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                知られざる「ファウスト博士」(第6章)


 第6章 アストラル体の改造2

 アイスクリーム売りという霊的修行
 あくる朝になった。およそ半数の二十名ほどが、フロント係のピーターの案内によって、みやげもの屋が立ち並ぶエリアに連れていかれた。そして、そこにあるアイスクリーム工場のオフィスにいって、制服であるカラフルな星の絵がちりばめられた野球帽とTシャツ、それに首から下げるアイスボックスが渡された。中を見ると、いくつかの種類のアイスキャンデーが、ドライアイスと一緒に入っていた。午後九時から六時までの間、途中、一時間の休憩が入る他は、ずっとアイスクリームを売らなければならなかった。すべてはアイスの売上によって評価された。
 生徒たちは、各自、街中に散らばっていった。ペアを組むのは許されず、みんな一人で売らなければならない。何人かは二つの大通りの交差する地点にある駅前、何人かは長距離バスのターミナル周辺、また何人かは観光客のにぎあう街中や景観のいい場所などに向かった。そして「アイスキャンディはいかがですか」と声を張り上げるのだ。天気は文句のない快晴で、朝のうちはさわやかな気分だが、午後になると、太陽の暑さが呪いに思えてくる。喉が渇いて仕方がないので、屋台でコカコーラを買って飲んだりするが、いっきに瓶が空になってしまう。売れるときは数人の順番ができたりもするが、売れないときはまったく売れず、一時間も街中をさすらった。そして夕方には、もう疲れて丘に向かう階段や小さな公園のベンチなどに腰かけてしまうのだ。奇妙なことに、労働的には、前の農場での荒れ地の開墾よりもずっと楽なはずなのだが、疲労感がひどいのだ。
 そして、時間がくると工場のオフィスに集合し、制服とアイスボックスと売上金を渡すのである。そして、その場で売上が集計され、順位が発表される。初日、私の順位は二十人中、十六位であった。エミリーは五位で、一番アイスを売ったのは、ロバートという三十歳の男で、二位以下を大きく引き離した。
 工場の営業担当が数人やってきて、壁に張られた各自の成績を示す棒グラフを塗っていった。ロバートのグラフは、まるで他の者を見下ろすような高さを誇った。そして営業担当社員は、彼のことをみんなの前で華々しく褒めたたえた。一方、売上の悪い下位五人(つまり私も含まれている)に対しては、ややカチンとくるような嫌みの言葉を二言、三言向けられた。たとえば、「商品が売れない人と本人の魅力とは、比例するのですね」とか「アイスもろくに売れないような人は、人生、何をやってもうまくいきませんね」といったように、その人の人格性そのものを否定するような嫌みなのである。
 兄はその言葉を聞いてムカっときたけれども、しかし、それは当たっているのではないかと思われて落ちこんだ。実際、兄は人に愛された覚えはほとんどないし、それは魅力に欠けるからだと考えていたようだ。また、何をやってもうまくいかない人生だった。賭博場を開いて客を集め、事業をしたが、あの有り様ではないか。自分は何をやってもダメな人間なんだ・・・。 この「表彰式」が終わると、生徒たちはホテルに歩いて戻った。夕暮れどきの商店街の活気が、妙にどんよりとしたものに感じられる。ロバートは自信ありげな顔をして歩いている。だが、ほとんどの人は疲れた顔をして、お互い、あまり会話もせずに帰路についている。なぜ、こんなにも疲れたのだろう? 農場では、あれほどの激務をこなしても平気だったというのに。この、鉛でも注射されたような、嫌な疲労感は何なのだろう?
