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vol.24
<雨の木の下で>  宗清友宏のエッセイ

作品一覧・著者紹介(むねきよともひろ)
宇宙のニュートリノ・シャワーの中で原-環境音楽とともに憧憬の(天)文学へ最新の宇宙論について星界から、その向こうへボイジャー1号のファイナル・ショット朝霧の中に


   宇宙のニュートリノ・シャワーの中で
 2002.10.2 宗清友宏

 ジャンボ旅客機のように一万メートルあたりを飛んでゆく機内において、目をつむって乗っている人の瞼の中に、ふと青い光が広がることがあるという。私自身は体験したことはないが、(或いは体験していても、それを自覚しなかったのかもしれないが、)それは、ある“宇宙線”が大気圏に入射してくる時に、大気中の原子核と衝突して次々に様々な粒子を増殖してゆく空気シャワーといわれる現象において、そこに発生した、特に電子・陽電子などの電荷を帯びた粒子が発してゆく青い光で、「チェレンコフ光」といわれているものだ。一度は意識して見てみたいと思う。

 そうして私たち自身は、ある特殊な時以外には、ほとんど意識することもなく、気づくことも出来ずに、日々、無数に、宇宙から降りそそいでくる宇宙線にさらされているのだが、そうした宇宙線の中でも、もっとも軽く、少し前までは質量がゼロであると言われていた“ニュートリノ”の振る舞いが、何となく魅力的である。この宇宙線たちの多くの高エネルギー粒子は、大気圏で空気シャワーなどの激しい反応・増殖をしてゆくのだが、その中で実にニュートリノは、大気圏にある様々な原子核はもちろんのこと、地球という岩とマグマの塊なぞ、ほとんど無きかのごとくに無抵抗・無反応に通り抜けて、どこかへ行ってしまうのである。私たちの身近な太陽も含めた、宇宙の様々な恒星や、また特に超新星爆発の時に発せられた無数のニュートリノの粒(或いはさらに小さな「ひも」の振動)が、ほとんど何の抵抗もなく様々な宇宙空間を光速で走りつづけて、この太陽系の惑星のひとつを苦もなく通り抜けて、また向こうに走りつづけてゆくのだ。

 しかしそれでも、その軌跡の証拠をとらえようとして、日本においては、岐阜県神岡町にある鉱山の地下1000メートルに造られたのが「スーパーカミオカンデ」*という装置である。それは巨大な水槽を核としていて、その水中をニュートリノが通り抜ける時に、本当に極々まれに何らかの微かな反応を起こし、そのときに発生する荷電粒子によって、やはり水という媒体でも光る「チェレンコフ光」が現れる瞬間をとらえようとするものである。そしてこの装置を使って1998年に、始めてニュートリノにもどうやら質量があるということが分かってきた。けれども、光子はモノにさえぎられて止まるが、微かに質量があるらしいとはいえ、基本的にニュートリノをさえぎるモノはほとんど無いのである。無の素粒子に近い。(或いは、もしかしたらブラックホールには、どこかで取り込まれるのかもしれないけれど。)

 無数の銀河におけるたくさんの超新星爆発や、恒星自体の平常な活動においても発生していくニュートリノのような素粒子が、宇宙の全域を光速で走りつづけていて、私たちの身体など、無きがごとく通り抜けていくのだから、私たちは、ある意味で気楽かもしれない。まだ本当のことなどよく分かっていない宇宙の中で、(地球のことすら本当には分かっていない)私たちも、そのままに日々分かっているとはいえない人生を送っているが、何とか様々なことを考え、活動しながら生きている。その私たちの周りの、身近な“空間”の最中で、本当は何が起こっているのか分かることがなくても、(政治・経済或いは環境だけは充分わかっておきたいのだが、)特に支障もなく、それなりに分かったつもりで人生を進めている。(この日常生活の中で、地球の重力によって私たちの全てが“逆さま”の空間に、逆さまに張り付いたままに生きているなんて、日々実感していたら、堪らない……。)こうした在り方の不思議は、そうゆうふうに生命が、別の前提的で、基本的な原理の中で造られているということでもあるのだろう。私たちは、その中で、日々まっとうすべきことが自ずとあるのだ。「宇宙」は、ちゃんと、そんなふうに大きな大きな物質の要として、見事に、流動的ではあるが造られているのだろう。その、星々という無数の光の細胞をいっぱいに集めて概ね渦状にまとめた、銀河系という、どこかへ向けて広がりつづける無数の葉をつけた、やはり広がりつづける見えない枝の張り巡らされた、球状らしい宇宙樹の揺らめきの中に放射されつづけている、透明な“雨”のようなニュートリノ・シャワーを、そして地上においては様々な宇宙線による空気シャワーを、日々、この瞬間にも、たくさん受けながら、(本当に!)それでも私たちは別に変わることのない、当たり前な目覚めから始まる一人一人の日常を生きている。この気楽さは、或いは恩寵といえるのかもしれない。宇宙樹という、“雨の木の下で”……。

(註) * この装置の前身である、もっと小規模の「カミオカンデ」の時に、1987年2月23日、日本においては始めて宇宙からのニュートリノが検出された。この時のニュートリノは、大マゼラン星雲の中の超新星爆発によって発生したものだった。16万年前の爆発が、その時、地球にとどいたのだ。しかし「人体」の大きさの規模においてさえ、数兆個のニュートリノが我々を貫通していったのだが、巨大な水槽の中を通り抜けてゆく膨大なニュートリノ群において、たったの12個しか、そこで反応しなかったのは、やはり「幽霊粒子」の異名をとるニュートリノの面目であるだろう。それはまさに、稀で、幸運な観測であった。
 また次世代器「スーパーカミオカンデ」による、1998年の「ニュートリノの質量」発見等(この成果はチーム代表、東大宇宙線研究所教授・戸塚洋二氏)の観測も含めて、「カミオカンデ」における観測・実験推進の元を築き、成果をあげた東大名誉教授・小柴昌俊氏に、「ニュートリノ天文学」への道を開いた功績として、2002年10月8日、ノーベル物理学賞が贈られた。“ニュートリノ”ファンの一人として、嬉しいニュースである。
 そして、このニュースの入る二週間前(2002.9.25)に、約11ヶ月間「スーパーカミオカンデ」は装置の故障で観測・実験を中断していたが、また10月から始動するというニュースがあったばかりで、しばらくは半分の能力での観測・実験となるということだったのだが、小柴氏のノーベル物理学賞受賞の明るいニュースによって、その再開にも弾みがついたように思う。



