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| 波は胸から言葉を奪ってはもみくちゃにして爪先へ投げ返す
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| 光が秒針のように傾くごとに頬の産毛が輝いては白ちゃける
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| 生の一部始終が人の姿をして瞬時に顕れては隠れるのに
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| 何も言わないでたたずんでいる
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| 言葉が先に会っていた人に初めて向かい合って再び
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| 出会うことはできるのだろうか(初めてのように)
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| 肉親は一人ずつ別れの言葉を告げにきて残される者をけっして
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| かなしませないが
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| いくつもの物語を結んできた人が再び新しく(わたしに向けて)
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| 語ることなどあるのだろうか
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| 滴り落ちるあなたの言葉が仰向けに揃えた手のひらを打つとき
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| なぜかなしいのか自分でもわからない
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| 情けをかけられたのではない
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| ただ思い知る
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| 無私の出会いをわたしがどんなに求めていたか
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| 海には空が反射して再び新しく辺りを照らす
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ひそやかにすみずみまで沁みとおる光
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| 礼を尽くしながら有無を言わさず
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| 心をほどいていく
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| 地下水を探るようにひたひたと冷たくやさしく
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| 窓が海に向かう婚礼のための部屋
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| 親しく垂れる葡萄と尖る麦穂と飛ぶ鳥と魚たち
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| 摘み搾る人挽き捏ねる人撃ち炙る人刺し捌く人が
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| 荒ぶるキッチンで来客を迎えるだろう
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| 真夜中から朝までずいぶん雨が降った
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| 裏窓に寄って庭からそっとガラス越しに覗くと
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| 火に大鍋が沸き焔の影は天井まで届いて揺れている
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| 粗木理を塗り込めたテーブルに甘く煮た果物が置かれ
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| 絵解きを待つ皿の青い模様が並ぶ
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| 湿った屋根に上って六角形の明かり取りから
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| ふたりの子どもが空っぽのバスタブを見下ろしている
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| 取手がない扉をためらいがちに押し開くと
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| 短い隊道の向こうの「小さき海」に
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| また潮が差し満ちて引き差しては満ちる
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| 無私のこころを貪ってはならない
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| (わたしは何者でもないのに)
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| 打ち消すようにあなたは急いで手をふって
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| 喉の形の井戸に降りていき木の葉の浮いた水を汲み上げた
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| 無言の震える身体から言葉が惜しげなく零れている
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| 木の葉には断崖から落ちていく人の瞬時の物語が刻まれている
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| なにかを畏れるように俯いて慎ましく向かい合う
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| 反射光が海を激しく泡立てて鎮まる
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| (訳なくわたしからたちまち失われるもの)地に沁みていく物語を
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| 読んでください溢れ零れてしまわないうちに声に出して
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| できるだけ声をひそめて(わたしだけに届くように)
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| 斜めに差す光に半身を暗くしてその人は読み始めた(わたしは貪った)
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| 掬い飲み干して仰向き額を濡らして目を開き喉を広げてさらに貪った
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