 いつのまにか隣にエミリーが歩いていた。そしていった。
「売上が低かったこと、がっかりしないでね。また明日がんばればいいんだから」
 彼女は、それを純粋な励ましのつもりでいったのだろう。それは彼女の顔を見ればわかった。しかし兄は、この言葉に腹立たしいものを感じた。プライドが傷つけられたのを感じたのだ。それと、彼女は自分の成績が上位なので、それを鼻にかけているような傲慢さを感じたのである。もちろん彼女は、そんなつもりではまったくないのだ。それはよくわかっていたのだが、このとき、自分では制御できないような妬みや憎悪の感情が沸き上がるのを兄は覚えたようである。兄はそんな心の内を悟られないように必死に自分を押さえ込んで、ただ「うん」とうなずくだけであった。
 突然、彼女は兄の腕に手を回してきた。
 兄は困惑した。この行為を、単なる友人としての親密性の表れにすぎないと考えるべきなのだろうか? それとも彼女は、恋愛感情を抱いているのだろうか。あいさつ代わりにキスをする国民である。深い意味はないのかもしれない。妙に緊張して意識するほどのものではないのかもしれない。
 だが、前を歩いていた仲間が、腕を組んで歩いている二人を見て、冷やかすような笑みを浮かべた。後ろを振り返って見ても、やはり仲間たちがニヤニヤしている。エミリーの方は、そんなことにかまわず、嬉しそうに平然と前を見て歩いている。二人の関係を誤解されているようである。兄は妙な抵抗感を覚えた。何か、自分の領域が侵されたような、あるいは彼女に支配され、彼女の所有物にされてしまったような、そんな不快な感じを覚えたのだ。兄はただ、ブスッとした顔で黙りこんで一緒に歩いた。

 真の瞑想とは
 ホテルに戻ると一階の食堂で夕食を取り、一息ついて、九時から会議室でファウスト博士の講義が行われた。そして、アイス売りグループと皿洗いグループの双方の報告が行われた。このとき、アイスの売上がトップになったロバートは、実は保険のセールスマンだということがわかった。しかも営業成績は常にトップクラスだというのだ。全員が納得した。保険とアイスキャンディーはまるで違う商品だが、人にものを売るという点では同じである。プロの優秀なセールスマンにかなうはずがない。
 一方、皿洗いグループからは、報告というよりは愚痴や不満の声が湧き上がった。
 工場のレストランの厨房で、食器を洗ったり、掃除をしたり、簡単な調理をしたりするのだが、現場監督や従業員の人使いが非常に荒いというのだ。ちょっとでも汚い皿が一枚見つかっただけで、今まで洗った皿をもう一度洗い直せという。少しでもおしゃべりしているとすぐに怒鳴られる。おまけに、ムカつくような嫌みを浴びせられ、生まれてこれほど屈辱的な目にあったことはないと叫んでいた。ある男性は、自分は会社の重役で、地位も経済力もかなりあり、こんなことをするのはプライドが許さないといった。こうした文句を黙って聞いたあと、博士は答えた。
「君たちはわたくしの教えをまったく理解していない。何と愚かなのだ。わたくしはいったはずだ。あらゆる感情を理解して中心軸をつかみなさいと。なのに、だれもその試みをしていない。自分を変えようとせず、外的な条件を変えようとしている。それでいったい何の修行になるというのだ。まさか君たちは、講義を聴いただけで、それで自分は変わったような錯覚をしているのではないだろうね。いいだろうか。気分のいい環境にいてどうして自分が本当に変わるというのだ。いやでいやでたまらない状況におかれてこそ、感情を支配するコツがつかめるのだ。だれかがプライドが邪魔をするといったが、まさに、そのプライドによって行動の自由を奪われているということではないのかね? つまり、それがアストラル体に支配されているということなのだ」
 ヒゲを生やしたヒッピーみたいな男性がいった。
「こんな修行なんかよりも、瞑想の仕方を教えてください。世の偉大な聖者方は、みんな瞑想によって偉大な境地を開拓したのではないのですか?
「これが瞑想ではないのかね? 君たちは瞑想というと、独特な座り方をし、目を閉じて、心をあれこれ操作するテクニックのことを思い浮かべているのだろう。だが、あんなものだけをいくらやったって時間の無駄である。せいぜい、単なる自己満足の気晴らしになる程度だ。静かで快適な場所に座って何かを得ようなどと思うな。荒波にもまれながら、その中に確固たる不動の主軸を見つけるのだ」
 そういうと、引き続き、次のような説明が行われた。
「高速で回転している独楽は、まったく静止しているように見えるだろう。あれが真に瞑想している者の象徴的な姿だ。君たちのいう瞑想は、回転せずに倒れている独楽の姿だ。すなわち、真の瞑想のためには、二つの要素を満たしていなければならない。ひとつは回転して動いていることだ。もうひとつは、その回転が中心の軸によって行われていることだ。軸のずれている独楽は、回ったら狂ったようにフラついてしまうだろう。独楽は高速で回れば回るほど安定度が増してくる。また、円盤の半径が大きければ大きいほど、やはり安定したものとなる。そんな独楽を皿の上に乗せて、その皿を波のように揺らしてみたまえ。どんなに揺らしても、独楽は直立の姿勢を保ち続けるだろう。つまり、真の不動性とは、実は動の状態によって成り立っているのだ。これが真の瞑想状態だ」
