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                知られざる「ファウスト博士」(第5章)


 第5章 アストラル体の改造

 アストラル体とは?
 さて、日記によれば、兄たちファウスト博士の一行は、次の修行場に向かうために、ある地方の町にいったようであるが、例によってその具体的な地名が書かれていたと思われる部分が黒く塗りつぶされているので、それを特定することはできない。仮にヨセミテ国立公園近くの農場から出発したとすると、おそらく気候的な記述(暑さが増したと書かれてある)から、おそらく北へ向かったとは思われない。また、バスで三時間ほどという記述がある。すると東には、その時間的な距離に合致した場所に、日記から読み取れるような、ある程度の大きさの街はないようだ。また、西のサンフランシスコに戻ったとは書いてないので、おそらく、方向的には南に向かったと思われる。たとえば、やや西よりのマーセドだとか、あるいはフレズノあたりの街が、これから展開される修行の舞台として推測できるのであるが、真実はわからない。もっとも、内面世界を旅している彼らにとっては、そこがどの街であろうと関係はないのだが・・・
 兄たち一行は、三時間ほどバスに揺られて、ある地方都市のホテルに着いた。中心地からやや離れた、どちらかといえばモーテルやB&Bのような安宿が立ち並ぶ一角に、そのホテルはあった。三階建てで、外観は普通の屋敷のようである。それでも客室は四十ほどもあり、われわれは二人でひとつの部屋をあてがわれた。トイレは各部屋にあったが、風呂は共同だった。安宿ではあるが、先の農場の屋根裏部屋で寝かされていただけに、まるで高級ホテルに来たような気分だった。
 フロント・マネージャーをしているピーターという初老の紳士が、ここでの滞在中、ジョージと共に、いろいろな世話をしてくれることになっていた。日本でも人気のあるコメディアン、ダニー・ケイそっくりな顔をしており、しぐさも言葉使いも、どことなくひょうきんな感じの男であった。
 私のルームメイトは、フィンランド人のレイフという名の男性だった。年齢は三十代前半くらいだと思われる。非常に白い顔で、髪も眉毛も白に近いくらいの金色をしていた。最初、サンフランシスコで彼を見かけたとき、その逆三角形の頭に大きなまるいメガネをかけている様子から、「あっ、トンボだ」と思った。しかも、何か質問すると、一度じっくりと考えてから答える慎重な態度の持ち主なのだが、そのとき、ときどき首を大きく傾けるのである。そのしぐさが、これまたトンボのしぐさにそっくりなのだ。私は思わず「ずいぶん首を傾けるんだね」というと、彼は子供のとき、授業中に懸命に考えていたのだが、先生からボーッとしているように勘違いされて怒られたらしい。そこで自分は一所懸命に考えているのだと示すために首を傾けるようにしたのだが、それが癖になってしまい、以後それが抜けないのだといった。彼はしかし、愛想のいいナイスガイで、一緒にいても神経を使うことのない、気持ちのいい相棒であった。
 一方、エミリーの部屋は私の斜め前で、今度の相棒は、彼女より少し歳上かと思われるバングラデュ出身の、シュリーンという名前の女性だった。大変に博識というか、好奇心旺盛な女で、ファウスト博士にもよく質問をしているひとりであったが、先の農場で顔をあわせて自己紹介したときも、日本の歴史や文化について、矢継ぎ早に質問してくるのであった。だが、いざ質問を受けると、日本の歴史や文化について、あまり知っていない自分に気づかされることが多く、兄はしばしば赤面せざるを得なかった。
夕方、このホテル一階のレストランで夕食をすませた後、三階の会議室で博士の講義が行われた。そのときのメンバーは三十人弱になっていた。
「諸君は、エーテル体を制御して支配する修行をした。今度はアストラル体の制御と支配のしかたを学ぶことになるだろう。アストラル体も、エーテル体と同じく、両極性によって構成された機械である。この機械を通して真実の自己をうまく表現するためには、やはり、この機械を柔軟にしなければならない。すなわち、あらゆる対極的な感情を理解し、表出できるように鍛えなければならないのだ」
