレヒトの芝居を観る気になったのは、ぼくが松たか子のファンだったからだ。
 99年に観たときは、串田和美のつくる舞台の自在さがとても印象的だった。やわらかく、開かれていて、その舞台の持つ弾んだ空気感に何よりも打たれた。出演者の半数以上に外国人を使っており、日本語のセリフを普通の日本語の抑揚でとにかくしゃべってしまうという大胆なこころみ。開演前、舞台前の座席にすわって待っていると、劇場のロビーの方が騒がしい、音楽が鳴っている。行ってみると、旅芸人風の出演者たちが何かやっている。大道芸を披露している。松たか子もいる。その芸人たちが舞台に戻って行くと芝居はいつの間にか始まっている。こんな串田和美の演出と松たか子のみずみずしいくっきりとした演技と、「善人のままで生きていけるのか」という展開の核になるテーマで、この芝居は99年に観た芝居の中で特別印象に残るものになった。
 2年後の今年、2001年9月に『セツアンの善人』を観に行ったときには、ぼくのなかでは『セツアンの善人』のそのテーマ、「善人はいつまで善人でいられるのだろう」という物語にもう一度触れたいという気持ちがあった。それといちばんの関心は松たか子は今でも特別な俳優なんだろうか。そうではないんだろうか。そのことを観たい、確認したいという思いだった。
 90年代の半ばを過ぎても時代はまだ派手だったといい得る。あるいは派手さを引きずっていた。華麗だった。それを演出していた大きな力であるテレビドラマ。そのテレビドラマで、それもゴールデンタイムなどでやるドラマのなかで思い掛けず「内省的な」あるいは「かげ」のようなものを、そういった表情を見始めたのは、何年ぐらい前になるか。それが「松たか子の表情」だった。テレビのゴールデンタイムというこの世でもっとも華やかな場所でそういった「表情」が流通することが嬉しかった。あるいはそういう「気質」が流通することが嬉しかった。ほっとした。救われたような気持ちも持った。この松たか子という個性は時代の後ろ側から前へ、突き破るように出てきたと思った。
 今年の春に松本幸四郎らとパルコ劇場で共演した『夏ホテル』での松たか子は、18歳から22歳ごろまでを特別な季節とすれば、その季節を過ぎつつあるこの女優が、「技術のほうに顔を向けはじめた」感じがあって、その方向に行くのだろうか、だったらもう、特別な俳優というわけにはいかないな、これからどうするんだろう。ぼくと現実との関係をなごませてくれる(例えばぼくが生まれて初めてテレビのコマーシャルを観て商品を買うという気になったのは、松たか子がそのCMに出ていたからだ。それは楽しい体験だった。ぼくはこの社会に属しているという意識を持ちたかったのだ)数少ない通路の一つであるこの女優の行く末を確認したい、それがぼくを『セツアンの善人』の舞台まで足を運ばせる大きな理由だった。
 俳優がいくら社会とのあいだに違和感を感じていても、そのように生きているとしても、あるいは「社会には流通しにくい資質」をもとに演技をしていても、それは終わらずにはいられない。なぜなら舞台で演技をするたびに、表現をするたびに、それは「成就」されるからだ。その思いは「成就」される。表現することによって何かが満たされている。その役者が持つ社会との関係がどうであれ、カタルシスは持つからだ。だから役者は舞台の上で表現することを、何回か、何年か続ければ、同じような「心とからだ」ではいなくなる。変わるし、変わるのは当たり前であり、仕方のないことであり、当然なのだ。変わって欲しくないというのは観客の、ファンの勝手な願いだ。しかし「特別な人」ではなくなってしまう俳優に引かれる理由もなくなることになる。舞台の上でだけ「特別なことを」しようとする、あたりまえの一般的な役者がいるだけになる。これは観客と役者とのパラドックスなのだ。