 独楽をより安定させるには、円盤の半径の大きさを拡大しなければならない。すなわちそれは、対極的な要素を拡大していくということである。しかし十分に回転していなければ、あるいは十分に回転していても軸が中心になければ、独楽はフラついてどちらかに傾いてしまう。つまり、どちらかの対極性に傾いてしまうのだ。
したがって、まとめるなら、われわれは常に、両極性をダイナミックに、より深く経験していくこと、しかしそのダイナミズムは、中心軸を通して、一見すると極めて静止した不動の安定状態にさせなければならない、ということである。そうしたとき、外的にいかなる波乱に見舞われても、われわれの安定は崩されることがない。

 空虚な気持ちと闘う
 あくる日も、われわれはアイス売りにでかけた。みんな張り切っていた。少しでも多く売ろうとしていた。もちろん、金のためではない。これは無報酬で行われたからだ。では、修行のためだろうか? もちろんそうだ。だが、われわれの間には、自己の内面に向けられた求道心よりも、もっと強い動機がそこに存在していたように思われた。
 それは、競争心である。すなわち、われわれは、他の人に負けたくない気持ちで、アイスを一個でも多く売ろうとしていたように、思われたのである。兄もそのような気持ちはあったが、なにせほとんど最下位の成績なので、張り合う気持ちよりは屈辱的な諦めの方が大部分を占めていたようだ。どうせがんばっても上位に入る自信はなかったのだ。だから、自然とアイスを売る態度にも現れて、積極的に売ろうという気持ちが起きず、それだから実際に売上の方も伸びないのである。
 それに、アイスなどを売って、いったい何の意味があるのかという思いもある。しかも、この暑い空の下で、観光客たちが楽しそうに街中を歩いているその姿を見つめながら。
「アイスキャンディ、いかがですか!」
 こうして声をかけて近づくと、丁寧に断る人もいれば、ニヤニヤ笑って首を振る人もいるし、中には犬でも追い払うような手つきをして断る人もいた。そんなときは、非常に情けない思いがした。なぜこんなことをしているのか、まるで無意味に思われた。
 しかし無意味といえば、作物を植えることのない開墾を、あれほど苦労してやったのだ。あれに比べれば、まだこちらの方が意味があるのではないか? アイスを売って涼しさと味覚の満足を提供しているのだから。実際、「ああ、おいしいアイスだ!」といってくれたときには、こちらもつい嬉しくなる。
 なのに、この胸の空虚な気持ちは何なのだろう。なぜ、こんな空しい気持ちになり、そしてこうも疲れるのだろう。その理由を考えながら、街や公園を歩き続けた。
 荒れ地の開墾のときは、われわれは仲間として、互いに支え合い、苦労を共にした。苦しみを分かち合っていたのだ。しかし、今は違う。彼らはもはや仲間ではなく、ライバルである。彼らの勝利は自分の敗北を意味するのだ。われわれはみな孤独に戦っていたのだ。苦しむのも一人、喜ぶのも一人だ。おそらく、その点の違いに理由があるのかもしれない。 公園の側道を通っているとき、庭園の噴水のそばでアイスを売っているエミリーの姿をみかけた。彼女は相変わらず、よく売れているようだ。特に子供たちの人気を得ているようで、彼女はアイスを子供たちに手渡す度に、嬉しそうに声をかけていた。まるで幼稚園の先生みたいだ。彼女は子供たちに囲まれ、犬やハトにも囲まれて、その笑顔は幸せそうに見えた。噴水のしぶきが薄い霧のようにそんな光景をおおい、薄い虹がそこに現れていた。「私の父の復讐をするの。あの男を殺すつもりよ!」という、恐ろしい気持ちを内に隠し持った女の子であると、いったいだれが想像できるだろう。これは兄だけが知っている彼女の知られる秘密なのだ。
 それにしても、あの場所にいるだけで次々に売れる彼女、足を棒にして歩き回ってもよく売れない兄、いったいこの差は何なのだろう。あの工場の営業社員がいったように、これは人格的な違いなのだろうか。つまり、エミリーの人格はすばらしく価値はあるが、兄の人格は低劣で、兄の存在には価値がないということなのだろうか。そんなことを考えていると、アイスが売れて楽しそうにしている彼女が、傲慢で小憎らしい女のように感じられてきた。昨日、馴れ馴れしく腕を組んできたのも、自分をなめているのではないのかと思えてきたようだ。だがそれは、兄のひがみなのだ。
 そして、夕方になり工場の事務所に引き上げると、成績を集計して「表彰式」が行われた。順位はほとんど変わらなかった。一位は今日もロバートであった。エミリーは順位を二つもあげて三位になった。しかし、兄は順位をひとつ下げて十七位になった。