   原-環境音楽とともに
(「個人誌pre-vol.版」2001.より) 宗清 友宏

 細胞がふるえているようだ。
 小刻みに身体がふるえている。寒いわけでも、熱のためでもないのだが、「からだ」が振動している。下肢の小刻みな振動、そして手の、頭部の、けっして外からは見ることの出来ない、小刻みな振れ。

 「からだ」の各部分は、ほとんど聞こえないを出し続けている。
 高音域から低音域、ひっきりなしのノイズ、高周波から基調単音のような低音域の響き……、そして呼吸音、心音。

 静かな闇のなかに横たわっていると、この街の基調振動のような「うなり-うねり」とも、自身の「うなり-うねり」とも聞き分けがたく一体化しているような、様々な周波数の「うなり」、振動音、バイブレーションが聞こえてくる。それは主に三つのパート(高・中・低音域)に分かれているようで、そのパート独自の単音性、振動律で振動しているふうに思われる。
 これは地上の音。

 この地上は様々な音で満ちている。
 二百年前の人が、およそ想像も出来ないような金属的な音響に、都市は現在包まれている。あるいはそうした音は、騒音の内に入るいわば特殊な音であり、情況音とでも言えるのかもしれない。そこで、まず、音に関しては、その太古、誰も聞くものとていなかった古代地球の天鳴動地の大響音からほとんど途切れることなく、様々にバイブレーションを変えながら無数に響き続けている、自然界の音の方に耳を傾けてみたい。

 僕らは、ほぼ自然界の主な音はすでに体験済みであるだろうし、その折々の記憶も情景の中で一体となってあることだろう。α波サウンドともいえる潮騒の、連続-差異-単音、生気が静かに満ちてくる早朝の小鳥たちのさえずり、夏の終わりから聞こえ始めてくる虫の音、そして冬の夜の、雪の降り積む音……etc。

 この原自然の内には、鋭角的な音もあれば、のびやかな音もあり、茫洋とした音もあれば、深く広がる静寂の音もある。そこにまず僕らの原環境音を聞くことが出来る。そしてこの様々な無数の原環境音と、僕らの「からだ」の内的な振動とは、たぶん同じものなのだ。

この血肉、ひとつの振動としてある僕らの身体は、意識する、しないにかかわらず、そのまま大気としての原環境音の中にある。しかし、それは、山鳴り、噴火、雷鳴、滝音のようなパワーの鋭点にある劇的な音響や、海岸線という広大な境界域における最も地球を代表するような波の音、そして地表と大気の熱現象である風の音、また様々な小さな生き物の発する無数の音、等……ほとんど実は位置の置きようによっては、まずめったにない特異音として、また在るか無きかの微細音として地上では奏でられているにすぎないと、やはりそうした場から離れた平野(そして都市!)に住み広がっている我々には思われるだろう。けれどもそれが地震の時などに、いかにも堅固な実体の上に我々が住んでいるかのように思っていたことの、身の置き所のなさを悟るように、自然のエネルギーの膨大な力量の、そのかすかな、地上・気象空間への絶え間のない現れが自然の至るところに聞こうと思えば聞くことの出来る原環境音であり、それは言うまでもなく地球の発している音であることに、やはり意識を向けたいと思う。(それらは、かそけさと静寂の中でも僕らに何かを伝えてくれている。)

 僕らはまだ当然、地球総和の単音を聞く能力も装置も持ち合わせていないけれど、(自転する音、公転域を進んでゆく大地の球のきしみなど……果たして、あるのだろうか?)、この地表の至るところで、身近な自然の奏でる音の旋律を聞くことは、確かにある情感のひとときとしてある。小川のせせらぎ、様々な季節の風、雨の音……我々の、ことさら気にならない、それでいていつの間にかなごむ、原-環境サウンドだ。そして、こうした音のひとつに包まれていたある時、ふとこんなことを考えた。それは、原始地球が形造られつつある太古、まだそこには大気と呼べるものが無く、それ故、地球に音が無かったとき、ただ地上には太陽からの光と闇だけがあった……そして大気が満ち、最初の音が、(それはまだ多くの隕石がぶつかり続ける、すさまじい音だったのかもしれない、)少しずつ地球を包み始めたとき、この地球は独自の成長を始めたのかもしれない……と。

 夜、森林の中、あるいは奥深い山の中などで、単独に、またテントも無いという状況の中で過ごした経験は無いのだが、その深い闇には様々な音色が飛び交い、さざめき、和していることだろう。僕らはたぶん原自然の闇のなかでは、沈黙する以外にすべがない。あるいはそれ故、よくあるように炎が必要になるのだろう。たとえそこが炎の明かりのさほど必要でない、獣の住まない所でも、炎の照らしてくれるわずかな領域に、その物の明暗に、原始の静けさを忘れようとするのだろう。しかしまたその時、炎を点けずに、樹木のざわめき、風の鳴る音、そして様々な正体不明の音の和していく夜の森林の一角にあって、さらに闇の中に身を沈めるように、草木の中、あるいは樹木の根もとなどに腰を下ろし、背をもたれさせ、その原自然の闇のなかで、そこに満ち始め高速度で交信され続けている、ヒトのあずかり知らぬ音に聴き入るのも、ひとつの体験であろう。

 さてそこで聞こえてくる音たちは、どんな感覚に僕らを向かわしめるだろうか。我々の感覚を鋭くする闇、夜ということでも聞こえ方は違うだろうし、森林の中の気温、湿度、そして大きく植生や地質の違いによっても音は異なってくるだろう。そしてその闇のなか、ふと風の途切れたような一瞬に降り立ってくる、もうひとつの深い原環境音としての静寂……。これらの錯綜し響きあう闇のなかで、僕らの感覚は少しずつ原始の音を感じ、恐怖しながらも、またその中で少しずつ外なる闇と音に微妙に混じり合い溶け合って聞こえてくる、自らの内なるいのちの音にも気がついていくことだろう。闇の中、かすかに樹影の上に見える星の光を唯一の光のように思いながら、僕らは少しずつ自らの内なる鼓動と、そして身体の微妙な振動(波動)を感じ始めてゆくだろう。

