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vol.22

<雨の木の下で>


沖縄観光旅行 2002.4.3 関富士子 

空港での琉球踊り020326
 念願の沖縄に出かけた。うちの男と娘とわたし、家族3人で観光旅行。記録するのがあまり好きではないので、旅行記などあまり書かないが、今回は忘れないうちに簡単なメモを書いた。

2002年3月24日

羽田空港→那覇空港→恩納村のホテル

 朝早いのが苦手なので、JTBのツアーで、午前10時35分羽田発の温泉付きゆったりコース(59000円)を選ぶ。沖縄国定公園内の海辺のリゾートホテルと那覇との2泊3日である。2日分の観光と食事が5回ついている。グラスボートも乗れる。申し込んだのは出発10日前でぎりぎりであった。

琉球踊り

獅子舞のような琉球踊り20324  昼過ぎに那覇空港に到着。空港の広いロビーで、にぎやかな琉球踊りで出迎えられる。常時演奏していて、客は自由に観ることができる。にぎやかで明るい、弾むようなリズム。とうとう沖縄に来たんだな。

 さっそくオリオンビールと沖縄料理の定食を食べて、ゴーヤーチャンプルー(ニガウリと豆腐、ポークのスパム缶詰、もやし、卵などの野菜炒め)とねっとり感のあるピーナツ油入りのジーマミー豆腐というのを気に入る。午後3時の迎えのリムジンバス(普通の大型バス)で高速道路を走る。この道は島の真ん中を通っているらしく、海は見えない。

米軍フェンスの続く道

ハイビスカスが道路脇や駐車場などに普通に咲いている。020324  沖縄4回目の娘の案内で、バスの窓から屋根のある小さな家の形をした沖縄独特のお墓や、サトウキビ畑や延々続く基地のフェンスや、道路の脇に咲くブーゲンビリヤやハイビスカスを楽しみながら、2時間で恩納村のホテルに到着したのが夕方5時。

 風が強く雨がぱらついていたが、日が暮れない前に海辺を散策する。シーターコイス、コバルトブルー、ブルーグリーンなどにグラデーションのある海がすばらしくきれいだった。
 夕食はホテルで鮨の食べ放題。特に石垣貝海ぶどう、海老のネタがとてもおいしかった。海老は背中に赤い横じまのある普通のネタではなく、ぜんたいが白っぽく肉厚である。ホテル内に山田温泉がある。湯質は硫黄。沖縄は温泉が少ないらしいが、わたしは温泉の多い福島生まれのせいか、旅行で温泉に入らないと気が済まない。2泊とも温泉のあるホテルを予約した。

 

3月25日

恩納村のホテル→珊瑚礁→琉球村→万座毛→海洋博記念公園→やんばる亜熱帯園→首里城公園→那覇牧志公設市場→那覇のホテル

熱帯魚観察

 雨がぱらつき肌寒い天気だったが、半袖のうえにウインドブレーカーを着て帽子をかぶれば完璧。朝8時にホテル前の船着場からグラスボートに乗って10分ぐらいの真栄田岬近辺のポイントに走り、30分ほど魚の群れを見る。船底の横に窓があり、サンゴ礁にスズメダイやフグ、クマノミなどと思われる熱帯魚の群れが泳いでいる。船の出すあぶくがわき、臨場感たっぷり。娘はこのあたりで去年の夏ダイビングの免許を取り、久米島に渡って潜ったそうだ。ここもきれいだが、ほかの島は海の透明度がぜんぜん違うという。

琉球村

家の守り神シーサーがたくさん並ぶ琉球村の建物。020325  9時に観光バスに乗り、ホテルの近くの琉球村に行く。沖縄の古い民家が保存されているところ。ろくにあたりを見ないうちにさっそく小屋の中に導かれる。マングースハブの決闘はやらないはずだけど、なんだろうと期待すると、なんでもなかった。ビデオでハブの毒の恐ろしさやマングースの闘いの様子を見せた後、お客に毒のない蛇を触らせたり、風船を噛ませて破裂させたり。主役はもっぱらハブで、マングースはおとなしく檻の中。これで人を集めるのは無理がある。

