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vol.32

関富士子の詩vol.32-2

緊縛の木埋葬の季節
 

緊縛の木



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それが目のすみを一瞬通り過ぎたとき、
何かただならぬもの、
異様なものが、
いる、
と感じた。
何かが声を出さずに叫んでいる?
物ではなく生きているもの、
人間?
なぜそう感じたのだろう。
わたしはちらっと振り返り、ゆっくりと自転
車を停めた。全身をがんじがらめに縛られ、
春の強風にあおられて、のけぞるように揺れ
ていた。それは一本の木だった。細く裂けた
白いビニルテープが、幹から枝の先まで、ク
モの巣のようにみっしりと巻きついて、ちぎ
れた端がいっせいに風の行くほうへなびき、
隣のブロック塀の上の有刺鉄線に絡まってい
る。木は、工場らしい建物の、アクリルトタ
ンの波打った壁に添うようにして立っていた。
わたしはひどく嫌なものを見た気がした。だ
からすぐに目をそむけて再び自転車を走らせ
た。
なぜあれはあんなヒドイメに、
あっているのか?
いったいいつから叫び続けているのか。
何かの罰か。
この道を通るすべての人へのあてつけ、
だろうか。
わたしの行く手には市民農園があるはずで、
役所で借りる手続きをしたばかりだ。倉庫群
に囲まれた路地を曲がると、良いにおいの黒
土が広がっていた。苗床に芽が密生している
畑もある。わたしは自分の名札のある区画を
見つけ、作業に取りかかった。消石灰を撒い
て、スコップで土を掘り起こす。これから育
てるだろう野菜のことを考える。その前に畦
を作り肥料を施さねばならない。小一時間も
耕すと気持ちよく汗をかいた。その帰り道に、
わたしは再びその異様なもののそばを通りか
かった。その木を見まいとしたが、できなか
った。
高さは三メートルほど。
ほっそりとした幹。
若い女の裸のような。
近づいてよく見ると、裸と思った枝のあちこ
ちに、柔らかく艶やかな木の芽がいっぱいに
つき、ぎりぎり絡んだビニルテープのわずか
な隙間から、はみ出すようにして新しい葉が
芽吹いている。葉の陰には淡いピンクの花を
何輪かつけているのだ。
淡紅色の五弁花。
バラに似た細かいぎざぎざのある葉。
棘のある枝。
幹の緑がかった褐色の肌。
この木をわたしは知っている。
カリン、花梨だった。
わたしはしかたなく自転車を降り、木に寄り
添わせて停めた。
足元には南天やつつじの植込があって、ビニ
ルテープはそれらの枝にも巻きついている。
茂って道路にはみ出さないように囲んだもの
らしい。それがほどけて風に舞い上がり、あ
たりの枝に絡まっていったのだろう。廃工場
になってこの植込は放置された。風がテープ
を細く裂き、時間をかけて木を縛っていった
のだ。
花梨は、
うす緑のでこぼこした固い楕円の実をつける。
その実はがんじがらめに縛られながら、
若い女の乳房のようにはみ出して、
薄い黄色に熟していく。
この道をこれから何度となく通ることになる。
そのたびにわたしはこの光景を見なければな
らない。そんなことには耐えられない。農作
業用の軍手をはめ、鋏を持って、幹につかま
りながら、ぐらぐらする自転車のサドルの上
に立ち上がった。通りかかる人が見るがかま
わない。テープはあんがい脆くてぷつぷつと
ちぎれる。わたしは夢中でテープを切って緊
縛をほどいていく。手の届かないところは引
っ張るより方法がない。咲いたばかりの花や
葉や芽が、テープとともにむしられ、仰向い
たわたしの顔に落ちかかる。
だれかの悲鳴を聞いた。
一瞬おびえた。
さいなまれる女の、
ひーというかぼそい声。
わたしは一刻も早く木を自由にしてやりたか
った。焦るほどのことはなく、十分ほどであ
らかたのテープは取れた。隣の有刺鉄線に絡
まったものも取り外す。花梨の木はたわんだ
枝をのびのびと空に伸ばした。こんな簡単な
ことだったなんて。地面に落ちた花や葉も集
めて全部自転車の籠に入れた。ほっとして立
ち去ろうとすると、木の背後の廃工場の窓か
ら、だれかがこちらを覗いている。そんな気
がしてわたしはその窓の奥を透かすように見
た。曇りガラスのような窓はただ汚れている
だけで、その内側に緑色の葉が蔓をはわせて
いる。
そのハートの形。いくつものハート。
明かりを求めて、窓に蔓を伸ばしている。
ポトスのようだ。
助けて、助けて。
そのときポトスは窓から叫んだ。
ポトスは工場が閉められたとき、鉢植えのま
ま見捨てられたのだ。水もないまま閉じ込め
られ、どうやって生き延びているのか。床を
這い、土を見つけて根を差したのか。一刻も
早く助けなければ。わたしはあたりを見回し
て、向かいの空き地にコンクリート・ブロッ
クが転がっているのを見つけた。抱え上げて、
両手を大きく頭上に振りかぶった。
窓をめがけて投げつけた。
ガラスが割れる音。
脆く薄く甲高い叫び声。
わたしはそのとき、
ポトスを助けた喜びでいっぱいだった。