 アストラル体はエーテル体よりもずっと精妙であり、物質的な接点はもたなくなる。色彩豊かな光を放っており、アストラル(astral=星のような)という言葉は、この視覚的な印象から命名されたものだ。アストラル体の色は心の動きによって変化する。大きく分けて赤系統は情緒を、黄系統は知性、青系統は精神性を示している。それはまるで電波のように周囲に放たれており、われわれはそれを雰囲気として感じるのである。
 この霊体は、欲望や感情機能を司どっている。波動を受けると、それを感情に変換しえ感応するのだ。たとえば、音楽という音の波動を感情として受けとめるのが、このアストラル体なのである。
 博士によれば、われわれの大半は、アストラル体に支配されて自由を奪われている。換言すれば、欲望や感情に支配され、感情に振り回されている。なるほど、この説明はよくわかる。われわれはつい、怒りにまかせてとんでもないことをしでかし、後で後悔することがある。あるいはまた、悪いと知りながらも、欲望に負けて、麻薬や酒色に耽ってしまうことがある。そうして人生をだいなしにしてしまう人もいる。これらはみんな、アストラル体という機械の奴隷になっているのだ。
「諸君は、悲しみや苦しみは、嫌なこと、悪いこと、避けるべきこと、否定的なことだと思っている。喜びや楽しみだけを求め、悲しみや辛いことは避けようとする。しかし、もしも喜びや楽しみを得ているだけだったら、どうなると思うかね? もっとも、そんな人が世の中にどれだけいるかはともかくとしても」
 どうなるのだろうか? けっこうなことではないのだろうか? 喜びや楽しみばかりあるのだから。ふと隣の席を見ると、トンボのレイフが腕を組みながら、例のごとく頭をかしげて考えこんでいた。兄は笑いの衝動を押さえるのに苦しんだ。
「おそらく、そいつはとても嫌な奴だと思います。人の痛みも知らず、傲慢で・・・」
 だれかがそういうと、博士はうなずきながら答えた。
「喜びも楽しみも、それは相対的に存在する感情なのだ。つまり、喜びとは悲しみに対する感情であり、楽しみは辛さに対する感情である。もしも喜びだけ、あるいは悲しみだけの感情に長く染まり続けるなら、感情はしだいに麻痺してしまうのだ。ちょうど、使われない筋肉が弱くなり、やがて萎縮してしまうように」
「つまり、喜びを得るには悲しみを味わうことが必要であり、楽しみを得るには辛さが、幸せを得るには不幸を味わうことが必要だということですか?」
「対極的な感情を理解することが必要なのだ。喜びを味わうために、わざわざ悲しい目にあわなければならない、というわけではない。悲しみという感情を豊かに理解することができればいいのだ。もっとも実際に悲しい経験をしてみなければ、悲しみを深く理解することは難しいかもしれないが」
「しかし、怒りだとか、憎しみといった悪い感情は、理解する必要はないですよね」
「いや、いかなる感情も理解できなければならない」
「でも、怒りや憎悪を発揮してはいけないわけでしょう。古今東西、あらゆる聖者たちは例外なく、怒りや憎しみの感情はもつべきではないと説いています」
「私は、そのような説き方はしないのだ。もしも怒りや憎しみの感情をもつべきではないといったとしよう。われわれは、怒りや憎しみの感情が湧き上がったとき、それを抑圧したり、あるいは否定したりする。そのようなことで、怒りや憎しみの感情が消滅することはないし、仮に消滅させられたとしても、同時に、それらの対極にある肯定的な感情も失われてしまうだろう。それでは、アストラル体が柔軟であるとはいえないのだ」
 たとえば、憎悪の対極にあるのは情愛である。憎悪を死滅させたら、情愛も死滅してしまうというのだ。それらは表裏一体の感情だからである。いかなる否定的な感情も、それを抑圧あるいは死滅させてしまえば、肯定的な感情も失われてしまうのだという。アストラル体を柔軟にする場合も、同じようにプラスとマイナスという両極的な感情を、できるかぎり拡大しなければならないのだ。この人生において、さまざまな感情を味わうことが大切だというのである。
「しかし、怒りや憎悪を出してはいけないのではありませんか」
「いや、だしてもかまわない・・・」
 博士がそういったのを耳にして、驚きを禁じ得なかった。感情を支配せよと説く博士の教説と矛盾するではないか。
「ただし、“美しく”そうした感情を出すようにしなさい。それが、アストラル体を制御し支配するということの意味なのだ。説明しよう。たとえば名曲といわれるクラシック音楽の中にも、怒りや憎悪の感情が表現されているものがあるだろう。しかしそれを聞いて、われわれは本当の意味で不愉快な気持ちになったり、憎悪に狂ったり、堕落的な気持ちに襲われることはない。むしろ、そのような気持ちを浄化してくれる。なぜだろうか?」