美しい黒アゲハを発見。琉球村。020325  ハブのホルマリン漬けが並んでいたが、ハブの裂けたおなかから黒い猫の頭が飛び出しているのが圧巻。ハブ酒や薬などの販売コーナーは素通り。民家の造りや中でやっている琉球踊り、花織りという織物、紅型染などの民芸品がほとんど見られなくて残念。きじむなあの鳥笛(海音(しおん)鳥笛)は売っていたおじさんの笛があまりに上手なので思わず購入。おまけにハイビスカスの造花の髪飾りをもらう。これは観光の間ずっと帽子につけていた。「きじむなあ」とは、沖縄の伝説の木の妖精。赤い顔、赤い髪の子供で、ガジュマルなどの古木の穴に住むという。

万座毛

 海岸に出て、万座毛のゾウの鼻形の岩場を眺める。ここで大きな荒々しい葉をもつ白いアザミなど、内地で見られない野草の写真を何枚か撮る。植物園などにはえている熱帯植物は、大きくて色鮮やかだが、他所から移植したものが多いのではないだろうか。のちほど植物の写真をアルバムにしてアップします。)

海洋博記念公園

ウミガメ。沖縄海洋公園020325 近くのホテルで昼食。沖縄料理中心のお弁当。ゴーヤチャンブルーやゆし豆腐(型に入れる前の柔らかい豆腐をスープに浸したもの)、沖縄そば、海藻の澄まし汁などを味わう。
 海洋博記念公園は広くて大きな植物園もあり、蘭の展示会をやっていたが、もっぱら水族館を中心に見ることにする。巨大な水槽の中の巨大なジンベエざめとコバンザメたち、イトマキエイ(マンタ)などのエイが3種類ほど、たくさんの鮮やかな熱帯の魚たち。一日中いても飽きないくらいおもしろい。ウミガメ館とマナティ館は急ぎ足。

やんばる亜熱帯園

アンスリウム やんばる亜熱帯園

アルバム
沖縄の植物」制作中
写真・関富士子

このあとやんばる亜熱帯園へ。大きなヘゴの原生林が続いているそうだ。入口付近をガイドの案内でほんの少し歩いて、熱帯植物をいろいろ見たが、すぐに土産物屋に案内されてしまうのは閉口する。時間が少なくぜんぜん不満。ヘゴは巨大で密生している。その下にアンスリウムがびっしりと咲いている。もっと奥へ入れば、いろいろな動物や野生の植物も見られそう。ゆっくりと一時間ぐらい散策したかった。ここはもう一度来よう。チェック。

首里城

漏刻門の日影台。水時計を補うための日時計。首里城020325  今日の最後の日程、首里城を見学。娘は3回目で飽きちゃったと言っていたが、ここでようやく沖縄の歴史の一端に触れる。首里王国は1429年に成立するが、何度も攻められて4回も焼失している。昭和20年には沖縄戦で焼失したが、現在の建物は、ほんの少し残った石垣の上に、古い資料に残るお城を1992年に復元したもの。

 写真で見ると建物の壁や柱が真っ赤っかという印象だったが、実物は赤に黒の混じったしぶい漆塗りで、落ちついた色だった。歴代の「尚」王朝の王様の絵が妙にリアルでおもしろかった。柱や壁の彫刻を双眼鏡で見るのが好き。金ぴかの豪華な龍の彫刻があったし、王様の椅子の下の台には、栗鼠と葡萄が刻まれていた。