(紙版「rain tree」30号 2006.9.29発行)
「緊縛の木」縦組み縦スクロール表示
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<詩>甦る9月(関富士子)へ



埋葬の季節



  
長い梅雨がようやく明けた朝、アパートの軒
下に、ツバメのひなが落ちていた。
羽毛も生えないあかはだかで、
まぶたは青黒く膨れ、
翼の形の骨をたたみ三本の爪を曲げて。
わたしたちは生ごみの袋を提げたまま、足元
のひなの死骸を囲んだ。カラスに二度も巣を
壊されて、三度めにやっと孵ったのに。うっ
かり落ちて死んだのかしら。きのうまでぴい
ぴい鳴いていたでしょ。頭上の巣は妙に静か
で、二羽の親ツバメが留まっている。今朝か
ら急に暑くなった。今日は三十度を超えるん
じゃないかしら。子育ての時期がちょっと遅
れたね。ごみを集積場に置いてから、ひなを
ティッシュに包んでつまみあげた。それどう
する? 生ごみに捨てるわけにもいかないし、
あとで川の土手に埋めてくる。
まだ赤味のある灰色のぐにゃぐにゃ、
頭のてっぺんにだけほんの少し、
産毛が生えている。
くちばしの周りの黄色い縁取りは閉じられ、
頭が垂れると首筋は粘膜のように薄く伸びる。
鳥膚が指に密着する。
わたしは死骸を持ち帰って靴箱の上に置いた。
それからすぐにサイトウさんがやってきた。
何かを捧げるような掌にひなが載っている。
また落ちていたの。あなたが預かったって聞
いたから。餌もなかったのね。河川工事で土
手が丸坊主だし、いつもは羽虫が顔に当たっ
てうるさいくらいなのに、今年はぜんぜんい
ない。サイトウさんは尋ねる。うちの子が青
虫を捕まえてきたんだけどどうしたらいいの。
ミカンの葉っぱで飼うって言うけど、そんな
ものどこにあるかしら。保育園の道路側の垣
根に三本あるの。棘が生えているから気をつ
けて。サイトウさんはひなをわたしの掌に預
けた。死骸は二つになった。二羽はよく似て
いて見分けがつかない。顔を近づけると、か
すかな臭気が鼻にくっついた。
  
ハヤク起コシテ下サイ
何カ食ベサセテ下サイ
声ガデナイ
彼は死にかけていた。八十六年使い続けた腸
が破れて食べた物が体内を汚染した。レント
ゲンの画像は、肺の上部まで水がたまりあわ
あわと白濁している。点滴しかしていないの
に、人工肛門から液状の便が出る。彼は口を
動かして何事かを訴える。ノートとペンを持
たせると、震える手で大きく自分の名を書い
た。どうしてほしいの、おじいちゃん。書い
てみて。
食事ヲ出シテ下サイ
何カ買ッテキテ
パンデモイイヨ
わたしは彼の頭に残ったわずかな髪を撫でる。
やせ衰えて鳥のひなのような胸骨を顕わにし
ている。骨に皮を一枚被っただけなのに、臓
器は水浸しだ。そこから腐臭がわきあがり、
口腔から伝播していく。死が満ちあふれて生
者を圧倒する。しかし彼は鳥のひなほど無防
備であってはならない。人間はあかはだかで
は死ねない。儀式の準備をしなければ。病院
前のケヤキの木は五本並んでいる。夕方には、
その木の一本だけにたくさんの鳥が集まる。
彼らはにぎやかに枝を奪い合う。
あの木だけ選ばれているのは、
なぜか。
  
サイトウさんが去ってまもなく、アパートの
管理人がやってきた。また落ちています、今
度は二羽。どうもぼくはこういうことは苦手
で。わたしだって得意じゃない。一羽はすで
に頭を踏まれてつぶれていた。巣を見上げる
と、さっきまでいた親ツバメは飛んでいって
しまったらしい。一度に四羽が死んだので、
一羽ずつ捨てたんでしょう。人がいないとき
をみはからって。わたしたちへの当てつけ?
鳥の葬式かもしれない。巣はまた来年使うか
ら、清潔にしておかなければならないし。つ
ぶれたひなは早くも乾き始めていた。はがす
ようにして包み、二羽を家に運んだ。
死は頭上から落ちてくるのだ。
雨が降ってくるように、
それは自然の摂理である。
しかし、わたしだけに、
それが集まるのは、
なぜか。
玄関の靴箱にひなの死骸が四つある。気温は
徐々に上がっていく。もう三十度を超えたろ
うか。腐敗は一気に進む。それは死臭を放っ
て室内に充満する。ハエがやってきて卵を産
みつけ、蛆虫がわく。ミカンの葉ではなく、
腐肉で生きる虫たちだ。飼うわけにはいかな
い。埋葬は一刻を争う。わたしはひなたちを
白いハンカチに包んでビニール袋に入れた。
ベランダのカモミールを数本切った。
川は改修中だ。
いったいどこへ埋めよう。
スコップを持って暑い川岸をさまようのか。
犬たちはきっと気づくだろう。
土を深く深く掘らなければ。


(倉橋健一編集文芸誌「イリプス」17.2006.6より)
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