 特に芝居好きというわけでもない人間を、劇場まで足を運ばせる力は、出演する俳優の魅力がいちばん大きい。その仕草や、ふとした表情、話し方。語尾の消え方とか足の運び方、美しさでもいい。舞台の上に立つ「特別な人」=(現実でもそうである人がそのまま舞台に立ってしまうようなこと)にぼくたちは引かれるのだ。戯曲、演出家、劇団、それらを目当てに行くこともあるが、それはあまり多いことではないだろう。まず俳優に引かれて観に行くというのが普通だ。人間を見に行くのだ。ぼくにとってそういう俳優は松たか子しかいなかった。
 もう一つ99年に観たとき身につまされた、『セツアンの善人』の大きなテーマである「善人のままで生きていけるのだろうか」という物語を忘れていなかった。本当は『セツアンの善人』の舞台というのは、その物語の核に向かって求心的につくられているわけではなく、いくつもの意味を感じることができるし、歌あり、踊りあり、登場するいろんなタイプの人間がちゃんと描かれていて、多様に面白い舞台だけれど、ぼくの切実なところでは、あの「善人のままで生きろ」と告げられた人間の物語に触れてみたかったのだ。
 それは無防備といえば無防備で、いつになっても「いい人」である自分の資質にきつい思いをしていたからにちがいない。疑わないし、あっさり信じてしまうぼくの資質は、特に職場などで最悪の結果を招いていた。「悪い人間でなければ生きていけない」「そうなるより仕方がないだろう」「そうでなければならないのだろうか」そんな繰り返しがぼくのなかに続いていた。
 セツアンという街に住む娼婦シェン・テが善人をさがしにあらわれた三人の神様に一夜の宿を提供する。彼女だけが宿を提供した。神様たちはお礼にかなりの額のお金をシェン・テに渡す。シェン・テはそのお金を元手にして、煙草屋を開こうとする。もう身体を売らなくてすむし、あったかいおまんまだって食べられるのだ。その矢先に吹き溜まりの街セツアンに住む食いつめ者たちがシェン・テにたかりはじめる。失業者、親子連れの宿無し、働いても働いても食えない職人、どこからかやってきたシェン・テの遠い親戚という者たち。そんな連中だ。「この街じゃどこを見ても貧乏ばかり、救って下さるのは神様ばかり」という街なのだ。
 シェン・テはそんな連中に求められるままに与える。食べ物を、住家として煙草屋の一隅を、売り物である煙草のひとつまみを。シェン・テはいやと言えない。なぜなら正しい行いをしなければならないから。彼女はしてしまうから。しかし、弱い者たちは人を思いやったりしなかった。利用だけしようとする。そんな連中にまといつかれ、開店もできないまま煙草屋をなくしてしまいそうになったとき、シュイ・タという男に姿を変えて現れ、否!と言う。出て行けと言う。シェン・テでは言えないことをシュイ・タに姿を変えて言う。善人シェン・テでは解決できないことを、シュイ・タという悪人の力で解決しようとする。そして彼女はまた善人にもどる。そういう分身をつくりださなければやっていけない。ここがこの劇のいちばん強い構造だ。
 シェン・テとシュイ・タを松たか子が二役で演じる。シュイ・タ役では顔を隠す仮面をかぶる。無垢な娼婦のシェン・テ、シャープな現実主義者のシュイ・タ。この舞台での松たか子がいちばん強い輝きを放っている。役者冥利という舞台なんだろう。99年に観たときは、特にシュイ・タを演じる松たか子を観て、ヘェー、松たか子ってこんなに芝居のできる役者なんだと驚いたし、今回も鮮やかだ。
 実は事情があって、次の日にも『セツアンの善人』を観た。通路脇の席だったが、舞台全体がよく見渡せた。見終わって、これはやはりいい舞台だと思った。これからも松たか子の舞台を観つづけることにするのかどうかということも決めないまま劇場を出た。舞台(セツアンの街)に最後にともっていた明かりをボーッと思い出していた。これは演劇を観るということがなくなってしまうことかもしれない。どうする。駅に着くまでに決めようと思った。

初出誌「獅子座」12号 2002年2月10日発行
 
<雨の木の下で>詩の催しもりだくさんへ
<雨の木の下で>沖縄観光旅行(関富士子)へ
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