石川為丸さん

 那覇市内で観光バスを降りる。バスはホテルに向かうので、荷物を添乗員さんに預けて身軽になる。
那覇三越前までタクシー。那覇在住の詩人、詩の個人誌「パーマネント・プレス」を発行する石川為丸さん(HPクィクィ)と待ち合わせるが、6時を過ぎても現れない。うちの男のケータイ番号を知らせてあったが、なんとケータイはバスに預けた荷物の中だという。しかたがないので仕事場に電話をすると、石川というものはおりませんと言われる。あれ、為丸さんの本名を知らなかった。でも「石川為丸」さんですと言うとわかってくれた。すでに出ているということで電話を切ってすぐ、為丸さんが急いで現れる。サングラスに黒のブルゾン、背が高くナーバスそうに頬のそげたシブイ男である。 あ、しまった。為丸さんと記念写真を撮るのを忘れた。牧志公設市場で皮を剥がれて並んでいる河豚。20325

牧志公設市場

 狭い通りを入っていって牧志公設市場に案内される。為丸さんが、海老のお刺身をご馳走してくれると言うのでお言葉に甘える。あれこれ指さすと、お店の人が、それは2500円、それはもっと高いよ、と答えるのでおもしろい。 ほかにお土産に海ぶどうを6パック買う。娘が沖縄に行くたびに買ってきてくれるものだが、海草に小さなプチプチが葡萄のように付いていて、歯ごたえがおもしろい。すっかり気に入ったが内地では見つからない。
 お刺身の盛り合わせを頼んで2階の食堂へ。食堂ではいろいろな沖縄料理をごちそうになった。為丸さんに散財させたがごめんなさい。エシャロットのような辛味のある島ラッキョウの塩づけに鰹節を和えたものがおいしくてお代わり。大きなイセエビ二匹と、真っ青なイラウチャー(アオブダイ)や真っ赤なミーバイ(ハタ)、モンゴーイカ、海ぶどうなどの刺し身の盛り合わせがゴーカ。

真っ赤なミーバイ(ハタ)が並ぶ牧志公設市場の魚屋。20325  ミミガー(茹でた豚の耳を細く切ってピーナッツで和えたもの)は甘味が独特。舌触りはこりこり。もう少し酢を足せばつまみに最適。

 為丸さんお勧めのヘチマの煮物(まだ若いヘチマの皮をむいて味噌味で煮こんで卵を落としたもの。ナスの煮物のようでおいしいが少しかびくさいようなにおいがヘチマの味か。)や、ほかにそうめんとシーチキン、もやしなどの野菜をいためたそうめんチャンブルー(これは家でもそーめんが余るとよく作る。シーチキンではなく豚小間だけど。)、ソーキ(骨付き豚肉)と人参、芋などの煮物、海老の殻で出しを取った豆腐とシメジ、ねぎなどの入った味噌汁。

 為丸さんとうちの男は泡盛をボトルで飲んだがわたしは少し飲んだだけで効いちゃった。市場で食事中、島で取れる蜜柑、タンカンの袋を売りに来たおばあがいて、食べてみたいけどあの袋は多すぎる、と思って断ったのだった。3つだけ売ってくれるか聞いてみればよかった。

ゴーヤ(にがうり)。中を繰り抜いて、周りのでこぼこの皮だけ食べる。苦みがやみつきになりそう。20326

藁火

 場所を変えて為丸さんのなじみの「藁火」へ。近道というので公園の暗い道を案内される。夜の公園は猫の集会所か。あちこちにたくさんいる。「どこに連れていくんですかー。為丸さん。」といいながら、五分ほどで藁火到着。小さな飲み屋が集まった露地の中の一軒である。ほかにお客が数人。ヒラヤチー(小麦粉を薄く焼いたお好み焼きのようなもの。)とイカとニガナ(内地の野草の「ニガナ」ではなく、小松菜かほうれん草に似ているが苦みがある葉野菜。)のはいったイカスミ汁。イカスミの汁をはじめて飲んだが、なかなかおいしいものでした。