 営業社員は、三位になったエミリーを絶賛した。そして最下位にいる者に対しては、名指しこそしなかったものの、ひどく屈辱的な非難がなされた。「この暑い日に涼しさを提供することは、人に喜びをもたらす意義のある仕事だ。その意義の大きさを自覚できないような者は、結局、人に喜びを与えることは何もできない。そんな者は生きている価値なんてないのだ」と、そこまでいうのである。兄はその言葉を聞いて、今にも頭の血管が切れそうになった。大声で抗議してやろうと思ったが、それをしても負け犬のわめき声としか思われないだろう。かえって惨めになるだけだと思ってやめておいた。

 評論家はいらない
 その夜、例によって博士の講義が始まった。まずは各グループからの報告と感想から始められた。あいかわらずレストランの皿洗いは苦しいと不満が出ていた。とくに店長のいびりには堪忍袋の緒が切れそうだという。今日もちょっとしたことで怒られ、ひどい嫌みをいわれたという。博士は少しにやりと笑って、そしていった。
「いやな人に会うたびに苦しんでいるのだったら、生涯、幸せをつかむことはできない。なぜなら、いやな人間はどこにでもいるからだ。仮に逃げても、また別のいやな人間に出会うだろう。もしも大切な人生を苦しみで汚したくなかったら、いやだと思う人間をなくすことだ。諸君はそのための訓練をしているのだ」
「でも、あの店長だけは絶対に好きになれません。あの人は人間のクズです」
「いやな人こどが、ありがたい人なのだ。好きな人と交際しているとき、人は眠りにつく。だれだってそんなことは容易にしている。だが、いやな人と交際するとき、人は覚醒に至る可能性をもつ。だから、自分を悩ましてくれる人に感謝しなさい」
 博士によると、いやだと思っている自分にも、そのいやな欠点が潜在しているという。
 たとえばもし、相手の偽善に異常な腹立たしさを覚えるなら、自分にもその偽善がひそんでいるし、弱い者を異常に嫌う者も、自分にその弱さがひそんでいるからだという。もし自分にそういう面がなければ、人は単に無関心という態度を取るだけであり、異常な感情の乱れは起こらない。
「だから、人は自分の鏡なのだ。人は関係を通して自己の姿を知ることができる。人との関係を通して自分の長所も短所も知ることができるのだ。さまざまな人間を観察することによって、諸君は多くのことを学ぶだろう。多くの人と交際できる人間は、アストラル体を制御していることの端的な証拠でもある。特定の人としか交際できない人間は、どこかに不自由な束縛を残しているのだ。中心軸が定まっていない証拠なのだ。とにかく、すべての人を理解するようにこころがけなさい。それが修行だ」
 だれかがいった。「しかし、博士のおっしゃることは、実際には難しいことですね」
 これはおそらく、生徒たちのだれもが抱いている疑問ではないかと思う。確かにファウスト博士の教えには、なるほどと思うことが多い。だが、果たしてそれを実行することは可能なのか? いったいどれくらいの人がそれを実践できるのかと、そんな疑問が浮かんでしまうのだ。それに対して博士は次のように答えた。
「わたくしの教えに“評論家”はいらない。それが難しいことであるか、そうでないかという評価をくだして何の意味があるのか? 水に落ちた者は、泳ぐことは難しいなどと評論するだろうか? 難しいと評論して、何もせずそのまま沈んでいくだろうか? そんなことはできない。全身全霊で手足をバタつかせ、泳ごうと必死になるだろう。なぜか? 本気で助かりたいと思っているからである。同じように、もしも諸君が、本気で覚醒したいと思っているなら、評論などはしない。難しいとか簡単だとか、そんなことは考えない。君たちは評論家でも学者でもなく、実践者なのだ。評論する者は、要するに本気でやろうという気がないのである。わたくしが諸君に求めるのは、生死をかけた真剣さと不屈の忍耐なのだ。この道を歩むと決めた以上、とにかくやりなさい。とことんやったあとで、そうしたければ評価をくだしなさい」

 エミリーへの恋心
 アイスを売る日々が続いた。街中を歩いていたとき、ふと喫茶店の窓をのぞいた。するとそこに、エミリーと、ウォンという名の中国人の青年が一緒にいるのが見えた。向かい合って座り、ジュースを飲みながら、楽しそうに談笑しているではないか。
 そんな二人を見て、兄は自分でも信じられないような強い嫉妬心が湧きあがってくるのを感じた。エミリーはウォンが好きなのか? そう思ったとき、不安と怒りを混合した液体を血液に注射されたかのように、その不快な念が全身に広がるのを感じた。兄は落ち着きを失い、胸中がかき乱れた。理性が笑った。「おまえは、彼女が好きだというのか? あんな女に惚れるような、いかなる理由もないではないか」