 みんな考えこんだ。左に座っているエミリーを見ると、目玉を上げたり目を閉じたりしながら考えていた。左のレイフを見ると、すでに顔が天井に向くほど頭が傾いてピクピクしていた。兄はこれ以上、彼の方は見ないようにした。博士が続けた。
「それは、音楽の秩序にのっとって表現されているからだ。すなわち、秩序あるリズム、秩序ある調性に基づいたメロディ、そして和音だ。こうした秩序のもとで表現された感情は、たとえそれがマイナスの感情であっても、逆にプラスの感情を引き出す起爆剤となるのだ。だが、でたらめなリズム、調性を無視したメロディ、不協和音によって演奏されたら、われわれは本当に不愉快になり、それこそ怒りや憎悪を煽られ、堕落的な気持ちに襲われるだろう」
 こうした音楽は、ときどきホラー映画などで使用されている。それはただ気持ち悪いだけの、効果を盛り上げるための音楽である。名曲とはいえないのだ。
 ファウスト博士のこのたとえを別の視点からいえば、こうもいえると思う。すなわち、悲しみや怒りといったマイナスの感情を表現していない、ただ明るく楽しいだけの音楽しか世の中に存在しなかったとしたら、われわれはそれで満足するだろうか。音楽を楽しめるだろうか。そうではない。いろいろな感情を表現している音楽があるから、音楽というものが魅力的になり、その音楽によってわれわれは喜びを得たり、慰められたり、生きる勇気をもらったりするのである。
「同じように、諸君らも、さまざまな感情を理解し、プラスの感情であろうとマイナスの感情だろうと、それを“音楽的に”、つまり秩序に基づいて美しくあらわすようにしなさい」
「しかし、音楽的とか、秩序に基づいて美しく表現しろといわれても、よくわかりません。具体的に、怒りをどのように表現したらいいのですか?」
「エーテル体の覚醒修行で学んだように、両極性を拡大させつつ、そのバランスを取っていくと、しだいに中心軸を体得するようになる。アストラル体も同じく、対極的な感情を拡大させながら、両者のバランスを取るようにすることで、中心軸が体感できるようになる。中心軸の感覚を得れば、アストラル体の支配が可能となるのだ。この中心軸を通して怒りをあらわすとき、それは音楽的になるのだ」
 そして、いわば、中心軸の体得が、アストラル体のレベルでの覚醒である。そしてそのときに、エーテル体の場合と同じく「無為」の行為が達成されるという。
 アストラル体の中心軸とは、要するに、ある種の「美的感性」のことであろう。では、こうした中心軸を体得した人は、具体的にどのように怒りをあらわすのだろうか?
「怒りとは、破壊への欲望である。したがって反対は、育成や創造への欲望である。中心軸に基づかない怒りは、まさに無秩序な破壊以外の何ものももたらさないが、中心軸に基づく怒りは、同時に、その対極である育成や創造がもたらされるのだ」
 たとえば、だれかに怒られたとき、単に反感や敵意を抱いてしまうだけの場合もあるが、ときには、身が引き締まり、自信と励みを喚起させられるようなこともある。そのような怒りは、メチャクチャな感情の爆発ではなく、高度に統制された秩序が感じられる。まさに、音楽的な印象が感じられるのである。
「悲しみも同様である。悲しむこと、悲しみを訴えることは悪いことではない。むしろアストラル体が健全に作動している端的な証拠である。アストラル体が麻痺すると、人は悲しみさえも感じなくなるからだ。だが、中心軸がない場合、その悲しみは無意味な悲観と絶望感に終わるだけである。中心軸が体得されていれば、その悲しみには癒しの要素が伴うようになる」
 しかし、こうした怒りや悲しみは、結果としてそうなるのであって、意識的に操作してそうなるのではない(そのような感情は演技である)。あくまでも、中心軸による「無為」の賜物なのだ。無為は、決して演技ではない。彼は本気で怒り、本気で悲しんでいる。にもかかわらず、そこには統制された音楽的響きに支配されている。このような怒りはマイナスの作用をもたらさすことはなく、むしろプラスの作用をもたらすようになるというのだ。