 為丸さんが藁火のおばさんと「二見情話」を歌ってくれた。
「♪戦場(いくさば)ぬあわり いちが忘(わし)りゆら〜忘りがたなさや 花ぬ二 見よ」
 ほとんど沖縄の言葉で、意味はなんとなくしかわからないが、せつせつとして悲しい実に素晴らしい歌である。うちのカラオケ娘も、「島歌」「十九の春」などを歌い、男も石原裕次郎なんか歌って、楽しいひとときだった。為丸さんはいつもここで、仕事の疲れやなにやかやを癒しているんだな。
 帰りに近くの八百屋でさっき買い損ねたタンカンを3つほど買って、為丸さんと握手して別れ、タクシーに乗る。為丸さん、お元気で! またそのうち会いましょう。

 午後10時半ごろホテル到着。温泉風呂は夜遅いせいか満員だが、なんとか入れた。ここの温泉は塩辛かった。娘が巨大椎間板ヘルニアの持病があるのだが、ホテルのマッサージのお姉さんにつぼを揉んでもらって、すごく上手だったという。風呂上りに食べたタンカンは、デコボンに似て袋の皮が薄く食べやすい。渇いた喉に甘くておいしかった。
鍾乳洞020326

3月26日

那覇のホテル→玉泉洞王国村→ひめゆりの塔→琉球ガラス村→國際通り→那覇空港→羽田空港

 雨と風がやみ、雲がみるみる消えていって、良い天気になった。気温22度まであがり、半袖いちまいになる。日焼けしそうなのでクリームを塗る。朝はホテルで普通のバイキング。やはりゴーヤチャンプルとシーマミ豆腐がおいしい。ヘーゼルナッツ?みたいな豆や小さな緑色の豆など3種類のナッツをあわせて、あっさり煮たものもおいしくてお代わりをする。沖縄モズクは我が家の食卓でもよく食べる。数日ぶりで牛乳を飲んで満足。玉泉洞王国村ガラス工房020326

玉泉洞王国村

 玉仙洞でおおきな鍾乳洞を見る。洞窟の中の道が平坦で歩き易かった。鍾乳洞というと地下深くて寒いという印象があるが、ここは浅いところにあって寒くない。通路の下を水が流れていて、エビや魚を見つけた。
 ここのちょっとした植物園で、熱帯植物の花や実の写真を撮る。土産物屋に珍しい果物がたくさんある。カニエステルという先の尖った黄色い果物(400円)を一つだけ買う。店を出るとそばの木にすずなりに実っているのでびっくり。

ひめゆりの塔

沖縄島南部のひめゆりの塔へ。バスの中で、まだ19歳というかわいいけれどしっかりしたガイドさんが、悲惨な沖縄戦について、心をこめてガイドしてくれた。それを聞いただけで涙がこみあげて困った。年のせいかどうも涙もろくなっている。娘が買ってくれた供花を捧げ、手を合わせる。碑のすぐ前に、ひめゆりの生徒たちが隠れていてガス弾を投げ込まれた洞穴が黒い口を開いている。

 資料館の見学は、じっくり読んでいると時間がぜんぜん足りず、200人以上の生徒たちの写真に後ろ髪を引かれた。今度はゆっくりとあらためて再訪するぞと決心。

 「日本軍は少女たちを見捨てたのです。」というガイドさんの言葉が忘れられない。沖縄観光の目的の一つは戦跡を見ることなのだが、ツアーはどれもひめゆりの塔しかコースに組み込んでいない。むごたらしい歴史を知るのはつらいことだが、若い人たちにこそ知ってもらいたい。

 ガイドさんに限らず感心したのは、沖縄の女性たちが実に一生懸命明るく立ち働いていること。観光客相手ということもあるだろうが、ホテルでも食堂でも市場でも、親切で押しつけがましくなく丁寧で、とても感じがよかった。

 そうそう、すぐに食べ物の話に戻るが、ここの近所の店で揚げたてを売っていたサーターアンダーギーという小麦粉の揚げ菓子。ここのは卵がたっぷり入っていてカステラに近い味。周りのカリカリがおいしい。以前うちの娘が作ってくれたのは紅芋の粉のサーターアンダーギーだった。こちらのほうが沖縄っぽいかもしれない。
いるかのカード立て。金属製(ホテルで500円。他の店で390円で売っているのを発見。