 この内なる音、いのちの発する音。ひとつひとつの細胞の響きあう音。ひとつひとつのいのちの光点の輝き。様々に響きあっている身体の内なるリズム……ひとつひとつの光点の脈打っている、このいのちのリズム。

 細胞のひとつひとつが生き、その無数の生命の集まりとして、僕らの身体は在り、活動している……この身体の隅々までが、本来生命の光点であり、その光点の振動、パルスが実に僕らというものだ。そして、このひとつの集合体として確かに響いている僕らの周りに、さらにより大いなるパルスとして、静かにやはり確として響き続けている様々な無数の原-環境サウンド……僕らは、その遙かなる調べの中に、今も生きている。

* このエッセイは初出より、題名・内容に少し手を加えた。

   憧憬の(天)文学へ 2002.9.11 宗清 友宏


 高二の頃まで天文学者になりたいと思っていた。学科としての数学・物理は、すでに好きではなかったのに、少年時代からの夢を、まだ持続していた。天文・地学部の仲間たちと天体観測の計画をたてたり、昼休みには校庭に10センチ屈折赤道儀を出して太陽黒点の観測をしたりしていた。その日々に何の疑問もなかった。あるとき現国の先生が〈僕〉の読書感想文をほめてくれ、学校の図書新聞にそれを活字で掲載してくれるまでは……。それから詩や小説を書くようなことが始まった。勘違いしたのである。そして、それが青春なのだろう、ぐんぐんと見事にどこかに落ちていった。それでも天文・地学部と文芸部の二つのクラブをかけ持ちしながら、いろいろ楽しんでいたが、進路は文系になってしまった。しかし文学部の学生時代に幸運にもタルホを発見して、「こんな文学あるんだ」と、また何かを思い出すように息を吹きかえしていった。そして宮沢賢治よりも、自分は硬質なタルホの宇宙感覚の方を長い間良しとしていた。(タルホをA感覚的現象論方向のみの作家などと捉えてはいけない、A感覚とは、本来、感覚自体ではなく、そこから抽象的世界へ、宇宙論へと翔てゆくものだ。)

 天文学は基本的に観測の学であり、光波や様々な波長の電波による宇宙像を出来るだけクリアーに探求して、そこから様々な各論、そして全宇宙に迫ろうとするけれど、宇宙論そのものの仮説は、やはり理論物理学の俊英たちによって提示され続けてゆく。また同時にその二つの学問が常に絡みながら、星界観測によって得られたデータを改めて理論においても証明していこうとする。そうした理論物理学的探求の大切さはすでに天文学者にも了解済みなので、天文台での巨大望遠鏡を天に向けての、夜を徹したロマンに焦がれるような「星見屋」たちの姿は、やはり少しずつ変化していて、より広大な宇宙論のビジョンを内包しての地道な観測を続ける技術者のような姿に、彼らは変わっていったといえる。(現在の宇宙ロマンの、もう一つの方向は、そうして現象を正確に観測してゆくことから見えてくる宇宙映像の素晴らしさや、それが示している事象の面白さとともに、先のエッセイで見たような、様々な宇宙論者たちによる理論とイメージの錯綜した本質的な宇宙論にもある。)

 そうして数学や物理の「言葉」を学ばない者は、やはり天文学者にはなれないので、〈僕〉はそこから急速に魅力を増し始めていたタルホの「童話の天文学者* の世界へ引き込まれていった。それは神秘と宇宙、美学、そして何ものかへの「憧憬」の世界でもあった。……それから、また長く、さらに様々な転位が続いた後、4、5年前からひとつの回帰のようにこうして詩を書くことを始めたのだけれど、その中でも自分は、何となくどこかに還ろう、還ろうとしているようだ。反射鏡、アイピースなどの天文オブジェが持つ雰囲気が周りにあって、その上方に空気の層を通してとどいてくる季節ごとの星々の麗率、シンチレーションが、そのままあるような、そんな処……、詩の言葉や様々な言葉を通しても、どこかそうした言葉が発生してくる以前の、ある初源の空間、そこに何となく還りたがっているようなのだ。しかし、同時に、それがすでに不可能であることも充分に知っている。そして言葉と物質の間に秘められたものが、その「憧憬」を通して少しずつ明けてゆくのを、今、感じている。



* タルホの「童話の天文学者」(1927.1)という作品で、“夢の中の場所”のような所で語る“天文学者”の説として「薄板界」というのが登場する。それは次のような架空の説だ。

「現実世界の時計の針が刻む秒と秒とのあいだに、或るふしぎな黒板が挟まっている。そのものはたいそう薄い。肉眼ではみとめることができない。けれどもそれらの拡がりは宏大無辺である。かりに『夢の板』と名づける。〜天球の外側と薄板との関係について、貴君に簡単な概念を与えておきたいが、それは少し複雑な話になるから、〜。」(『稲垣足穂全集2 ヰタ・マキニカリス』筑摩書房2000.11.15.発行179p~181p)。

 この小説をひさしぶりに読んで、不思議に思ったのは、「タルホ-薄板界」という発想は、ひとつの他界論(夢幻界)かもしれないが、“薄板”という表現の仕方に、先のエッセイで見た現在の宇宙論の中核となりつつある「11次元-膜宇宙」という「ひも」或いは「膜」ブレーンの振動状態として表現できる現宇宙の姿に、よく似た「表現」を感じたことだ。これは単に〈僕〉の空想であるとしても。

   最新の宇宙論について    2002.8.14   宗清 友宏


 暑い夜です。夏は本当はかなり弱い方なので(冬生まれです)、"rain tree"への様々な対応がちゃんとこなせるだろうかと心配です。しかしそうした暑さや、浮世を忘れるためには「宇宙論」は最適です。まあ、暑さはクーラーや扇風機で物理的に解消していくとして、そこから「宇宙論」のロマンに浸ると、100%浮世を忘れることが出来ます。

 さて、そうした宇宙論の中でも、最新の仮説が『エレガントな宇宙』(ブライアン・グリーン著 2001.12.2発行)(註1)という書物で、最前線の若き研究者による分かりやすく書かれた報告書として出されている。しかしそれを買って目次読、斜読、積読(?)しているうちに、とうとう先にTVで『あなたの知らない宇宙』(NHK教育2002.6.28放送)(2)という番組で、イメージしやすい映像を交えて、その書物でも綿密に語られていた「超ひも理論、(別名、M理論)」の現在形が放送されてしまった。もう、ひと月半が過ぎたが、見られた方もたくさんおられると思う。