「世の中には、怒りも悲しみも必要である。もしもあなたが傷ついていたとしよう。あなたのもとへ、決して怒りもしなければ悲しむこともない人間、冷たいロボットのような人間がきて、いくら慰めの言葉や説教を与えてくれても、おそらくあなたは癒されることはないだろう。あなたの受けた傷に対して本気で怒り、本気で悲しんでくれたときに、癒されるのではないか?」
 兄は、博士のこの言葉が強く印象に残ったようだ。今まで兄は、世の聖者や偉人と呼ばれるような人は、怒ることもせず、悲しむこともないと思っていた。そういう人が「悟った人」なのだと思っていた。しかし、そうではないという。そのような無感情な悟り澄ましたような人間では、人や世の中は救われないというのだ。一緒に怒り、一緒に泣いてくれる人間(ただし中心軸に基づいて)こそが、この世の救いには必要なのだ。

 安楽な生活で人は眠りに落ちる
 ところで、次なる修行として、博士は、われわれに五日間ほどアルバイトをしてもらうといった。それには二種類の仕事があった。ひとつはレストランの食器洗いで、もうひとつは街頭に出てアイスクリームを売る仕事だった。
 兄は人とのやりとりは性格的にあまり好きではなかったので、レストランでの食器洗いを選んだ。だが、なぜこんなことをしなければならないのか、と文句をいう者も何人かいた。確かにそうだ。ロバートという中年男性がいった。
「われわれは神秘学の修行をしにきたのです。なぜ、こんなことをしなければならないのですか?」
 博士が答えた。
「もちろんだ。諸君は神秘学の修行をしにきたのだ。だから、わたくしはこの場所にいきなさいといったのだ。君たちは日常の生活がすなわち修行であることに、どうして気がつかないのかね?」
 われわれが修行というとき、それは神秘的な瞑想とか呪文、魔術や超能力の開発法などを思い浮かべる。しかし博士によれば、本当の修行とは日常生活にあり、働くことそれ自身が修行であるという。とくに厳しい状況下で生きることそのものが。
 博士は、どちらの仕事をしたいか希望をとった。ところがそのあとで、希望と逆の仕事に行くように指示したのである。したがって兄は、街頭でアイスクリームを売らなくてはならなくなった。みんな憤慨した。博士はいった。
「諸君は自分の好みで選んだであろう。やりやすいほうを、楽にできるほうをと。だが、それでは覚醒することができない。中心軸は養成されないのだ。楽にできるということは、眠っているということなのだ。不慣れなこと、楽ではないこと、やりたくないことをやってこそ、諸君はパターン的な反応から、眠りの状態から、覚醒する可能性がある。安楽な生活では覚醒する可能性はない」
 博士によると、人を眠りにおとしいれている大きな原因のひとつが、この安楽な生活であるという。人は安楽な生活を幸せであると思っている。だから親は子供を過保護に育てる、子供も生涯を通して安楽な生活への指向を深める。
「もし覚醒したければ、積極的に苦しみを求めていくくらいでなければならない。安全な生活ではなく、全力を尽くさなくては存続できないほどの危険な生活、自分をしっかりさせなくては生きられないほどの苦しさ、これこそが価値ある生き方なのだ。そういう状況に遭遇したら喜びたまえ。世間では苦しみは不運なことだと悲観するが、求道者にとっては幸運な出来事にほかならない。よいだろうか。苦しみはありがたいことなのだ!」

 エミリーの驚くべき告白
 その夜、レイフは、この街を少し探索に行きたいといって外出していった。兄は少し疲れていたので外出の気分にはなれず、かといって寝るには少し早かったので、気晴らしに一階のロビーに降りていった。天井には地味で薄暗いシャンデリアが三つぶら下がっており、その先端で大きなプロペラがゆっくりと回転しながら、風を下に送っていた。壁はクリーム色のレンガ造りで、そう広くはないが、それなりの格調が感じられた。そこに丸いテーブルが五つほどあり、さらに片隅には、三方をソファーで囲まれた一角があった。そこにテレビがあった。おそらくテレビを見る人だけの空間なのだろう。受付にもロビーにもだれもいないで、ひっそりとしていた。
 私はテレビのスイッチを入れてソファーに腰をおろした。
「宇宙・・・、そこは最後の開拓地」
 そんなナレーションが聞こえてきた。真空管があたたまるにつれ、画像がぼんやりと映し出されてきた。見ると、色がついているではないか。なるほど、アメリカの文明は進んでいると思った。カラーテレビなのだ。
 画面には、空飛ぶ円盤とロケットを合体させたようなデザインの宇宙船が、びゅんびゅん宇宙を飛んでいるシーンが映し出されていた。