 そうだ。そのとおりだ。なぜ自分が彼女に惚れなければならないのだ。自分はまったく関心はないね。好きにやればいいのだ。そう思って、兄は、この喫茶店のある一画には近寄らないで、他の場所でアイスを売って過ごした。しかし、エミリーのことが、ずっと脳裏から離れなかった。
 そして時間がきたので工場に戻った。
 ちょっとした異変が起こった。ロバートの売上が落ちて、いきなり三位になってしまったのである。一位は、ジョーという名のインディアン系の中年女性だった。エミリーは九位となり、ウォンは十五位だった。兄は十三位となり、彼を抜いたのだ! 兄は内心「二人とも、喫茶店でさぼっているから順位が落ちたんだ。自業自得だ」と思って悪意のこもった喜びが湧きあがったのを感じた。ロバートは「いやあ、今日はちょっと油断したかな」と頭をかいて笑っていたが、動揺を隠しきれていない様子だった。ジョーは営業社員から女王様のごとく絶賛され、ウォンをはじめとする最下位の五人ほどは、例によって嫌みたっぷりにこきおろされた。
 その後、兄はホテルの自室に戻ると、今日は特にウォンと顔を合わせたくなかったので、ファウスト博士の講義が始まるまでの時間、外で過ごすことにした。そして、独りでレストランに入り、すみの窓際の席についた。イタリア人のボーイがやってきて、パエリアとミネラル・ウォーターを注文した。
 すると、聞き覚えのある声が耳に入ってきたと思って後ろを振り返ると、そこにエミリーとウォンが入ってきた。この意地の悪い偶然に腹が立ったが、とにかく見つからないように背を向けてじっとしていた。しかし、その期待は裏切られた。
「あっ。やはり君だったのか」
 ウォンの顔が見えた。私は口を堅く結んだ。隣のエミリーをチラリと見た。彼女はにっこりした。胸の中に嵐がやってきた。同席してもいいかという彼女に対して、兄は平然を装ってひとことイエスといった。こうして同じテーブルに座った。
 ウォンが兄の注文したメニューを尋ねた後で、いった。
「そうか、君はパエリアにしたのか。それじゃ、私はオムレツにしよう。君は何にする、エミリー?」
「そうね。私もオムレツにするわ」
 二人で仲良く同じものを食べればいいさと兄は思った。
 兄たちは、ファウスト博士の講義内容や修行のことを中心に話をかわした。といっても、ほとんどがウォンのおしゃべりで、エミリーと兄はもっぱら聞き役であったが。いや、兄の心は、彼の言葉なんかに耳を傾けていなかった。兄の思いはすべてエミリーに向けられた。ちらりと彼女に視線を向けては、その像を写し取り、すぐに視線をそらすと、心の中でその残像を見ることを繰り返した。エミリーは、シャワーを浴びたばかりの髪が少し濡れていた。天井の照明にときどき反射して、彼女の瞳の澄んだ青緑色の光が、まるで夏の海の輝きのように飛び込んできた。その優しいまなざしは、少し人間離れしていると思えるくらいだった。しかし一方で「父の復讐のためにあの男を殺す」といったときの、あの悲しみと憎悪に満ちたまなざしとが、どのようにひとつの目に収束されてしまうのか、不思議だった。薄いピンク色をした唇は、まさに開花しかけたつぼみのようだった。兄は思わず、その開いたばかりの花に、自分の唇を重ねたときの感触を想像した。少しめくれた上の花びらに、自分の唇をゆっくりと押しつけ、吸い込んで軽くかむと、その柔らかさが全身に広がるイメージを想像した。
 兄は、そんな想像によってほてったからだを冷ますため、ミネラル・ウォーターをいっきに飲んだ。ただの水を、この国では金で買わなければならないのだ。不思議だ。日本では水なんか、ただ同然だというのに。もっとも最近では、公害によって汚染されているけれども。汚染されていない水を、この国では金を出して買うのだ。金で清純なものが買えるのだ。そんなことも脳裏をよぎった。
それにしても、ウォンという男はずいぶんとしゃべる奴だ。おしゃべりだが、その内容は決して軽薄ではない。客観的に見れば、ハンサムないい男だ。
 しかし兄の想像は、このハンサム男とエミリーが仲良くしている光景を生み出していく。腕を組み、口づけし、抱擁している光景が浮かんでしまうのだ。そしてたちまち胸中が悪意に満ちた黒雲におおわれてしまうのを感じた。
 話題がくるくる変わった末に、ウォンがいった。
「エミリー、君は魅力的で可愛いから、さぞかし男からモテるだろうね」
 エミリーは恥ずかしそうにいった。
「とんでもない。私なんて魅力なんか全然ないわ。ねえ、私、どうすればいいかしら?」
 そういって彼女は、視線を兄に向け、返答を待ち望んだ。ウォンが隣で「そんなことないよ、君は魅力的な女性だよ」とまくしたてていた。兄はしかし、まるで自分だけ場外にいるような気持ちになり、ぶっきらぼうに答えた。
「魅力がないのであれば、魅力をつけるように努力するしかないんじゃないか・・・」