 そのTVにおいて、最先端の宇宙論の現場では、「超ひも理論・M理論」という新しい理論が、1995年あたりから急速に進展していき、この私たちの存在している「宇宙」や、よくSFでも描かれてきた「平行宇宙、多種多型宇宙(3)の存在を説明しうる理論として、宇宙論者たちの語るところをそのまま聞いていくとするなら、すでにあるというニュアンスで番組構成されていた。(その前段階の理論として、素粒子を点粒子ではなく「小さなひもの輪」の振動状態として説明しようとする「ひも理論」自体は、すでに1960年代終わりころには出ている。この「超ひも理論」は、それの発展型。)

 しかし、まだ、この『エレガントな宇宙』という書物においては、著者のブライアン・グリーンは、こう記している。「超ひも宇宙論の研究は、急速に、活発で実りの多い研究領域になろうとしている。例えば、ビッグバン以前のシナリオは、すでに、相当な量の、激しく実り多い論争を生み出しており、ひも理論から最終的に出てくる宇宙論の枠組みのなかで、これがどんな役割を演じることになるのか、さっぱり定かでない。ここから宇宙のはじまりを見通す成果を得ることができるかどうかは、物理学者が第二次超ひも理論革命のあらゆる側面をつかむことができるかどうかにかかっている。」(同書482p) これは、TVにおいて、様々な宇宙論者たちが自らの仮説として語っていた全宇宙発現の理論が、「M理論」(ミステリーのM、膜=メンブレンのM、等の意味)、また「11次元-膜宇宙論」として、すでに出され確定的であるかのように構成されていたことが、やはり、まだまだその途上の、現在形の最中にある仮説なのだということを示している。

 しかしそれでも、リアルな宇宙論者たちの実際の語り、説明、そして映像によって示された新たな仮説「宇宙論」の面白さとすばらしさは、この「M理論」が開く可能性の姿として、またB・グリーンがこの本を書いた1999年以降に明確になりつつある動きの一つとして、(2001年以降、この現在までの一年間で発想された仮説もある)、現時点、2002年でのTVによる編集報告ということもあるので、その現在形の姿が、やはり見ていて、かなり心にグンときた。そこで展開されていた宇宙論者達の、とてつもない発想と理論には、正直、ただただ驚くばかりだった。それをひとつのイメージ仮説として見てゆくとしても、すでに現時点では概ね説得力があり、とうとう宇宙論はこれほどの領域まできたのかという思いをもつ。そこには次のようなイメージが語られていた。

 我々の、こうしてワープロを打ったり、インターネットを見たりして生存している、このビッグバンから展開され約150億年も膨張し、その中で我々も含めたすべての素粒子・元素を創り続けている、目に見えるひとつの宇宙運動体とは、〈物質発生〉についての基礎理論でもある「超ひも理論」さらに「M理論」によると、振動する一次元「ひも」、或いは二次元「」の奏でている、あらゆる振動数からなる「膜宇宙・泡宇宙」のようなものとして、数学的に仮説された11次元の時空に浮かんで、脈動しているというのである。しかも、その名状しがたい11次元時空にはエネルギーシート型・膜型の宇宙や、我々の泡型、球型宇宙、さらにはドーナツ型、円筒型など、その形において脈動する無数の宇宙が浮かび、漂い、さらにそれらは「嵐の海の中のように、無数の泡がぶつかり合い」動き回っている状態であるとさえ仮説されているのだ。すなわち、こうした無数の形の脈動宇宙が浮かんでいる新たな“”が、さらにそこには広がっているということである。

 そして、その脈動する11次元時空の中で、無数に動き回る「膜宇宙」のうちの二つの近接する“膜”が、波打ちながらしだいに近づき、所々がぶつかり合い、その“膜”のぶつかり合いの一点が、さらにまたビッグバンとして発生して、そこから新たな物質元素が生まれてゆく、我々が住んでいるようなひとつの「ビッグバン宇宙」が創りあげられてゆくというのだ! これは科学的幻想ではなく、れっきとした数学的推論から導き出された仮説なのである。こうした「膜宇宙」が二つ平行して並んでいるという形もある、新しい「平行宇宙論」の世界、そして、さらには、その無数の宇宙全体に広がる、次なる「階層宇宙」の出現……、とうとう、こうゆうことになってきたかと、まず思った。

 11次元時空自体は、数学的に、「ひも」或いは「膜」が振動することが出来、物質を生ずることの出来る空間の可能性を10次元空間の中に見て、それに「時間」の1次元を加えて11次元とされているのだが、無論、どんな数学或いは幾何学によって、我々の住む3次元+時間の4次元時空に、さらなる「次元」をあと七つ加えるのか、私には解らない。これは「ひも理論」の段階における方程式によると、10次元時空(9次元+時間)の存在をたてることで、その方程式が成り立つというのだが、さらに「超ひも理論・M理論」では、そこにプラス1次元を増やして方程式を見ると、これまでに5種類も発見されていた「ひも理論」を統一した、新しい、全宇宙を見ていくことが出来るような仮説が成り立つという。

 また番組では次のようなナレーションもされていた。そこが不思議に私には強い印象として残った。その11次元時空とは、「実は3次元の世界のあらゆるポイントから“1兆分の1ミリ”離れたところに存在している、といいます。極めて近いところにあるのですが、11次元を感じとることは出来ません。」(4) こう語られていた。そして、この内容と同じようなことを「ひも理論、10次元」の説明においてB・グリーンは書物の中で次のように記している。(5)

「つまり、まずひも理論によれば、これまで予想されなった次元が六つある。そしてそれらはおなじみの三つの拡がった次元のすべての点に巻き上げられて存在する。〜この六つの次元は空間の織物の不可欠で遍在する部分だ。それらはいたるところに存在する。例えば、手を振って大きな弧を描くとき、手は三つの拡がった次元のなかだけではなく、巻き上げられた次元のなかをも突っ切っているのだ。」(『エレガントな宇宙』284p)

 この説明の方が、少しイメージが可能だろう。B・グリーンが書物の中であげていた図によって、この説明を少し補足してみると、我々の3次元宇宙空間のすべての“”(物質・素粒子であろうが、我々生物であろうが)の〈超-近く〉に、カラビ-ヤウ空間といわれる幾何学図形を使ってイメージできるような、ウロボロスの蛇がさらにごちゃごちゃしたような極微空間に六つの空間次元が織り込まれ、巻き上げられているとされていて、しかし実にそのこと自体は、我々にはまったく実感出来ない秘された数学的時空であることは確かである。

