遥か南のわが親川のほうまで一望できるだろう
(ひょっとして西方浄土も望めるかもしれぬ)
そしてわたしの住むその親川の片割れの川
汚れた名残り川の崖上で 午前五時
虚ろな含み声のキジバトが啼き 夜が明けるのだ
スッポー ポーポーポー
アッ スッポー ポーポーポ
(渋沢孝輔「五月のキジバト」より 部分)
冬は木立が裸なので鳥の姿もよく見えるし、空気が澄んで声もよく響く。東京の国分寺市から都区内へ流れる野川は、渋沢孝輔の詩「五月のキジバト」(『啼鳥四季』 1991年思潮社刊)にもあるように一時はどぶ川に成り果てていたが、近年はすっかりきれいになって鳥もよくやってくるようだ。野川は今は国分寺付近の涌き水を源泉としているが、かつては数キロ先を流れる多摩川の支流だったらしい。野川の片側には、大昔に流れていたその古多摩川の跡を示す崖が残っていて、国分寺崖線とよばれる。
故渋沢孝輔は長くこの崖の上の辺りに住まい、「冬鳥の 幻の」(『啼鳥四季』収録)を書いた。
冬鳥の 幻の 渋沢孝輔
| 聞き慣れぬものが鳴っている
| 遠く 深く いかにも幽かに 冬鳥の 幻の
|
| 求めている
| というほどではないけれども
| いささかの花への
| 淡く烟る緑への期待がないわけではない
| それほどにいまは木々は裸で
| 凍えながら歩いていても眼だけ熱く
| 南にさがった太陽が
| 横ざまにまぶしい光を投げかけ
| 空は寒風に洗われて澄んでいる
| 近くの生垣から喬木の枝へと
| ときどき見え隠れに飛ぶ
| オナガ キジバト ジョウビタキ
| 雀や烏はさかしくも
| もっと賑やかな場所に餌をあさりにいっているのか
| モズやツグミほどにも姿を見せない
|
| 隠棲している
| などというわけではもちろんないけれども
| 利口な鳥に疎まれるほどには
| 荒涼のほう
| 蕭条のほうに近いところだ
| もっとも
| そうは言っても
| 街の賑わいはすぐそばにある
| 逃れて行けば
| あるいは逃れて行かなくても
| 陽の傾きとともに
| 変動する生態系から
| 寒く抜けだして翔ぶ霊の鳥
| の気配
|
| 聞き慣れぬものが鳴っている
| 遠く 深く いかにも 幽かに 冬鳥の 幻の
|
| ゲーイ クィックィックィッ
| キュイ クルルルルルル
| スッパーポーポー
| ア スッパーポーポー
| ヒッヒッ チュルルルルルル
| カッカッカッ ガッガッ
| (チュン キチキチキチキチ)
| ケェッケェッ クワッ クヮックヮッ
| スッパーポーポー
| ア スッパーポーポー
| 藪の中から
| 喬木の高みから(夢なのだろう)
| 間をおいては切れ切れに届くそれらの声の
| さらに底で
| 聞き慣れぬものが鳴っている
| 異質のものたるべく
| 異界のものたるべく
| 寒い陽の傾きとともに
| 空を吹きわたるものもあり
| やがて向かう先は谷
| 深く広い谷
| のぞきこむ喉のあたりから
| 見わたすかぎり影のひだが織りきざまれ
| はりつくように家並が続き
| その果ての河原では
| 枯盧 枯尾花 まれには枯柳などが
| 遠く残照を浴びてゆれているはずで
|
| 棲息している
| 息をしている
| などと言うにはあまりにも
| なまぐさくどよめくものが満ちてはいるが
| さらに異質のものたるべく
| 異界のものたるべく
| この冬の日の夕暮の空を
| はたはたと音たててわたってゆくものもあり
| 谷の底の
| その先の
| あ
|
| スッパーポーポー
| スッパーポーポーポー
|
|
この詩をざっと見渡してやはり眼を引かれるのは、詩の中ほどの鳥の鳴き声だろう。これらは、鳥の声をわかりやすく人間の言葉に当てはめた、いわゆる聞きなしなどではないようだ。作者が明け方の寝床で、あるいは家の近くを散歩などしていて聞いた声を、そのまま書き留めたような表記の仕方である。いったいこれらは何の鳥の鳴き声だろう。今はインターネットで野鳥の声を検索すると、いながらにしてたいていの鳥の声が聴ける。そこで、野川に現われるという鳥の鳴き声を検索して、この詩の表記を聞き比べてみた。(「森のコンサート」「ことりのさえずり」などを参照させていただきました。ありがとうございます。)
初めの「ゲーイ クィックィックィッ」はオナガ。これはすぐに分かった。次の「キュイ クルルルルルル」はカワラヒワに近い気がする。「キリコロキリコロ」と聞きなしをする。「スッパーポーポー ア スッパーポーポー」は詩にもあるようにキジバトである。普通はデデポッポーときこえる。スッパーは作者独特の聞きとりだろう。わたしも渋沢家の木戸口で聞いたことがある。詩人が亡くなった1998年2月のことだった。(このときに思わず知らず書いてしまった詩があります。ちょっとリンクしておく。rain tree vol.5「先生が」(関富士子)
四番目の「ヒッヒッ チュルルルルルル」はシジュウカラではないか。この鳥はいろんな鳴き声があるようだが、ネットで聞いたものでは「お友達を呼ぶ声」とあるのがいちばん近かった。あるいは詩にあるジョウビタキもヒッヒ、ヒッヒと鳴く。「カッカッカッ ガッガッ」は特定できなかった。(コジュケイ、あるいはモズではないかと教えてくださった方々、ありがとうございます。)