 そういうと、一瞬、沈黙が支配し、その場の雰囲気は、まるでアルコールの抜けた酒のようにしらけたものになった。兄はだれとも視線を合わせないようにした。だが、ちらりとエミリーを見ると、彼女は悲しみと怒りがまざったような顔つきをしていた。

 アストラル体を支配下におく
 そろそろ講義の時間なので、われわれはホテルに戻った。ほとんど口をきくこともなく。
 今夜の講義の内容は、もっぱらレストランで皿洗いをしている仲間からの愚痴と不平で始まった。それについてファウスト博士は、アストラル体の支配とは、「俳優」になる訓練と共通したものをもっているといった。
「優秀な、真のプロフェッショナルな俳優は、与えられた役柄になりきることができる。その外見的な動きばかりか、内面の動き、すなわち、その思考や感情においても。どのような役柄を与えられても、その人物になりきることができるのだ」
 そして、次のように続けた。
「アストラル体を改造し、それを道具として意識の支配下においたとき、人は自由に感情を操り、どんな芝居でもできるのだ。われわれは嫌いな人になら平気で意地悪ができる。だが、好きな人にはできない。好きな人に親切を施すことはできるが、嫌いな人にはできない。それはまだ感情回路がうまく制御できず、その奴隷となっているからだ。感情回路を自由に変えられるようになると、もしその人のためになるなら、好きな人でも意地悪することができるのだ。また嫌いな人でも親切にできる。というよりも、好きとか嫌いなどというレベルを越えているだろう。好き嫌いをいうのは自己中心的な観点からだが、これは違うのだ」
 博士は、相手のためにどんな芝居でもできるようにすべきだといった。
「心の中でその人を熱愛し、やさしくいたわってあげたいと思い、抱きしめて、自分がかわりにすべての不幸を背負いこんでもいいとまで思えても、もし厳しくすることがどの人のためであると判断したならば、そうできなくてはならない」
 だが、われわれは、相手のためを思っているなどと嘘をつきながら、いかに多くの冷酷な仕打ちをしていることであろう。
「しかし博士。それは要するに演技であって、博士のおっしゃる無為とは違うのではありませんか」
「その通りだ。これは演技である。だが、まず何よりも感情を意のままに演出できることが必要なのだ。アストラル体の中心軸が養成されるまでは。しかし、中心軸が養成されて体得されれば、それから先は無為になる。だからといって、すでに述べたように、無為の状態とは機械的な無意識的パターンの反応ではない。それは真に自由な人間の生きる姿なのだ」

 エミリーが好きな人
 講義が終わり、自室に戻ってドアを閉めたとたん、ウォンがイラついた様子でいった。
「君はやはり鈍い男だな。エミリーにあんなことをいうなんて。彼女、傷ついたぞ」
「いったい、何の話だ?」
「なぜ、彼女には魅力があるといってやらなかったんだ?」
「なぜって、自分で魅力がないといっていたじゃないか。魅力がないのなら、魅力をつけるように努力するのが筋というものだろう。私のいうことが間違っているか?」
 ウォンはあきれたように両手をもちあげて上を見た。
「あのな、エミリーは君からそれを否定してもらいたかったんだよ。君から、魅力があるって、いって欲しかったんだよ」
 なるほど、確かにそうかもしれない。兄は鈍かったのだ。兄は、相手の顔から心理を読み取ることには自信があったのだが、それは冷静に落ちついているときだけだということが、このときわかった。兄は、それについては返答せず、次のようにいった。
「なるほど、確かに、私は女心がわからなかったようだ」
「女心の問題じゃないよ。君は、人間の心がわからないんだ」
「どうだっていいよ。ウォン。君はエミリーのことが好きなんだろう。私には関係のないことさ。君は彼女とうまくやればいいだろう」
 ウォンは、少しあらたまった口調でいった。
「そう。私は彼女のことが好きだ。でも、彼女は私のことが好きじゃない」
「そうかい? でも、喫茶店で楽しそうに話していたところを見かけたよ」
「単なる友達としてさ。彼女が本当に愛している人は私じゃない。君なんだよ!」
 その言葉を耳にして、兄の心には驚きと懐疑とが同時にやってきた。
 兄は頭が混乱して返答に困った。平静さを装うだけで精一杯だった。
「もういいよ。疲れているから、もう寝るよ・・・」


 博士の知られざる過去
 仕事が終わってホテルに戻ると、フロントのピーターと二、三人の者が話をしていた。それは博士の過去についてだった。聞くところによると、ピーターもかつて博士の生徒だったという。そして博士を知り合ったのは、戦後何年かたったある年のことだと語った。
「その頃、私はある平和運動の組織に属していたのです。そこに博士がいました。まだ若く、実にいい男でした」
 どうやら博士は、戦争が終わると政治的な活動をしていたようである。