 ここから少し自分の感覚を交えながら、思考実験のように、この事実について記してみると、……日々の生活における、ちょっとした身体の動きそのものが、そこで無数の11次元時空を秘めている場所の傍らを、自らもその身体に11次元を秘めた存在として移動してゆくこととなるのだが、そのことにはまったく気がつくことの出来ない我々自身、これだけ色彩に満ち、明確に在るように見えながらも、実は、逆に、こちらからはけっして見えないその11次元時空の中に、我々ももちろん含めて、案外スカスカの薄いものとして、この宇宙運動体そのものはボワーと広がった全銀河の動きとともに現象しているだけなのかもしれないという感覚もあり得るだろう。我々を創り、我々とともにある三次元の物質とは、或いはそんなものなのだということを、ここで考えてもいいのかもしれない。そうした11次元時空についての事実(仮説)を知るとき、その事実から感受、或いは想像してゆくことが可能な、こうした不思議なリアリティーについての思いをはせてゆくことは、それ自体が面白い思考実験だと、私は思う。

 そして、まさに想像力豊かなTV映像によるイメージのように、我々の生存している宇宙運動体が、そこに展開しつつ浮かんでいるという、その11次元時空そのものが、3次元宇宙のすべての“点”から、〈超-近さ〉の中に繰り込まれ、巻き上げられて在るというとき、それを我々の五感たる光波・電磁波・音波などでは感覚出来ないのはもちろんであろうけれども、それ以外の何らかの非物質的「感覚」(物質自体を、単に薄く現象しているものにすぎないと見える感覚)が人間にもあるとするなら、その「感覚」において、何かのはずみに、この全宇宙の外にも遍在しているといえる11次元時空の恐るべき揺らめきを感じたりすることもあるかもしれないと空想すること自体は、ぞくぞくする。むろんそれは空想そのものかもしれない。しかし、この我々の全宇宙をさえ、あっけなく創ってしまうほどのものすごいエネルギー状態としても存在しているものなのだから、それを我々には、まったく見ることも、気づくことも出来ないものであるにしろ、大きな意味でも、その11次元時空の中にいるはずの我々が、その眼の前(或いは眼の中)にさえあるともいえる遙かな揺らめきを、数学においてのみではなく考えてみようとすること自体には、何らかの意味があるかもしれないと思う。そして、そうした我々の、すぐ目の前にある果てしなさの中に即身で入り込み、それを生身で考えてみようとすることこそが、実は「思考実験」や「宇宙論」の醍醐味でもある。しかし、実際に、その11次元時空の海の揺らめきすらが、この我々の住む次元の傍らに、超々微細空間として秘されてあるなんて……。

 さて、ここで最新宇宙論から感受されてゆく夢幻のような話からは少し離れて、最後にちょっと「詩」についての思いをこめて、自分がこうした形で「天文・宇宙」のことを書いてみようと思った理由のひとつを書いてみたい。

 この宇宙論についてのTV番組では、さらに、「重力」として現れる現象の「弱さ」(6)についての謎から、我々の宇宙の近くに続いているらしい、もうひとつの「平行宇宙」の存在を数学的に計算して、その存在を証明してみせるという女性宇宙論者の姿も紹介されていた。そこで、彼女は、この我々の宇宙における重力現象の弱さとは、その向こうに本来の強い重力を持っている「平行宇宙」があるから、こちらの宇宙には、そこからの強い重力の何らかの作用によって弱められた重力しか働かなくなっていると仮説し、「私たちは重力のしっぽを見ているだけなのかもしれません」と語るのだが、その理論や語り口を見ていて、よくこんな発想が出来るものだと思うのだ。二つの平行する宇宙同士の間にすら作用してゆく重力という現象の深さなんて……。これは数学的推論の中から出てくる発想なのかもしれないが、こうした宇宙論者の発想の姿こそ、本来、“詩”そのものではないのか? と、私個人は強い憧憬を覚えながら思う。

 また「ビッグバン」を生み出す二つの膜宇宙の接近、衝突という仮説理論は、まさに科学者たちのひとときの列車の中での対話から生まれた「イメージ・発想」をもとにして造られていったというのだ。基礎に数学的推論があり、11次元時空についての宇宙論者のイメージがある程度出来ているから、そこから先の「イメージ・発想」が対話の中から生まれてゆくのだといえるのだが、そうした、全く「形」のないところから、何か思いもよらない「イメージ」を創出してゆくこと、それこそが“詩人”の仕事ではないのか? しかし、これは数学の言葉を使えない者の、かなわない憧憬の裏返しなのかもしれない。でも日本語の“詩”の言葉を使って、果たして、そんな「宇宙論」が発想され、推理され、推論され、ひとつの「宇宙論」として空想的であるかもしれないが、書くことが出来たら、それは非常に面白いことかもしれない。ただでさえ分からない“詩”の言葉であるのだから、その分からなさを、そのまま「宇宙論」の極みまでもっていけたら面白いと思う。或いは埴谷雄高が、そのかなわない幻想にとりつかれて、「非在宇宙」の新システムを言葉ででもでっち上げようとしたのかもしれない。けれど、そのくらいの勇気は、詩人も持っていいのではないかと私個人は思う。その中から面白い光景が“詩”としても見えてくるのではないか? と、ひとり憧憬する。

 さて、以上のような「宇宙論」から、少しは浮世を忘れることが出来たでしょうか? むろん私たちの宇宙は、浮世そのものとして、ここにあります。



 
(1)エレガントな宇宙ブライアン・グリーン著 草思社 2001.12.2発行 原著は1999年発行。
(2)あなたの知らない宇宙』NHK教育「ドキュメント 地球時間」2002.6.28放送、イギリスBBC制作 2002。
(3)平行宇宙」: 細部は無限に違うかもしれないが、全体像は、よく似た同型の宇宙。
(4)現在のクォークなどを研究する原子核物理学や高エネルギー物理学においては「100万分の1ミリの〜さらに十億倍も小さい長さのスケールにまで到達して〜」(*) とある。これは10の16乗分の1ミリとなり、ナレーション内での“1兆分の1ミリ=10の12乗分の1ミリ”よりも、さらに小さい単位まで研究されているのだから、この“1兆分の1ミリ”という数値は、これでも少し大きすぎるのではないかと思う。番組では確かにこの長さを言い、しかし詳しくは説明されていなかったのだが、それでも大きすぎる数値のように思われる。ただ、このこととは別に、ナレーション自体の示している内容はすごく印象的だった。
(5)「ひも理論における10次元」と「M理論における11次元」の、その1次元のプラスこそは現在進行形の仮説・推論のまっただ中にある。しかし、それらの理論の基本は変わらないといえるので、B・グリーンはこのように記している。
(6)どう見ても、この宇宙で働いている重力の力が理論上、弱すぎるという。


