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vol.24
<詩を読む> 

カプリンスキーとは何者か?

経田佑介訳『カプリンスキー詩集』を読む
中上哲夫
 カプリンスキーとは何者か? ロシア人か、ポーランド人か。
 ドストエフスキーボズネセンスキーはロシア人で、映画監督のロマン・ポランスキーや女探偵W・I・ウォーショフスキーでおなじみの作家サラ・パレツキーはポーランド系。だけど、ブコウスキーはそのどちらでもなくて、ドイツ系だ。
 カプリンスキーの名前を知ったのは、そんなに昔のことではない。ビート仲間の経田佑介を通してだった。

 ヤーン・カプリンスキーは、エストニアの詩人だ。
 エストニアといっても、ぴんとこないひとがいるかもしれない。ヨーロッパの地図をひろげてもらいたい。北の方のフィンランドの海(フィンランド湾)をへだてて向かい合った国がエストニアだ(ラトビア、リトアニアとともにバルト三国といわれる)。面積は四万五千平方キロメートル、人口一五〇万人(一九九四年)。氷河期には氷河におおわれ、森林や沼沢地が点在する、やせた、九州ほどの土地に、大阪市ほどのひとびとが住んでいるといったことになる。
 過去、デンマーク、スウェーデン、ロシア、ドイツなどの侵略と支配を受け、1991年のソ連邦の崩壊によってやっと独立をかち得た。

  東西の国境はいつもさまよっている
  東にいったり 西にいったり
  今はどこかはっきり分からない
  ガウガメラか ウラル山中か 自分のなかなのか
  だから耳、目、鼻孔、手、足、肺、睾丸
  あるいは卵巣の片方はこっち、もう一つはあっちだ
  心臓だけ、心臓だけはいつも片方にある
  西側にいて、北の方を眺めていると、
  東側にいて、南の方を眺めていると、
  口をひらくにも、肩入れするにも困惑するのだ
  どっちにするか、あるいは両方か
(「東西の国境はいつもさまよっている」全行)


 大陸の小国にもれず、苦難の歴史を持った国の詩人だからこそ書き得た詩だといえよう。被占領経験のほとんどない“平和呆け”の国の詩人には逆立ちしても書けない詩だ。さらにいうと、エストニアとポーランドの間をゆれ動くかれのアイデンティティの不安を物語った詩だと思う。
     *      *
 ヤーン・カプリンスキーは、1941年、エストニアの首都のタルツで生まれた。タルツ大学でポーランドの言語と文学を教えていたポーランド人の父親は、ソ連の秘密警察に捕えられ、強制収容所につれていかれた。以後、消息不明。カプリンスキー本人がいうには、「もし今も父が生きていたなら、たぶんわたしはポーランドか西側の国に移っていって、エストニア人にはならなかったと思います」(白石かずこ訳「記憶と反射」)。母親の方は、エストニア人。
 1988年1月にカナダのカルガリーのオリンピック作家週間で本人に会った白石かずこの話では、カプリンスキーはきわめて物静かで寡黙なひとという印象だったという(だいたい詩人は口数が少ないひとが多いけど、おしゃべりな井川博年のような詩人もいるからなあ!)

 息子とわたしは家にむかいはじめた
 もう夕暮れがせまっていた 西の空に
 月がのぼりかけ そのわきに
 星がひとつ 息子にそれを見せて
 月をどう迎えるべきか説明してやった
 あの星は月の従者だということも
 家のちかくにきたとき 息子は
 月は遠いね、私たちが行った場所くらい
 遠いね、と言った
 月はもっともっと遠くにあって、
 計算でわかるんだよと、教えてやった
 かりに人が一日十キロ歩くとすると
 月に着くまでおよそ百年はかかるけれど
 かれが聞きたいのはこんなことじゃなかった
 道はもうほとんど乾いていた
 川は沼地になっていた アヒルやほかの水鳥が
 夜の始まりを騒ぎたてていた 足の下で
 雪道がきゅっきゅっ鳴った また凍り
 はじめたにちがいない どの家の窓も
 暗かった 私たちの家の台所だけ
 ぽつんと明るかった 煙突のわきで
 月と星がひとつかがやいていた
「家にむかいはじめた」全行)


 外国の詩を、それも翻訳を通して読む場合、ぴんとこないことが多い。しかし、カプリンスキーにかぎってはそんな障害をほとんど感じない。どうしてだろう。エストニアやカプリンスキー個人を知らなければ理解できない観念やイメージがほとんど見当らないからだろうか。

 ルネ・シャールは、詩人には伝記は不要だといった。作品を伝記的事実によって読み解く十九世紀的文学観を拒否し、テキストにじかに向かうべきだという考えからだった。かれの考えは基本的に正しいと思うけど、バックグラウンドを知ることによって作品をより深く理解できるということもあると思うのだ。とはいえ、カプリンスキーに関しては、個人的なことはほとんど知らない。相当な学者のようだけど大学で教えているのか、それとも筆一本で食っているのか、それさえもわからない始末。