「この平和運動はひとつの政党だったのですが、過激な運動を嫌い、理性的で穏やかな活動をしました。多くの政治家に働きかけ、軍縮と福祉を主眼としてがんばっていたのです。博士は有能でした。博士は表立っては活動しませんでしたが、陰でわれわれ組織の重大な任務を果たしていたのです」
 ところが、この団体はその後まもなくうまくいかなくなってしまったという。それは、いくら政治的な運動でがんばっても、少しも進展が見られなかったこと、それどころか、汚職がはびこり、権力と金に腐心した政治家が横行したことを痛感したためであるという。「そして、さらにわれわれの組織が大きくなると派閥ができ、党内でいがみあいが起こるようになりました。純粋な願いを抱いていた博士や私は失望し、党を解散させたのです。それからわれわれは別れました。そして、つい何年か前に博士と再会するまで、いったい何をしていたのか、私にはわからないのです」
 ピーターによると、博士が別れる直前に残した言葉は次のようであった。
「政治的なやり方で世界を平和にする以前に、人間ひとりひとりを改善しなければならないことがわかったよ。世界とは、要するに人の集まりだ。世界をよくしようと思ったら、われわれひとりひとりがよくならなければならない。それをしない限り、どんな政治的試みも無駄なのだ。世界を平和にするには、平和的な人類が、つまり、戦争をしない人類にならなければならない。人間存在のあり方そのものを根本的に変えなければならないのだ。わたくしはこれから、そのための道を求めてさすらうつもりだ・・・」

 苦しみは導師である
 その夜、博士の講義が例のごとく始まった。博士はわれわれの感情回路が健全な方向にエネルギーを消費しているか、無駄な感情を発露させてエネルギーをロスしていないか、心は常に静謐さを保っているかなどを尋ねた。
 だが、だれも自信をもってそうしていると答えられた者はいなかった。博士は常に静謐さを保つように、これからもがんばって訓練しなさいといった。しかしみんなは、この仕事は苦しくて仕方がないといった。すると博士はこう語った。
「覚醒のために、この世にはさまざまな導師がいる。人間ばかりではない。すでに述べたように、すべてが導師なのだ。しかし、わたくしはその中でも最高の導師がいるといった。覚えているかね? それは何だかわかったかね。その導師の名は“苦しみ”と呼ばれる。苦しみこそがこの世界で最高の導師なのだ」
 おそらく最初にそういわれても、苦しみが最高の導師であることは理解できなかったと思う。しかし、今は何となくわかるような気がする。
「苦しみは、意識を覚醒に導くために、あらゆる幻想を打破するためにやってきてくれるのだと思いなさい。だから、苦しみを避けることだけを説いている宗教はすべて間違っている。本当の宗教であれば、苦しみから学ぶことを教えているはずだ。苦しみとは教えそのものなのだ。諸君の行為、感じ方、考え方、生き方のどこかにあやまりがあることを、苦しみは教えているのだ。本来の生き方をしていないという警告なのだ。諸君は苦しみから学ばなければならない。苦しみから逃げるのではなく、苦しみに適応して生きることを学びなさい。苦しみという導師から、知恵を学びなさい。よろしいだろうか。人は自分の運命に不満をもつが、覚醒という観点から見れば、やってくるあらゆる運命に無駄はないのだ。やってくるどんな出来事も幸運になり得るのだ。ただわれわれは愚かなために、それがわからないだけなのだ」

 感情の放送局
 今日も朝からアイスクリーム売りの修行が始まった。ロバートは声を張り上げてがんばっている。だが、なぜかよく売れない。彼もさすがに疲れてきたようだ。最初は、あれほどうまく売れていたのに、なぜ急に売れなくなってしまったのか、彼は不可解であった。自嘲するかのようにいった。「単なるビギナーズ・ラックだったのかな」
 今一番売れているのは、エミリーだった。その夜の講義はロバートの愚痴から始まった。「私はだれかに負けるのが悔しくてたまらないのです。何かをやる以上、人に勝つことをめざすべきです。私は負けることに非常な屈辱を感じるのです」
 博士は、自分自身を冷静に見つめ、そのことに気づいたことを評価しながらも、こう語った。
「もし君が、勝たない限り満足しない性格であるならば、生涯にわたって幸せを見いだすことはないだろう。なぜなら、まず、すべての競争に勝つことは不可能であるからだ。そして何よりも、君は他者と張り合うだけで、分かち合うということがなく、つまりは孤独に生きなければならないからだ。勝つことに喜びを見いだすのではなく、行為それ自体に喜びを見いだすことだ。勝ち負けにこだわる競争的な生き方に幸福は存在しない」
「しかし、どうして売上が落ちてしまったのですか? 最初はあんなに売れていたのに」
 博士はその理由についてこう答えた。