(*)現在の最新宇宙論についての書物は、ここであげたB・グリーンの本とともに、高名なスティーヴン・ホーキングの『ホーキング、未来を語る』(2001.12.21初版 アーティストハウス発行、角川書店発売)が多くのカラー図像入りで楽しめる。(この註4における「*」 の内容は、この本の200Pから。)宇宙論自体における立場は、超ひも・M理論の研究者B・グリーンとホーキング博士は違うが、こちらの本では、M理論の開きつつある、より詳しい「Pブレーン」という理論が図像入りで説明されている。超ひも理論では一次元の「ひも」ブレーンと、二次元の「膜」ブレーンが主な対象になっていたが、この「Pブレーン」においては、さらに0次元の「点」ブレーンや、3次元の「立体」ブレーン、〜以下「P次元のブレーン」の振動による「宇宙」も語られていて興味深い。またこれらの宇宙論の基礎的理論としての「ひも理論・超ひも理論」についての本では、TVでも多く語っていたミチオ・カクという日系アメリカ人の宇宙論者が共著で書いた『新版 アインシュタインを超える』(ミチオ・カク、ジェニファー・トンプソン 共著 1997.3.20.発行 講談社ブルーバックス 原著は1995年発行)という本があり、「超ひも理論」がつくられていった1995年までの25年間くらいの過程が、それ以前の物理学の進展とともに綿密に語られている。

 こうした物理学者の描く「宇宙論」の世界には、私が少し記したような日常的感覚を「トランス」するような視点からの記述というのは、ほぼ無く、まず対象自体は「神秘」ではなく、純然たる物理学的理論から導き出せる「宇宙論」だという、当たり前であるけれども、まっとうな立場からの物理学者としての記述であり、まずこちらの3冊のほうが存分に楽しめる本だということは言うまでもない。宇宙論者たちが、物理学的現象に対して純粋数学における証明をたててゆくようには、やはり理解できない単なる「天文・宇宙ファン」である私は、それを「感覚或いは非感覚」のレベルにおいての個人的空想として、そこから受ける宇宙についての感覚を描こうとしているにすぎない。その「代置」には、本来、あまり意味はない。ただそこに自分の感ずる小さな「思考実験」への意味を少し加えてみようと思ったにすぎない。このことは記しておきたい。

 星界から、その向こうへ     2002.8.7  宗清 友宏

 この8月、9月は、全天の星座のなかでも明るい星の多く見られる月であり、またよく知られている様々な星座が夜空を翔ていく月だ。白鳥座、琴座、鷲座が天空を進み、南天ではさそり座がうねり、そして春の星座は趣を変えて西空にかかってゆく。我らの灼熱の兄弟星、金星も、今その西空に最大等級の輝きで光っている。夏のこの時期になると、昔よくやっていた様々な天体観測の手順を、ふと思い出すことがある。8月12日の夜から13日の深夜をピークに、北東の空を輻射点として年に一度かならず見ることの出来る「ペルセウス座流星群」も天体観測の初心者には必見のイベントである。それは、昨年話題になった例外的な「獅子座流星群」の出現数には、始めから及ばないのだが、「ペルセウス座」での一時間平均30個は普通多いほうである。その「獅子座流星群」も、ここ四、五年、最適のダストの中を地球がとおっていくので、これほど有名になっているけれど、昔はあまり相手にされない流星群だった。しかし随分と観測自体からは離れつづけている自分でも、昨年の様々な好条件がかさなる「獅子座」は、ひさびさに、これは是非見たいという思いのイベントとしてあり、真夜中、庭に寝椅子を出して、思いっきり、あのグリーンの痕が多く見られた流星群を時間を計り数えていた。とにかくよく流れた。こんなに流星が連続して流れてゆく光景は、実にはじめてだった。そして伝説の「流星雨」も、そこに少し想像出来たのだけれども、本来、天文ファンにとって、夜を徹しての流星群観測は、昔から夏場の「ペルセウス座」がもっともポピュラーであり、平均してよく流れ、私たちにはキャンプの楽しさも含めて恒例としてあった。

 この夏、関さんの"rain tree"サイトに参加させていただくことになり、エッセイの方ではテーマを「天文・星界」において、短いものを少し書いてみようと思う。「詩」のサイトに、ほとんど関係のないエッセイになるかもしれないけれど、夏の透明な夜空を、みなさんも時々見上げて、私たちの居る場所に思いをはせてみませんか。

 さて今回のテーマは、国立天文台ハワイ島に設置した「すばる望遠鏡」についての自分なりの思いから。

 天文学は、現在やはりアメリカのNASAの宇宙技術を頂点として、「ハッブル宇宙望遠鏡」のめざましい深宇宙への観望・撮像とともにどんどん新たな領域に踏み込んできているが、1999年1月末に完成した日本の「すばる望遠鏡」も、そうした新たな天文学の次元に参加しつつある、日本の誇れる世界一の口径を持った望遠鏡である。「すばる」はハワイ島マウナケア山の山頂(標高4200m)に建造され、地上からの観測としては、かなり解像度の高い様々な星界撮像を提示してくれるようになった。その口径8.3m(有効口径8.2m)は現在世界一の口径(註1)で、「ハッブル宇宙望遠鏡」の透明度満点の環境における宇宙映像の解像度には及ばないけれども、それに次ぐ見事な天体映像を我々に送ってくれている。インターネットの「すばる望遠鏡」サイト(2)も、有名すぎるNASAの「STScI(宇宙望遠鏡科学研究所)」サイト(3)に負けじと、自前の、日本の技術力によって得られた星界映像を様々紹介してくれている。(このサイトを見れば、現在の日本の天文学が達しているレベルが私たちにも少し分かる。)こうした天文学、星界映像についての興味とロマンは、昔、自分が高校生までは天文少年をやっていた頃から飛び飛びに持続していて、時々びっくりするような進展があると、またひとときそれに関連したものを見ていくことが続く。