「勇敢に進め! 前人未踏の地へ!」
 私はぼんやりとソファーに腰かけて、耳のとがった宇宙人の活躍するこの空想科学ドラマを、見るともなしにながめていた。
 少しうとうとしかかったとき、だれかが背後から私の肩に触れた。
 振り返ると、エミリーだった。
「ちょっと、いい?」
「もちろんだよ。さあ、腰かけて」
 兄は立ち上がって、テレビのスイッチをパチンと切った。
 エミリーは私の斜め横のソファーに腰を下ろした。
 チェックの模様の入った水色のワンピースを着ていた。薄く口紅を塗っているのか、それとも血色がいいのか、彼女の唇が普段より赤いように感じられた。シルバーの鎖のネックレスをして、透き通るような白い腕には小さなピンク色の腕時計がからみ、素足でサンダルを履いていた。彼女は、座るとすぐに、片方の手でワンピースの裾をつかみ、その薄い生地をのばして膝下を隠した。そしてけだるそうに右半身をソファーにもたれ、右肘で頭を支え、左足を長くのばした。そんな彼女の、頭から足のつま先のシルエットを目にしたとき、この街から遠望できる美しい山々の姿がそこに重なった。あそこでスキーができたら、どんなにか素敵だろう。頂上から滑らかな尾根を伝わってすべりおり、優美な曲線を描く谷をゆっくり下ると、再びなだらかな白い無垢の雪の丘を進んでいくのだ。
「あの・・・、実は、話したいことがあるの」
 兄は「どうしたの?」と語りかけるような目でエミリーをのぞきこんだ。彼女は一瞬、目をそらして足元をみたが、再び目をあげると、耳もとの髪を軽く手ですいて、そして語り始めた。
「私、あなたに嘘をついていたの。父は交通事故で死んだといったけど、そうではないの」 兄は静かにうなずいて、次の言葉を促した。
「で、どうしたというの?」
 エミリーは、兄がどう反応するかを見届けるように、真剣な目をしていった。
「自殺したの・・・」
 そのとき、兄の表情は、しばらく凍結したように思う。自殺という言葉を耳にして、まるで頭の中の八ミリ映写機を逆回転させたかのように、死ぬためにサンフランシスコに着いてからの断片的な映像が、すさまじい早さで脳裏に投影されたからだ。生きてこの国から帰れないと告げた占い師の唇の映像、立ち並ぶ家々、オレンジ色のゴールデンゲート・ブリッジ、アルカトラズ刑務所跡の島、公園の木々や彫像、足に噛みつくエミリーの犬、こけしのようなエミリーの顔、そして、そうだ。ゴールデンゲート・ブリッジの上から、悲しそうに海を見つめていたエミリーの姿・・・。
「お父さんはね、お父さんは、ゴールデンゲート・ブリッジから飛び降りたのよ!」
「えっ?!」
 エミリーは息もつかずにいっきにまくしたてた。
「十二月二十五日、そう、クリスマスの夜よ。とても冷たい夜。お父さんはあの橋から飛び降りたの。でも浮かんできたの。死ななかったのよ。お父さんは泳いでいたらしいわ。でも、助けがくるまでに沈んでしまった。水が冷たかったから、手足が動かなくなってしまったのよ!」
 エミリーは両手で顔をおおい、腰を曲げて大声で泣いた。まるでためていたものをいっきに吐き出すかのように。兄は彼女の隣に移動し、手で背中をさすった。静かなロビーに彼女の声が反響した。
驚いた。何という偶然であろう。兄はエミリーの父と同じことをしようとしていたのか。少し落ち着きを取り戻したエミリーは、顔をあげ、涙を手で拭いながらいった。
「お父さんが家を出ていく前にも、犬のサルヴァトーレがお父さんのズボンの裾にかみついたのよ。まだ子犬だったのに。あの子にはわかっていたんだわ」
 なるほど、これで何もかもわかった。
「だから、私があのとき、ゴールデンゲート・ブリッジから飛び降りて死ぬと思ったんだね」
「ええ、そうよ。別に霊感が鋭いからじゃないの。本当はね・・・」
 どうやら、霊感が鋭いのは犬のサルヴァトーレの方らしい。話によれば、父親が亡くなったのは今から十二年前、つまり彼女が七歳のときで、父親はそのとき四十歳だった。それ以後、彼女と十歳年上の兄は母親の手で育てられ、経済的にもしばらく苦しい年月を送ったようである。
「ところで、いったい何が、お父さんを自殺にまで追いこんでしまったんだい?」
 そのとき、二階から数人の仲間が降りてきて、ロビーのテーブルに腰かけて談笑を始めた。そこで兄たちは、からだを寄せ合って、ひそひそと小さな声で会話を始めた。