「(チュン キチキチキチキチ)」は、スズメやその仲間のアオジ・メジロ・キセキレイなどの小鳥類ではないだろうか。小さく賑やかなさえずりを思わせる。最後の「ケェッケェッ クワッ クヮックヮッ」はカモかと思ったが、カモはもっと濁った声だ。ツグミはきれいな優しい声で、クイクイ キュッキュと鳴く。
こうして読んでいると、じっと耳を澄まして、鳥の声を書き留めようとペンを持っている詩人の姿が見えてくるではないか。そこにはメタファーも詩的意匠もなく、ただ鳥の声とそれを聞く人だけがいる。渋沢孝輔というと、フランス文学の研究者としても名高く、ランボーやボードレールに導かれた詩人という印象が強いが、ここでは自然に慰撫される日本的、仏教的なアニミズムの世界を感じる。このとき詩人はまだ60歳にもならず、一般には晩年とは言い難いが、結局彼はそれから7年しか生きなかったのである。
そうはいっても、この鳥の声の賑やかさはいささか過剰ではないのか。他の行の静かさとのバランスを欠くかと思われるほどだ。(夢なのだろう)とあるように、確かに夢のような過剰さである。そのことだけではなく、この詩にはいくつかの謎があって、読む者をいつも不思議な気持ちにさせるのだ。
詩の冒頭に戻ってもう一度読んでみる。第1行の「聞き慣れぬものが鳴っている」とは、いったい何が鳴っているのか。次の行で「冬鳥の 幻の」とあるにも関わらず、それは、今盛んに「鳴いている」聞き慣れた鳥の声ではない。じっと立ち尽くして詩人が聞いているのは、「遠く 深く いかにも幽かに」「鳴っている」ものなのである。次の連で作者は、未来の春への淡い期待を語っているけれども、今は晩年に近い冬の季節である。
3連目の最後で鳴っているものの正体が明かされる。それは「陽の傾きとともに/変動する生態系から/寒く抜けだして翔ぶ霊の鳥/の気配」だった。人生の晩年の荒涼とした季節に、鳥たちのさえずりのシャワーを浴びている。ところが、それらの声の「さらに底で」鳴っている「霊の鳥」がいる。「空を吹きわたる」風のように目に見えない、不吉な凶凶しい鳥である。詩の五連目で「霊の鳥」が渡っていく河原とは、人間が生涯の果てに至りつく彼岸ということなのだろう。
それはそうなのだが、この「霊の鳥」には、それだけではない何ものかが感じられるのだ。それは、その「気配」が「異質のものたるべく」「異界のものたるべく」とあることにある。5連目の半ばに出てくるが、この「たるべく」という言い方は、何か奇妙ではないか。この世のものではない幻の「霊の鳥」が、異質、異界のもの「たるべく」あろうとする必要はない。もともとこの世界では初めから「異質」「異界」のもののはずではないか。
さて、「冬鳥の 幻の」の詩に現れる「霊の鳥」は、空を吹き渡って鳴りながら「深く広い谷」に向かうのだが、その谷はやはり詩人の住む辺りにあった古多摩川をイメージさせる。そして、谷を「のぞきこむ喉のあたりから」という一行に出会って、その生々しさにはっとさせられるのだ。この「喉」は、その鳥瞰的な視線から考えても、「霊の鳥」の喉のはずなのだが、わたしには、国分寺の崖の上に立って、喉を伸ばすようにして谷を眺望する、詩人自らの喉のようにも思えてくるのだ。
それは詩人という存在そのものが、この世では「異質のものたるべく」「異界のものたるべく」あろうという強い意志をもつ存在だからではないだろうか。「枯盧」「枯尾花」などがゆれている谷とは、このもの狂いの詩人が、たった独りで赴かねばならない表現の谷間のようにも思われる。
最後の2行にキジバトの声が響いていて、軽みの余韻がある。
谷の底の
その先の
あ
スッパーポーポー
スッパーポーポーポー
面白いのはそのすぐ前の「あ」の1行である。これは前の連に「ア スッパーポーポー」という表記が2回あるように、本来はキジバトの声の頭についていたものだ。この「ア」が最後にはひらがなの「あ」になって、キジバトの声から離れてしまい、詩人の声そのものになっているのである。「谷の底の/その先の/あ」と続くとき、この「あ」は詩人が谷の底、その先を眺望し、思わず発した驚き、感嘆、絶句の声だったのではないか。
以上のようにこの「冬鳥の 幻の」という詩を読んできたが、渋沢孝輔の詩の中で、鳥とはどんな暗喩であったのだろうか。
渋沢孝輔というと、わたしにとっては、20歳のころに、学生と教授という立場で実際に遭遇した、生身の初めての本物の現代詩人だった。常に現代詩の最先端で活躍していたという印象がある。彼の詩には絢爛たる植物の名前が呪文のように現れるが、わたしが見たかぎりでは、鳥はそんなに多く登場するわけではない。しかし、1959年、29歳の時に出版された第1詩集『場面』の「偽証」という詩に、こんな詩句がある。
(前略)
人間の真実の声を聞かせてやろうか
血と燠と氷と鉄と
おれたちの骨肉の声を聞かせてやろうか
真昼の空へ杭を打たれたハートが飛び立ち
街で千の悔いが明日を舞っても
それら血と燠と氷と鉄と
人間の真実の声の真っ赤な嘘さ
おれたちの胸をえぐれば小鳥が雪崩れ
おれたちの言葉をえぐれば闇が雪崩る
(後略)
ここでの小鳥は、自らの胸にある真実の声として表現されている。しかしながら、この前の連に「今はただ偽証の季節だ」とあるように、戦後間もない1950年代の価値観の激動にあって、若い詩人は深い人間不信、社会不信に苦しんでいる。真実の声を挙げようとすればするほど、それが偽りの言葉になってしまうジレンマに、言葉はねじくれていく。その文体はというと、怒涛のような暗喩の洪水と饒舌で、もの狂おしく疑問を投げかけ、異議をつきつけ、罵倒し、否定し断定し、言葉が化学変化を起こしたように熱くなってじわじわと垂直に立ち上がっていく、という、とんでもない力技で詩を書こうとしていたのだった。