 この「すばる」のように、1990年代には様々な方式の巨大望遠鏡が次々に造られていったが(4)、それまでは1948年に造られ、それから実質的には40年以上にわたって、世界一の口径と観測内容を誇っていたアメリカ・パロマ山天文台の5m・ヘール望遠鏡が、古典的とも言える見事なドーム型の天文台と、反射鏡を支える太い枠組みの美しい、まさに近代的フォルムとして、我々の永い憧憬の的だった。(天文学は常にモダンのトップスターである !? )(5)。そして、そこから「すばる」のような巨大望遠鏡を日本が独力で持てるような時代が来たことは、やはり宇宙ロマンを身近なところにひとつセットした画期的なことだと思う。すでに運転開始から3年半を過ぎ、これまでに「すばる」が主にどんな観測対象に向けられて星界のデータを蓄積し続けてきたかは、国立天文台と各国の研究機関で様々に計画されてきた使用プロジェクトが「すばる」サイトにも「共同利用観測、(アーカイブ)」として、ある程度公開されているので、私たちにも指定してある手続きをふめばちゃんと見ることが出来るのだが、しかしこの観測データは基本的には研究者用のものとしてあり、データ内容(大容量ある)もユーザー登録したうえで専用のソフトを使って見なくてはならないので、そこから具体的に内容を確認してゆくこと自体は難しい。けれども、その研究成果のダイジェスト版が「最新ニュース」として時々出てくるので、これまでは『ニュートン』などで何ヶ月か後になって読者に届けられていた天文ニュースが、かなりリアルタイムで天文ファンには見ることが出来て、その直接性がやはりうれしい。そしてそのニュースを見ながら、様々な光年域で展開されている宇宙の事実と映像ロマンに自分なりの思いを向けることが出来る。そうして「ハッブル」(6)に準ずる解像度を現在持っている「すばる」は、持続的に様々なデータをこれからどんどん蓄積してゆくことは間違いなく、まさに日本の天文学の「深宇宙黎明期」がそこにあり、それを私たちはリアルタイムで体験してゆくことが出来る時代になったのだ。私たちは個人的な小さな天体望遠鏡ではなく、世界一の大口径望遠鏡の活動をサイトを通じてではあるが、割と身近なところで追体験してゆくことが可能になったのだ。これは以前では考えられない事態である。我々の身近なところに“深宇宙”が広がっているのである。

 “深宇宙”は想像を絶して広大だ。人類の、宇宙へのイマジネーションは古代の神話的コスモロジーから発して、まず少しずつ地動説や太陽系惑星の運動法則を組み立て、次に銀河系の発見(この発想自体は18世紀の総合科学者、のちの神秘家スウェデンボルグに、すでにあった)、そして20世紀におけるビッグバン仮説、銀河団分布の大構造の発見(7)、また「ハッブル」においての最深宇宙の撮像等、ほぼその時代の観測器具の発達とともに進んできたと言えるが、その根本的動機として、我々のこうして在る場所、生きている時間についての事実を求めようとする思いは、やはり人類の本能のひとつだという気がする。これまで様々なコスモロジーが仮説されては、時間をかけた厳しい検証が観測結果とともに行われていったが、そうした検証の頼もしい道具の1つとして「すばる」は宇宙という現在進行形のドラマに地上からではあるけれども立ち会おうとしている。私は、その宇宙ドラマを観劇しようという意志をもった装置や、人類の「時空」解明へ向けての本能を、まったき良きものとして、彼ら最前線の宇宙論者たちの提示するロマンを、いつまでも追っていけたらと思っている。そして銀河団分布の大構造の先、そこに果たしてどんな全宇宙の膨張と動きが、現在進行形で、ここに広がっているのか……、或いはそうした全宇宙の運動体そのものでさえ、そのビッグバンという出発点(特異点)以前にさかのぼることの出来る、名称しがたい空無の中から、たいした脈絡も本当はなく、ふと萌した、在るか無きかの“薄い薄い何か” として、ここに現れているのかもしれないという幻想に、ひとり浸るひとときに、「在る」ことの不思議さがありありと立ちのぼってくる。




(1)「現在世界一」というのは、2002年8月の時点でのことであり、残念ながら今年中に追い抜かされる予定だ。また「世界一」とは「大きな一枚鏡」における口径でのことであり、すでにたくさんの小さな反射鏡を組み合わせて造られた「モザイク鏡」というので、マウナケア山の「すばる望遠鏡」のすぐ隣に二台続いてセットされているアメリカの「10m、ケック望遠鏡T・U」(1993年、1996年完成)が口径自体では世界一だ。しかしやはり「すばる」の「一枚鏡」のほうが、解像度自体は上ではないかと、なんとなく、ひいきめに考えたい。また今年中に「すばる」の口径を超える望遠鏡は、現在アメリカのアリゾナ州グラハム山で建造が進んでいる「大双眼望遠鏡(LBT)」といわれるもので、これはなんと8.4mの一枚鏡型望遠鏡を双眼鏡のように二台並べて宇宙を観測するという壮大なものだ。「すばる」以上のものを二つセットにした構造の中で組み立てるというのだから、まさに世界一である。そのひとつが今年完成するという。これはアメリカの大学をはじめ、ドイツ、イタリアの天文台が共同で計画して建造中のものだ。
(2)すばる望遠鏡」サイト(http://subarutelescope.org/j_index.html)
(3)ハッブル宇宙望遠鏡」サイト(http://oposite.stsci.edu/pubinfo/pr.html)
(4)現在は、まさに50年ぶりの巨大望遠鏡の開花期である。(1)に記したもの以外にも、すごい望遠鏡群が南アメリカ、チリ、アタカマ砂漠のパラナル山にある。これはベルギー、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデンの五カ国によるヨーロッパ南天文台(ESO)が建造したもので、「ベリー・ラージ・テレスコープ、VLT」と呼ばれ、ほぼ「すばる」クラスの8.2m一枚鏡の巨大望遠鏡が、なんと四台(!)も並んで置かれ、それらを合わせると口径16mの望遠鏡に匹敵する集光力をもつという。すでに1998年5月から2000年9月までに四台とも完成している。こうした巨大望遠鏡が様々なところに造られてゆく世界的な時代の流れに、日本の「すばる」も何とか乗ることが出来たのである。
(5)実は旧ソ連で1976年に6mの経緯台式望遠鏡ゼレンチュクスカヤ天文台で完成されていた。何となくそのニュースは聞いていたものの、そこから世界に発信される天体画像に、ほとんどお目にかかったことがなかった。その理由は、どうやら口径だけはパロマ山天文台のヘール望遠鏡を抜いているのだが、まったく精度が悪くて、観測内容そのものは、とてもパロマ山天文台におよばなかったということらしい。
(6) 「ハッブル宇宙望遠鏡」は1990年4月に打ち上げられ、予定では2005年までの15年間の使用計画だったが、機能維持がうまくいっていて、2010年まで使用されることになったという。次世代機も、様々計画中だが、まだ打ち上げの具体的予定はたっていない。
(7)部分的に見ると銀河団が、様々な巨大な泡(ボイドとよばれる空無の空間)の接面や表面に沿って「万里の長城」のように流れるように続いていく大構造のあることが発見されている。しかし全宇宙においてはそれでも均質な分布構造になっているという。こうゆう銀河団の示す面白い構造は、ビッグバン以降にゆるやかに現れていった宇宙背景放射における微妙なゆらぎによるものとされている。

