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vol.32
<詩を読む> 宮沢賢治「小岩井農場」の登場人物たち その2(関富士子)
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ヒヨドリグサのつぼみ

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ヒヨドリグサとキタテハ

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ツリフネソウ

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キンエノコロ

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キツネノマゴ

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イヌタデ

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道路沿いの林

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切り株

小岩井農場

宮沢賢治

『宮沢賢治全集T』ちくま文庫1992年版より

パート二

たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
雨はけふはだいぢゃうぶふらない
しかし馬車もはやいと云つたところで
そんなにすてきなわけではない
いままでたつてやつとあすこまで
ここからあすこまでのこのまつすぐな
火山灰のみちの分だけ行つたのだ
あすこはちゃうどまがり目で
すがれの草もゆれてゐる
 (山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし
  かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)
ひばり ひばり
銀の微塵みぢんのちらばるそらへ
たつたいまのぼつたひばりなのだ
くろくてすばやくきんいろだ
そらでやるBrownian movement
おまけにあいつのはねときたら
甲虫のやうに四まいある
飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
たしかに二重ふたへにもつてゐる
よほど上手に鳴いてゐる
そらのひかりを呑みこんでゐる
光波のために溺れてゐる
もちろんずつと遠くでは
もつとたくさんないてゐる
そいつのほうははいけいだ
向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える
うしろから五月のいまごろ
黒いながいオーヴアを着た
医者らしいものがやつてくる
たびたびこつちをみてゐるやうだ
それは一本みちを行くときに
ごくありふれたことなのだ
冬にもやつぱりこんなあんばいに
くろいイムパネスがやつてきて
本部へはこれでいいんですかと
遠くからことばの浮標ブイをなげつけた
でこぼこのゆきみちを
辛うじて咀嚼そしゃくするといふ風にあるきながら
本部へはこれでいゝんですかと
心細こころぼそさうにきいたのだ
おれはぶつきら棒にああと言つただけなので
ちゃうどそれだけたいへんかあいさうな気がした
けふのはもつと遠くからくる


<詩を読む>関 富士子

宮沢賢治
「小岩井農場」
の登場人物たち

(2) パート二

人物2「銀の微塵のちらばるそらへ
    たつたいまのぼつたひばり」

 パート二は、「たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし/雨はけふはだいぢゃうぶふらない」と始まるが、これも奇妙なことだ。ここでは雨は降らないと言っているが、実際昼には雨がひどくなって、結局賢治は途中からびしょぬれで引き返すことになるのだ。降らないという断言は、あとになって考えるとあまりに安易で、気象に詳しい賢治らしくない。
 ひばりがのぼる「銀の微塵」という表現からも、空に銀色に細かく乱反射する雲が広がっている様子がわかる。まだ黒雲ではない。ふと思ったのだが、空で鳴る「たむぼりん」とは雷鳴のことではないだろうか。雷がまだ遠いとき、曇り空の奥のほうで太鼓を叩くようなポンポンという音が聞こえることがある。これは雨の前触れである。
 降ることを予感しているはずなのに、意地をはってでもいるかのように、降らないとして歩いていく賢治の頭上に、ひばりがのぼっていく。ひばりは空の低いところで滞空飛行をしながら囀る習性があるのだ。これを賢治は「Brownian movement」(ブラウン運動)といっている。中学校の実験室で、顕微鏡で覗いた花粉の粒子は、確かにホバリングするひばりのように細かく震えていた。
「かけて行く馬車はくろくてりつぱだ」
 先に行った馬車がずっと遠くに見えて、賢治はまだそれを気にしている。そこは広い牧場に沿う一本道で、あたりはくっきりと澄みわたり、遠くまでよく見通せるのだ。

人物3「黒いながいオーヴアを着た医者らしいもの」
 あるいは「くろいイムパネス」

 その一本道の後ろからやってくる人がいる。「医者らしい」というのは、この先に「医院」があるので、そこに通う、あるいは往診の帰りの医者なのかもしれない。ここで賢治は、冬に来たときに、この人物ではないが「くろいイムパネス」を着た人物に会って、本部への道を聞かれたことを思い出すのである。
 その人物は「遠くからことばの浮標をなげつけた」。初めて通る道で、やっと出会った見知らぬ人に声をかけるのは、海のただ中でブイを投げるようなものだろうか。助けを求められたのに、賢治はそのときの自分の返事を「ぶつきら棒」だったと、今ごろになって「かあいそうな気がした」という。
 広い野原で声が届く範囲、表情が見え呼びかけ、あいさつを交わす、さらに会話ができる距離とはどのくらいなのだろう。賢治は、やってくる者との適切な距離をいつも迷っている。自分がその人に対して近いか遠いかが気がかりなのだ。「けふのはもつと遠くからくる」、つまり、今日会った人物とは、まだ声を交わさなくてもいいほどの距離なのである。



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