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vol.29

<雨の木の下で> 関富士子

 詩の生まれる場所 2004.9.1

 2004年8月27日-29日まで、歴程夏の詩のセミナーがあった。
 わたしは今年で二回目の参加だが、慣れるのが早いたちで、二泊三日の合宿にくつろぎ、温泉に朝晩入ってのんびりしてきた。福島県はわたしの出身地なのだが、いわき市には来たことがなかった。広い阿武隈山地に阻まれて、福島市近辺からいわき市に行くのは、新幹線で東京に行くより時間がかかるのである。
 今年は一応詩誌『歴程』の同人なので、「詩の生まれる場所」というシンポジウムに、パネラーの一人として出席しなければならない。初めての経験だが、この年齢になるとあまりどきどきしない。怖いものがなくなってしまうのは、感性が鈍くなっている証拠かと思うほうがやや怖い。
 いわき市に一時住んで、詩集『聖三稜玻璃』を書いた山村暮鳥のことを話したかったのだが、持ち時間10分ぐらいでシンポ形式ではまとまったことが話せるはずもない。野村喜和夫さんの司会で導かれた話の内容を、自分の話した部分だけ、補足しながら簡単にまとめておこう。
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 テーマが「詩の生まれる場所」ということで、わたしはまず単純に、詩人が生まれ育った場所、その土地や風土など、詩人を育て、詩が生まれてくるルーツのようなことを考えてみました。
 場所には当然名前が付いていますが、土地の名前、地名には、魔物がついている、というようなことがよく言われます。地名には、土地の長い歴史や先祖代々住む人々の思いがこもっているので、単に場所を示すだけの言葉のはずなのに、そこに膨大な意味がいっぱい張りついているのです。だから、詩を書くときに、地名を使うのはたいへん難しい。地名の意味が強すぎて、ほかの言葉がかすんでしまう、というようなことを、以前詩の合評会などでも聞いたこともあります。
 昨日、セミナー第一日目に、鈴木東海子さんが朗読した、入沢康夫さんの詩、『我が出雲、我が鎮魂』全編を聞きましたが、「出雲」という言葉にも、ものすごい魔物がいっぱい付いているのを感じましたね。恐ろしいほどの存在感でした。入沢康夫さん以降の詩人は、もう二度と「出雲」という言葉で詩が書けないんじゃないかと思いました。
 で、わたし自身はどうかと考えてみると、わたしはそんなわけで、あまり詩に地名を使いませんけれども、去年出版した『女-友-達』という詩集の、「定期バスに乗って」という詩で、高校時代に通ったバスの停留所の名前を、10個ぐらい、やけっぱちのように入れこんで書いてみたことがあります。遊び半分です。
 わたしは実は、この、福島県の出身なんです。みなさん、東京から常磐線で二時間のいわき市湯本までの道中に、電車の左側にえんえんと山が続いているのをごらんになったと思いますが、あれが阿武隈山地です。低い山がだらだらとどこまでも続いていて、高くて美しい、目立つ山はありません。昔田んぼを耕すのに農耕牛を使いましたけれども、あの牛の背中のような鈍重ででこぼとした、だだっぴろい山並みです。名もない雑草という言い方をしますが、あのでこぼこの一つ一つにも名前が付いているんですね。
 このいわき市は阿武隈山地の東側に位置しますが、わたしは北側の山地の麓、福島市に近い小さな町で生まれ育ちました。それで、今まで書いたいくつかの詩で、くりかえし使った地名が一つだけあるんです。それは「女神川」という川の名前です。幅5メートルもない小さな川ですが、家の近所を流れていて、子どものころにそこで水遊びをした思い出があります。