 妻と五人の子どもがいて、夏は田舎のサマー・ハウスですごす習慣だという。しかし、作品には息子のことはたびたび出てくるが、妻や兄弟、父母のことはわたしが読んだカプリンスキーの唯一の書物『カプリンスキー詩集』には出てこない。

 個人的な事柄を詩の題材にすることが多い詩人にしてはふしぎな感じだ。
 カプリンスキーの詩はいずれも北国の自然/風土を背景にしていて、この詩(「家にむかいはじめた」)も例外ではない。エストニアは高緯度にあるため冬の寒さは厳しく、1月の平均気温は零下5度。そして、7月の平均気温は16度で、夏の気温はあまり上がらない。

 「かれが聞きたいのはこんなことじゃなかった」と書いているけど、ではいったい「息子」はなにを聞きたかったのか? ノー・ヒントでは読者としてはただ想像をめぐらせるしかない。気になるのは「月は遠いね、私たちが行った場所くらい/遠いね」という「息子」の言葉だ。この日、「息子とわたし」の二人はいったいどこへ行ったのか? どんな用事で? またもや、ノー・ヒントだ。ただ二人の口と足取りの重さからすると、出かけて行った先はかなり遠い距離で、気の重い用件だったにちがいない。そして、「息子」がほんとうに聞きたかったこととは? そこにこの詩のモチーフが隠されているように思うのだが……。
  
 日が暮れ寒くなる 空は澄み
 風もやみ、煙が
 まっすぐのぼる 花をつけた
 カエデも静かだ 池で
 鯉がはねる トネリコの巣で
 フクロウが二度鳴く
 子どもたちも眠った 階段に
 ならぶ靴とゴム長靴の長い列
 それはヴィルカンディのちかくで起きた
 障害児が近所の三歳の男の子にガソリンをかけ
 火をつけた わたしはミルクを買いに走った
 遠くからでもシラカバとトウヒのあいだに
 黄色いカエデが見えた 店の上空で
 宵の明星が光っていた 男の子は助かったが
 たぶん一生傷跡が残るだろう 夜、
 霜がおりるだろう 霧もたっぷり
「日が暮れ寒くなる」全行)


 カプリンスキーの詩は母語のエストニア語で書かれる。ときたま英語で書かれることもあるらしいけれども。
 エストニア語は、フィンランド語やハンガリー語とともにフィゴ=ウゴル語族に属する言語。印欧語ではなく、アジアの言語だ。かれ自身の言葉によれば、こんな言語だ。

 ……エストニア語は豊富な擬声語を持ち、自然のあらゆる種類の音に対して何百もの語があります。sihin、sahin、suhin、sibin、sabin、sobin、solin、sulin、sirin、särin、surin、sorin、sidin、sädin、sigin、sagin、sumin、sosin、susinのような語にはどれも微妙な意味の陰影があるのです。葉や枯草の音はsahin、小さな水の流れの音はsulin、小鳥の鳴き声はsidinsädinです。蜜蜂の音はsuminです。これらの語が、日本語のように二つ合成されることもあります。鳥はsidin-sädinと鳴き、せせらぎはsulin-solinと音をたてます。これらの擬声語は音だけでなく、動きや物そのものを表現することもあります。人が右往左往する騒ぎはsigin-saginです。茂みはrägastikか、ただriga-rägaです。このような言語は、それをとりまく自然環境、そのすべての音、色彩、動き、変化に注意を怠らない人たちの言語であるとわたしは思うのです。川、森林、草原、鳥、動物の非常に近くで暮らしている人たちの言葉なのです。
(「親愛なる日本の読者へ」)

 日本語もオノマトペアの豊富な言語だとは思うけど、いまや、「自然環境、そのすべての音、色彩、動き、変化に注意を怠らない人たちの言語であると」も「川、森林、草原、鳥、動物の非常に近くで暮らしている人たちの言葉」であるともとても思えない。それどころか、すでに木や草や虫や動物や風やせせらぎの音から遠く隔たった日本語は、同情や謙虚といった美徳はとっくの昔に失ってしまった。そして、粗野な感情と性急な自己主張の具と化してしまった。カプリンスキーに対して、わたしたちは日本語をどんな言語だと説明したらいいのだろうか。

 もっともわびしい風景――秋の海岸、葉を落とし
 プラスチックや缶やコンドームのちらばる雑木林
 かしぎくずれかけた部屋、水辺のぬれた砂の
 カラスの足跡、カタツムリの殻、
 葉を落とした枝、びしょぬれの根、
 びっしり低く低くたれた空、雲が飛ぶ、
 暗くならないうちに、どこか遠くへ
 あわて急ぐかのように 暗さが本当に
 消えたことなどない いつも茂みの中の
 同じ場所にいて、目の前で渦巻き、じろじろ見る、
 頭を押えつける、まるでじめじめした手だ
 しかも、このすべてに理解しがたい光があふれる、
 それがどこから射して来てどこへ出ていくのか、
 白いのか、黒いのか、ぜんぜんちがうのか、
 知る者はいない
(「もっともわびしい風景」全行)