 話によると、父親は小さな家具製造工場を経営していた。あるとき取引先の商店主の誘いで、新興カルト教団に連れられていったという。最初は相手にもしなかったが、得意先ということもあり何回か顔を出しているうちに、彼女の言葉を借りれば「洗脳」させられ、やがて狂信的な信者になってしまったという。そして莫大な金を布施したり布教に時間を取られるようになった。しかも、そのカルトに反対していた母親と喧嘩が耐えなくなったという。ところが、結局、父親は教団のいいように利用されていただけで、そのことに目覚めたときには、工場は教団のものとなっていたという。全財産を失なった父は、一から再建の努力を始めるが、すっかり信用を失っていたのでだれからも協力を得られず、将来を悲観して身投げしてしまったらしい。そしてまもなく、そのカルト教団も解散してしまった。信者から巻き上げた莫大な金を、教祖と何人かの側近で山分けして行方をくらましたとのことである。
「私はね、本当はこんな精神世界なんて、関心はなかったの。私がカルト教団を次々に回っている理由はひとつ、お父さんの復讐をするため・・・」
「何だって!」
「顔は覚えているのよ。何回か教団道場に連れられていかれたことがあるから。名前はソーマっていってたけど、たぶん偽名ね。今も別の偽名を使っているでしょう。とにかく、きっとあいつは、今もどこかで同じようなことしてるに違いないのよ。だから、あいつを探すために、カルト教団にあちこち顔を出しているわけ。それでたまたま、ファウスト博士と出会ったのよ」
 エミリーはひといきついて、次のように付け加えた。
「でも、あの人は違うわ。ファウスト博士だけは、私が今まで会った“グル”なんかとは違う。あの人は本物だわ。とても得るものがある・・・。だから、しばらくこうして、彼のもとで学んでいるのよ。でも、復讐をあきらめたわけじゃないわ。このツアーが終わったら、また探しに出るつもりよ・・・」
 兄は、エミリーに対して抱いていた印象を変更せざるを得なかった。無垢でノー天気な女の子だと思っていたが、とんでもないことを考えているではないか。
「復讐って・・・、いったい何をするつもりなんだ?」
「殺すのよ」
「えっ!・・・・・・・冗談はよせ!」
 エミリーはしかし、すわった目つきで首をゆっくりと横にふった。背筋に悪寒が走った。「本気よ。家族を殺されたんだもの。なのにあの男は、どこかで意気揚々と生きてるのよ。何の罪もないお父さんは死んで、お父さんをだまして死に追いやったあの男は生きているのよ。許せないわ。絶対に!」
 兄は唖然として頭の中が真っ白になった。やはり女は何を考えているかわからない。優しそうな顔をしていながら、内心では、とんでもなく恐ろしいことを考えているのだから。「その男を殺したら、君は牢屋に入れられるんだぞ。長い間。それでもいいのかい」
「かまわないわ。私、お父さんが大好きだった。いつも私の気持ちを理解してくれた。お父さんのいない人生なんて牢屋も同然よ」
「そういうけど、君は牢獄生活がどんなものか知らないんだ」
 私がそういうと、エミリーは少しムッとして言い返した。
「それじゃあ、あなたは知ってるわけ?」
 兄は喉の先まで「イエス!」という言葉が出かかったが、ぐいと飲みこんで押し黙った。ただならぬ雰囲気を感じたのか、向こうのテーブルに座っていた仲間たちの談笑がやみ、こちらに視線を向けているのが感じられた。二人は姿勢を正して平静を装った。
 兄はこう言いたかったに違いない。エミリー。私は知っている。牢獄の暮らしがどんなものであるのかを。格子窓から外の景色を眺めるときの、その深い憧憬と深い絶望とが絡み合った気持ちを。明日もあさってもそのあくる日も、何の可能性も断たれたカスのような毎日を生きなければならない重圧と、夜になると襲ってくる罪の意識の苦悶に、君は耐えられるというのか?・・・
 互いに、少し落ち着きを取り戻すと、兄は彼女に尋ねた。
「それにしても、なぜそんなことを、私に打ち明けたんだい?」
 エミリーは緊張の糸が揺るんだように軽いため息をついて目を伏せた。
「わからない、どうしてだか。ただ、あなたに話しておきたかったの。知っておいてほしかったの。このことは、だれにもいわないでね・・・」
 兄は他の仲間に見られないように、片手でそっと彼女の手を握り、そしてうなづいた。
「わかった。二人だけの秘密ということだね」

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