*様々な巨大望遠鏡の現在については『巨大望遠鏡時代 すばるとそのライバルたち』(著者:野本陽代、2001.8.28発行、岩波書店)を参考にした。

ボイジャー1号のファイナル・ショット    2002.8.7   宗清 友宏

 すでにもう11年も前の発行になるが、見るたびにある感慨を与えてくれる『ニュートン別冊・太陽系グランドツアーという科学雑誌がある。そこには、今では懐かしい感もしてしまう、ボイジャー1号、2号によって撮された太陽系の諸惑星の美しい写真も多く掲載されている。これらの写真は79年3月の木星から始められて、89年8月に送られてきた海王星の写真まで、様々な惑星の至近距離からの撮影であり、このボイジャー1号、2号からの写真によって、始めて我々が目にすることの出来た鮮明な諸惑星の素顔は、驚くべき表情を見せ、またアートのように美しかった。

 そしてまず様々な写真を送ってきたボイジャー1号が最後に土星の写真を撮した後、太陽系の中を他の惑星とは遭遇する軌道をとらずに、(それは兄弟の2号に任せて)、少しずつ水平軌道面からも斜めに上昇するように離れていった10年後の1990年2月、この太陽系全体を斜め上から俯瞰し得る位置まで達したとき、ボイジャー1号の「ファイナル・ショット」ともいうべき写真が撮られた。それが『太陽系グランドツアー』の中でも、私には最も印象に残る写真となった。

 60億キロも離れた孤独な宇宙空間から撮られた太陽は、それでも明るさ、眩しさは衰えることなく、この宇宙空間域での唯一の天体であるかのように輝き、そしてそこからごく間近なところのように見える空間に、金星と地球の、それこそ針の先のような小さな小さな光点が写っていた。(それは同時撮りによるものではなく、対象の露出がまったく違うので別撮りで撮られた写真を正確な位置にトリミングしたものだったが。)そこにかすかに見える金星と地球は、太陽の巨大な光の中の塵のように、その空間の中に、二つ漂っているようだった。宇宙空間における太陽の光とエネルギーの凄さは、やはり太陽系といっても、本当は太陽のみがここに輝いているのだと印象されてくるほどのものだ。あとの金星や地球くらいの惑星は、水星・火星も勿論含めて、もう太陽系の中でも、ほとんど在るか無きかの一つまみ以下の「土」の粒子だ。(このトリミング写真には含まれていない木星・土星が、そこに何となくあるという、小さすぎるガス球の光をポッと出している感じなのだろう。)

 そして太陽の遮るもののない輝きと、その左方に、ある距離をおかれてポツンと二つ塵のようなものが漂っている写真を見ていると、この“点”のようなところ、むろんさらなる宇宙の中では極微のようなところに、我々や同じく全動物たち、全植物たち、さらにはアメーバや無数の細菌たちが、ここで誕生した、ほぼ同類として生きているのだという思いが現れてくる。こんな塵のような「土」の上に、我々はこんなことをして生きていて、そこに国境なんかつくってやっているのだ……、その宇宙的事実にぶちのめされるために、私は時々、このボイジャー1号の「ファイナル・ショット」を見ることがある。

1991.6.10 教育社発行。『ニュートン』は現在、三省堂からの発行に変わっている。



朝霧の中に (俳文)「個人誌 pre-vol.版」(2001)より   宗清 友宏



 早朝、何か気になってカーテンを早く開けた。いつもは、まだ寝ている時間だ。起きあがり、手を伸ばしサッサッとカーテンを引くと、飛び込んできた景色は思いもよらなかった。濃い霧が外界を別世界のようにおおっている。霧の中で、庭の樹木は静かに眠り続けている。いつもならそろそろ車の騒音が始まる頃なのに、静かだった……それでふとカーテンを開いてみたのだった。

 ベッドに入ったまま、霧に動こうともしない庭や、道向こうの、ようやく輪郭だけが浮かんでいる家やらを、私はしばらく見続けていた。きのうの雨が今朝はこうして濃霧に変わっている。その光景は見飽きなかった。三十分ほどもそうしていて、少し明るさが出てきたので、私も早く起きることにした。洗面所から裏の少し離れた家を見ると、やはり霧におおわれて、家の輪郭だけが見える。鳥の声も、まったくない。時々ゆっくりと通り過ぎる車の音のみが、この世界にある。視界の無くなる世界……そして音も吸収されてしまったような世界、その中に眠りこけた物体や生命が、わずかな輪郭だけで「世界」を創り、そしてそれがすべてなのだ。

 私は庭に出て、霧の中に立った。静かに、薄い薄い水気が私を包む。視界は約二十メートルというところか……それから先はもう見えない。物象の、静かな、色の抜けたようなたたずまいが私の周りにある。私はふと上方を見上げた。そして、ただ薄い乳白色の空間だけがボーと広がっている沈黙の世界の中に、ひととき安らぐように漂っている自分を感じ続けていた。


霧みちて静けさそっと手のひらに


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