 カプリンスキーの詩を暗いというと、本質を見誤ることになるだろう。いつも闇が支配しているわけではなくて、かれの詩の世界には光もさしているのだ。ただ北欧の光のように微弱なだけだ。

 カプリンスキーはこういった。「すべてのよい詩や本物の詩は、いつも身近にあるけれど、目に映らず、気づかれもしないものの一種の小さな『悟り』、大切な理解、認識なのだと思います。/しかもそれはコインの片側、哲学的で詩的な面にすぎないでしょう。もう一つの面があります。災厄、苦痛、不幸、絶望という現実です」(「親愛なる日本の読者へ」)、と。

 カプリンスキーによれば、わたしたちの住んでいる世界は、災厄、苦痛、不幸、絶望にみちみちた闇の世界である。そして、そこに光をもたらすものが、詩や正しい理解/認識なのだ。たとえ「問題解決や疑問の答えの発見に詩は無力」だとしても、言葉でもってこの世界に光をともそうという行為をつづけるのが詩人という存在なのだ。カプリンスキーの詩の英訳者のアメリカの詩人サム・ハミルはいう、「われわれの住む世界はほとんど地獄であるから、天国が存在しなければならぬのだと述べたヘブライの師を、かれはよく引用する」(「ヤーン・カプリンスキーについて」)、と。

 障害児が三歳の子どもにガソリンをかけ火をつけて一生残るような傷を負わせてしまうという出来事が起こるのが、わたしたちの生きているこの世界なのだ。だけど、まっ暗闇というわけではない。上空には宵の明星が光っているではないか。

 また、「家にむかいはじめた」では日が暮れてたどる家路は暗いけれども、「私たちの家の台所だけ/ぽつんと明るかった 煙突のわきで/月と星がひとつかがやいてい」るのだった。

 ここまできて、わたしのいうことはもうほとんど残っていないように突然感じた。最後にわたしのいちばん好きなカプリンスキーの詩を提示したい。

  洗濯はおわりやしない
  だんろも熱くなりはしない
  書物はぜんぜん読まれない
  人生は けして完了しない
  人生は 地面に落ちぬよういつまでも
  打っては受けとめつづけるボールのようだ
  垣根のこっちのはしを直すと
  あっちのはしがこわれる
  台所のドアもしまらない
  屋根は雨もり
  土台はひび割れ
  こどものズボンのひざが(ママ)裂きだ
  なにもかも心にしまってはおけない
  こんなことを忘れて
  春を見られるのは不思議というほかない
  なにもかもあらゆる方向にひろがってゆく
  見わたすかぎり 夕暮れどきの
  夕べの雲に ワキアカツグミの羽に
  牧場のどの草にもやどるすべての露に
「洗濯はおわりやしない」全行)


 まさに「垣根のこっちのはしを直すと/あっちのはしがこわれる」というのが、わたしたちの日常だ。だけど、一方でそんなことはみな「忘れて/春を見られる」のもまたわたしたちの日常なのだ。滑稽で、かなしくて、しんどい世界。

 ずっと詩が書きたいという気持ちが起こらないスランプ状態にあるわたしだけど、カプリンスキーの詩を読んでいるとにわかに詩が書きたくなるのはなぜなのだろう。かれの詩に特徴的な「季節、家庭生活、日常の些事への関心」(サム・ハミル)は、確かに私の好みではある。とくに、具体的な自然描写や動植物に対する関心は。明示的でないメッセージ性(かれの詩にはつねに概念的な言葉では決してくくれない読者へのメッセージがふくまれているように思う)。言葉と人類への愛と希望。恐らく、わたしはカプリンスキーのような詩を書きたいのだ。

 ところがカプリンスキーの友人でもあるアメリカの詩人ゲーリー・スナイダーを読むと、スナイダーのようない詩を書きたくなるので、困ってしまうのだ。スナイダーの詩は、カプリンスキーの詩にくらべると、単純で、もっと言葉が少ない。とりわけ、初期の詩は。参考までに短い詩を1篇書き出してみよう。

 山地をあとに
 ヒッチハイクで、家をめざした。
 金曜日は一日じゅう強い日差しを浴びて
 湖沿いの道の上空にはられた
 電話線を蝿と戦いながら仮設した
 家に帰ることを夢見ながら。
 夜は女の所へ、深夜の入浴に。
 女は裸で浴槽へ入ってきた。
 胸がまばゆく突き出ていて
 背中をごしごし洗ってくれた。
 ぼくらは夜どおし愛し合った。
 女はただ不幸だったのだ。
 日曜日はずっと静かに話をした。
 そして家をあとにした、二百マイルを
 ヒッチハイクして仕事にもどった。
ゲーリー・スナイダー「伐採 6」全行)


※カプリンスキーの詩と文章、サム・ハミルの文章はすべてつぎの書物から引用した。
経田佑介訳『カプリンスキー詩集』レアリテの会 1995年 2000円
※この本が読みたい方は、raintree@sun.intarq.or.jp関富士子へお問い合わせください。訳者へ注文の連絡をとります。


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