   その川は「女神山」という山から流れてきて、広い阿武隈川に合流します。女神山は、阿武隈山地のでこぼこの中の一つで、標高600m足らずの、なんのへんてつもない山ですけれど、わたしの生家の辺りからいつも見えます。その山を見ながら育ったということが、あるいは、わたしの詩に大きな影響を与えているかもしれません。
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 このあと野村喜和夫さんが話を引きとってくれて、わたしの発言はほぼ終わり。以下補足。
 野村さんは、やはり福島県出身の稲川方人さんの詩に触れられ、彼の詩集『われらを生かしめる者はどこか』に、彼が育った町の地図が印刷されていて、その地名のいくつかがペンで黒く塗りつぶされているのは、とてもインパクトがあったと話された。野村さんに言われて思い出したわけだが、わたしも彼の詩の地名の禍禍しさにぞっとしたものであった。
 たまたま、わたしが今度出版する『植物地誌』のカバーと表紙に、「女神山」「女神川」の表示のある二万五千分の一の地図をデザインすることを考えているのだが、稲川さんの詩集を意識したわけではけっしてない。ちょっと稲川さんの詩のインパクトにはかなわないね。
 入沢康夫さんの『我が出雲、我が鎮魂』にしてもそうだが、魔物がついているといわれる地名をあえて使う詩人は、相当の覚悟で魔物と闘っている。若くして土地を離れて個として生きながら、なおも生まれた土地に引き寄せられていく自分を見つめている。魔物の力にがんじがらめになりながら、土地に心を残して滅んだ人々の魂を、父を母を、言葉の力で鎮めるのである。なんという力業であろうか。
 わたしの故郷の「女神川」「女神山」は、やさしい母なる地名である。わたしはこの地名に魔物を感じない。人生の神話の時代ともいえる幼年を、女神に守られて育ったと思うことができるのは、わたしにとってどんなに幸せなことか。
 この名は、町に伝わる小手姫伝説にちなんでいるといわれる。その昔、崇峻天皇の妃が、蘇我の馬子の乱の後、東北に落ちのびた息子の後を追ってこの地に来た。そして、息子に会えないまま土地の人々に養蚕と絹織物の技術を伝え、生涯を閉じたという伝説である。その遺体が葬られ、供養されたのが女神山といわれる。(「ふるさと川俣の名山川俣里山倶楽部より)
 わたしの生家は今も小手姫が伝えた織物業を営んでいる。妹がほそぼそとはた織りをしているが、それも彼女の代で終わるだろう。わたしはといえば、土地を離れて新しい布を織ることなく人生の半ばをうかうかと過ごし、今は言葉を織ったりほどいたりしている。
 今度のわたしの詩集『植物地誌』には地名はいっさい出てこないが、植物の名前というのがまたまた恐ろしいんである。実はわたしは、植物の名前の魔力を消すために、タイトル以外にはできるだけ名前を出さず、その名もすべてカタカナで表記しているのだ。
 もちろん、植物のカタカナ表記は学術的な面からも、植物図鑑などに採用されている。昔から人々は、姿かたちや用途など、自在な発想で植物に名前を付けて愛してきたが、その名前たる言葉の意味が、植物学的にあまりにも間違いが多く、中国の言葉である漢字を使うと、さらに混迷を深めて、とても統一のある名称として使えるものではないのである。
 しかし、わたしのカタカナ表記はそれとはちょっと違う。山も、川も、植物も、人間に名前を付けられる前からすでに存在している。それを名付けようとするのは、人間の傲慢や執着である。しかし、人は彼らに呼びかけずにはいられない。それならせめて、名前のもつ意味をできるだけ軽くすることはできないだろうか。わたしがその名を呼びかけるとき、その名の音だけを明るく響かせたい。そのとき、植物は、自分を名付けようとする人間の思惑を超えて、強く立ちあがってくるのではないか。