「最初、君は売ることに喜びを感じていた。アイスが売れるたびに、君は嬉しくなった。そのことは何も問題ではない。ところが、やがて君は、自分の欲望を満たす手段として、客を見るようになったのだ。君にとって客は、単なる目的達成の手段にすぎなくなった。それが君の態度に、君の言葉使いに、君の視線に、君の醸し出す雰囲気の中に、微妙に滲み出てきたのだよ。客は、明確に意識しないかもしれないが、無意識のうちに、自分が利用されるにすぎない存在として低く扱われていることに気づき、反感を抱くようになったのだ。だから、売れなくなったのだ」
 そういうと、次のような説明をした。
「アストラル体は、いわば感情の放送局だ。たとえば、怒りや敵意を抱いていると、それが電波のように周囲に放射される。まわりの者は、敏感な人ならはっきりと気分が悪くなったことに気づくが、たいていは無意識のうちに潜在意識に入りこんでいく。その結果、それはある種の暗示として働き、怒りの感情を誘発させやすくしてしまうのだ」
 神秘学的に見れば、たとえ行為では何も悪いことをしていなくても、ただ考えただけで、それは罪になるといえるのかもしれない。
「しかし逆にいえば、諸君が常に平和の思い、喜び、愛や祝福の念を抱いているならば、それは周囲の人に対して計り知れない恩恵を与えていることになるのだ。相手はそれを意識しなくても、心の奥では幸福に向かう暗示を与えているのである。つまり、その人の運命をよい方向に変えていることになるのだ。だから、諸君は、常にすばらしい感情的な波動を放射しているべきである」
 ロバートはいった。
「わかりました。私は、お客さんを自分の目標達成の手段にしないようにします。お客さんを大切にする気持ちをもちます。そうすれば、売上が伸びるんですね?」
 この言葉に対して、博士は肯定も否定もせず、ただ笑みを浮かべているだけだった。
 だが、明くる日も、彼の売上は伸びなかった。その明くる日もダメだった。そして、その夜、ロバートは博士に文句をいった。
「私はあなたのおっしゃったとおり、自分の目的のために、お客さんを利用する気持ちを捨て、お客さんを大切にする気持ちでがんばりました。でも、まったく売れません。あなたのいうことは当てになりませんね」
 博士はいった。
「もしも君が、わたくしのいったように、行為それ自体を喜びとしていたのであれば、そのような不服など漏らさないのではないかね? もしも君が、たとえ一人であろうと二人であろうと、この暑い日に涼しさと甘い味覚を提供できたことに、君が意義と喜びを感じているのであれば、なぜ売れ行きに対する不満が出るのかね?」
 つまり、彼は言葉だけで、本心では、相変わらず客を自己目的の手段にしていたのである。そこに、エゴが自分をだますことの典型をみたような思いがした。彼の偽善性は、決して彼だけのものではない。ロバートは赤面してうなだれてしまった。続いて博士はエミリーを指さしていった。
「なぜ彼女が一番売れているか、諸君はわかるかね? 彼女には邪心というものがない。深い思いやりと打算なき誠実さが、彼女の本質的な人格として滲み出ているからだ」
 ファウスト博士が、ひとりの人間を指名して、これほどまでの称賛を述べたのは、おそらく後にも先にもエミリーだけであった。エミリーは照れ臭そうにうつむいていた。
 兄は、少なからず嫉妬心を覚えて心穏やかとはいえなかった。果たして彼女は、博士が絶賛するほどすばらしい人なのだろうかと疑問だった。兄には、どこにでもいるような、平凡な女の子という以上の印象はどうしても受けなかったらしい。しかし、後に兄は、ファウスト博士のいう通りであることがわかった。エミリーの優しさと善意は、本当の意味で自然な行為から出ているということが。人に親切にしようとしたり、優しい言葉をかけようとしたり、よいことをしようとする前は、自分はこれから親切をするのだ、優しい言葉をかけてあげるのだ、よいことをするのだと意識してから取りかかる。そして「自分は親切な行為をしている」と意識している。そのような親切な行為は、ともすると圧迫感や押し付けがましさ、いやらしさといったものを感じてしまう。けれども、エミリーにはそれがない。彼女の親切、彼女の思いやりは、どこまでも真心から出たものである。しかも、結果的に実にうまいタイミングで、善意の手を差し伸べる。彼女の親切を必要としている人のところへ、まるで導かれるように姿を現すという、まるで超能力とでもいいたくなるような、不思議な才能(?)をもっているのである。しかも、そのようなことを、まったく意識せず自然に行っているのである。
「よいだろうか。たかがアイスクリームを売るというだけの仕事でも、これだけ奥が深いのだ。ささいなことで、人は自己の欠点や弱点が暴露され、そして自覚できるようになるのだ。われわれは、どのようなことからも学ぶのである」

 ストーリーとしてはまだ途中ですが、原稿はこれで終わりです。物語としての続きは『ファウスト博士の超人覚醒法』あるいは『真実への旅』をご覧ください。

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