わたしなどには、なんだか激しすぎてとっつきにくい印象があった。しかし、読み進むにつれて詩人らしいユーモアも読み取ることができ、なによりその言葉のうねるようなリズムに巻き込まれて、読みながら熱にうかされたようになったものだ。
わたしが見たかぎりでは、小鳥は、それから30年後の、「冬鳥の 幻の」まであまり目立った姿を現さなかったようだ。ところが渋沢孝輔の最後の鳥は、亡くなる一か月前に発表した「物みなは歳日とともに」という詩になんとも恐ろしい姿で現れた。1991年に出版された遺稿集『冬のカーニバル』(思潮社刊)で読むことができる。
宿業(しゅくごう)の緋色の小鳥が咽頭に棲みつき
四六時中肉を啄ばんでいる
宿業などとはおだやかではないが
なぜかそうとしか思えぬところが妙な具合だ
くすぐるような羽ばたきを始めるかと思えば
鋭い嘴を立てて激痛を走らせる
(中略)
それというのもこいつはわたしそのものでもあるらしいからだ
すなわち隠れていたわたし 裏側のわたし
前世の 影の 反世界のわたしの不意の顕現
(後略)
詩人は咽頭がんで亡くなったのだが、その喉にできた悪性腫瘍を「宿業の緋色の小鳥」と表現した。小鳥が啄ばむような喉の痛みを入院日記にも記録していて、わたしは亡くなった当初、あまりに痛ましくて読めなかった。空に鳴っていた「霊の鳥」は、死の間際に「緋色の小鳥」となって詩人に取りつき、言葉を発するべきその声を奪ったのだ。それにしても、詩人はその「緋色の小鳥」をなぜ「宿業」などというのだろう。彼は死に至る病を、自分が受けねばならない報いとでも思ったのだろうか。
いやいや、「宿業」という言葉には、最期を受け入れようとする人間のはっきりとした覚悟が読み取れる。そしてなにより、「宿業」とは、死の病のことであるより前に、詩を書くことそのもののことではないだろうか。詩は詩人の宿命的な業であったのだ。それは、書くという行為の罪深さまでを引き受ける覚悟なくしては、まっとうできるものではないだろう。
わたしは渋沢孝輔の第一詩集に見つけた小鳥を思い返す。詩人は胸をえぐり、言葉をえぐるようにして詩を書き、真実と思ったものが雪崩れ、崩壊していくものを直視しようとした。それはこの世で「異界のもの」「異質のもの」たるべくあろうとした「裏側のわたし」「反世界のわたし」の強い意志だった。そしてついに力尽きるまで、その詩人の魂は終生変わらなかったのである。
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野川 東京都
野川1051127
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野川2051127
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野川3051127
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野川4051127
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野川5051127
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黒目川(埼玉県)の鳥
カルガモ黒目川040229
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コサギ黒目川040229
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オナガガモ1黒目川040229
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水浴びをするオナガガモ2黒目川040229
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ヒドリガモ黒目川040229
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ヒドリガモ2黒目川040229
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ムクドリ黒目川040229
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ドバト黒目川040229
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カモメ1黒目川040113
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カモメ2黒目川040113
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カモメ3黒目川040113
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