 詩の贈答 2004.8.1

 お中元といえば素麺だが、今年は、いつも贈ってくれる人が入院してしまっていて、素麺が届かない。買って食べればよさそうなものだが、なぜだか、買ってしまうともうその人から、二度と素麺が届かないような気がする。もっとも、蕎麦や冷麦や冷やし中華や、はやりの冷やしラーメンなど、いくらでも買って食べているし、それは何とも思わない。
 まあ、いただくものは何でももらうが、こちらからはできるかぎり贈らない。離れて暮らす親への中元や歳暮はするが、それもめんどうくさい。誕生日だクリスマスだというのも、子どもが小さいうちで、今はねだる者もいないのが喜ばしい。
 生活はシンプルに、虚礼は不要、と思いつつ、長年にわたって、日常的に贈答し続けているものがある。それは詩である。詩を書かない人から見ると、実に奇妙な習慣に思われるにちがいない。ふつうに考えれば、詩などの不用品は、もらっても困るような代物である。
 たいていの詩人はどこからも詩の注文が来ない。でも詩は書く。だれにも求められないのに、書いてしまう。へぼなものでも詩を書けば詩人であり、詩は詩人の業である。そのように書かれた詩をいったいどうしたらよいか。
 ごみ箱に捨てればいいのだがどうしてもできない。しかたなく、自前で同人誌に発表したり、個人誌と称して、読んでもらいたい人に送りつけるのである。
 すると、贈った相手が詩人であれば、そのうちの何人かが、今度はその人の詩をわたしに贈ってくれる。こうして詩の交換が始まる。
 もちろん、同人誌や個人誌には、発表の場としてだけではないさまざまな存在価値がある。いずれにも長くかかわったわたしは、その良さも必要性もよく知っているつもりだ。
 それでも、あけすけに言ってしまえば、詩を読んだり書いたりする人が世の中にもっと増え、詩集や詩の雑誌がもっと売れていれば、詩の贈答はかくも盛んにはならなかっただろう。少なくとも、読まれる手段のないわたしは、そのようにして、さまざまな人に詩を読んでもらい、また読ませてもらうことができた。
 詩を受け取って読むときに、相手の個人的な情報をほとんど知らないことが多いし、知る必要を感じない。その点で、情報の交換のあり方は、インターネットでの距離感に似ているかもしれない。インターネットの人間関係が、ほんとうは仮想ではなく現実そのものであるように、これもわたしの大事な詩活動の一つだ。
 しかしながら、詩の贈答には、インターネットとも、ふつうの社会的なお付き合いとも、かなりちがうと思われる点がある。ありていに言えば、詩が商売として成り立たない以上、詩人との付き合いに社会的な実利が生まれることはないのである。実際、何かに便宜を図ってもらったり、利益を得たり、個人的に世話になったりして、中元などを贈るはめになるような付き合いの詩人は、わたしにはひとりもいない。
 このような詩の流通や、詩人との交流には、なにかしら稀有なものがあると、ときどき思う。
 詩は本来、書き手のことなどまったく知らなくても、詩を読めば、その人のもっとも深い部分に、たちどころに到達することができる。作品の魅力によって、読者の心の奥にその詩人が抜きがたく住みついてしまう。これは購入して読むとか、贈られて読むとかに関らず、紛れもなく詩の言葉の力である。
 それにもかかわらず、贈り贈られて読まれる詩には、何ともいえない親密感がある。詩はマスメディアではなく、指で数えられるくらいの読者に届けられるのがふさわしいのではないか、などと錯覚してしまいそうなくらいだ。それはいったいなぜだろう。
 この場合、詩をだれに差し出すかは、こちら側の判断による。小部数だし、郵送料もかかるから、当然ながら、手当たりしだいに送るわけにはいかない。こちらが、読んでもらいたいと思う相手、詩人なら、自分が好きで、いいと思える詩を書いている詩人を自ら選ぶのである。
 つまり、贈る人は互いに贈る相手を選んでいるという点で、案外にシビアな批評が含まれる。つまらない詩はいらない。自分のためにいい詩が読みたい。と同時に、自分の詩も贈っても必ず読まれるとはかぎらない。詩は素麺とはちがって、おなかを満たさない。読んでつまらないものは無情に捨てられる。そして、その次は読まずに捨てられるのだ。
 贈り贈られる関係には、批評を乗り越えた者どうしの、特別な親近感がある。結局は、ただ、いい詩を読ませてほしい、それが受け取る者の願いなのだ。詩人どうしで、一般社会と同じような、利害を下敷きにした関係は作っても無駄なこと。どんなに詩が魅力的で、たとえ会って親しく話す機会を得たとしても、詩にほれるように、その詩人にそれ以上近づくことはない。
 詩を贈答しあい、互いに感想を送り合ってきた人の私生活を、まったく知らずに何年も過ごし、あるとき思いがけなくその人の訃報を聞くことがある。これは詩人の付き合いではわりとありふれたことだ。詩やエッセイの中で、逐一個人的な生活を報告する人は多いが、逆にほとんど語らない人もかなり多いのだ。
 そのときの悲しみは、ふつうの友人、知人を亡くしたときとはちょっとちがう。詩人が若くてこの先いい詩を書きつづけたであろうなら、志半ばで倒れた無念さを思わずにいられない。
 しかし、詩の贈答の世界では、詩人の身体は詩の言葉の中にあったのだ。身体は滅んでも言葉は残る。それを信じて、詩人は詩を書きつづけるのではないか。だから、言葉を遺すことができる詩人は幸せなのだ。
 悲しいのは、二度とその詩人の新しい詩を読むことができないことだ。それはもちろん、古い付き合いの人の病気の重さを、お中元が届かないことで実感する、というようなこととはちょっとちがう。
 詩をリアルタイムで読むということは、詩の生成の現場に読者として立ち会うということだ。よい詩には言葉のエネルギーが満ちていて、読者はそれを感受するのである。その力が詩人から二度と届かなくなる。それは、新しく生まれるはずの言葉を永遠に失ったという、奇妙に矛盾した、抜きがたい欠落感をもたらすのである。

そのとき水は空を呼び
空は硬いおおきな皿のように
飢えになにも与えない空虚なひろがりがあり
眼は迷い見るべきものを捜した
わたし達はもう死んだのだろうか
未生の記憶の
薄紙につつまれて叫びだすまえに

うすい乳膜がただよう
あちこちでひかりが色を食べているところで
閉じこめられた卵がふくらんでいるのが分かった
差し込まれた地下の抱卵が
麻痺した根塊の先で
縫いとられた淡い光からわずかに温まり
(キクイモ)(キクイモ)と
放射状の粒子が目線へとびこんでくる
そこで声がでた
キ・ク・イ・モ
水泥にくるまって水の中から眼だけで合図してきた
懐かしさに胸をベルトで絞めつけられて
動けなかった
(詩誌『結婚式場』20より伊名康子「キクイモあるいは未生の」部分)
伊名康子 2004年7月5日病気により逝去。享年63

 
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