琉球ガラス村

 ガラス館の食堂での昼食。おいしかったのは、グルクン(カサゴ)を揚げて甘酢をかけたもの。白身で香ばしく、鮭などよりずっとおいしい。
 ガラスや陶器は持って帰るのがたいへんなので買わなかった。ヘマタイト(赤鉄鉱)の磁気リング(2500円)はうちのほうでもあるが、なんとなく欲しくなって買う。田村奈津子さんの詩に登場するのを思い出したのである。

 彼女は石が好きで、いろいろ集めていたらしい。詩集『人体望遠鏡』の「天使の角度」にも、「からだが壊れたら/石をさわりにいく」という連があった。祈るような気持ちだったのだろうか。(帰宅後に首に巻いていると、いつもキーをたたいているので肩こりがひどいのだが、なんだかとても楽になった感じ。もしかしたら効いているのかも。)國際通りのポスト。シーサーが乗っている。020326

おみやげ

 国際通りで観光バスを降り、少し街を歩く。シーサー(家の守り神)ののったポストが愉快。公設市場での買い物は、沖縄そばにかける辛い島トウガラシ(泡盛に赤いトウガラシを浸した瓶)を5本。生麺の沖縄そば。泡盛の「古龍」10年もの。
揚げたてのあつあつの人参と牛蒡入りかまぼこ2種類。大きなゴーヤとヘチマを一本ずつ。
それから島ラッキョウの塩づけを3パック。浅い塩漬けで辛いが鰹節で和えると味がまろやかになる。これはビニールで3重ぐらいに包んだが、荷物の中から匂ってくるので困った。ビーズの小さなバッグ(ホテルで800円)

ほかに、泡盛カステラ、紅型染めのデザインのTシャツ、沖縄伝統の「花織り」を模様に染めた大判ハンカチなどなどはおみやげの定番。いるかのキーホルダーやビーズのアクセサリーはどこにでもあるが、きれいなので買う。きじむなあの苗(ただ。琉球村の観光記念品)

 各観光地でツアーの記念品に、星の砂やアンスリウムを象ったカードやガラスの箸置きをもらったが、琉球村でもらったキジムナー(ベンケイソウ)の葉(ピンで壁に留めておくと葉のぎざぎざから芽が出てくる。)が最高か。ピンで壁に留めておくとぎざぎざから芽が出てくるというのは、友人にもらったセイロンベンケイソウと同じである。より小ぶりで細い。

そうそう、みやげ物屋さんで店を開いていた郵便局の出張店で、沖縄の記念切手を10シートほど買い込む。"rain tree"を送るときに切手貼りの作業がしばらく楽しめる。

國際通りの入口のビルの間に残った古い店の看板。那覇020326  帰りの飛行機の待ち時間が2時間もある。お土産も買い尽くして、レストランで休憩。男はここでオリオンビールと沖縄そばを食べる。わたしはおなかがすかないので、飛行機で食べるおむすびを買う。ジューシーという炊き込み御飯でおいしかった。

 空港内の広場で沖縄踊りを見る(最初の写真)。これが華やかでとても楽しかった。この次来るときは、見足りなかった沖縄戦跡巡りと、芸能観賞を中心に予定を組みたい。帰りの飛行機でもずっとオリオンビールを飲んでいたうちの男。旅行の間ずっと酔っ払っていた。とても楽しい沖縄旅行であった。

 

帰ってきて作ってみた料理

 ラフテーそば(沖縄そば、かまぼこ、煮豚、島トウガラシ)。ゴーヤチャンプル。へちまの味噌煮(やはりかびくさかったな)。ゴーヤ入り卵スープ。ゴーヤ入り味噌汁。海ぶどうの紫蘇ドレッシング。ゴーヤ入りワンタンスープ。島ラッキョウの塩漬けの鰹節和え。
 
<雨の木の下で>2001年☆『セツアンの善人』(布村浩一)へ
<雨の木の下で>田村奈津子追悼(織田京子・土屋敏・佐藤詠子・関富士子)へ
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