安葉巻を片手に2005


”街角の戯作者”を自称する私の自由文集(2005年版)です。
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 徒然なるままに……
 
 21世紀になってから、個人的に親しんだ色々なモノが少しずつなくなっています。
私自身がそう言う年齢になっている事を嫌でも自覚しないといけないのかもしれません。
特に、昨年の秋に自ら「時代小説好きの老人」と称していた(私にとっての)知人が鬼籍に入られてからから、立て続けに来ている様な感じに襲われています。
気持ちが立ち直りかけた頃に後頭部に延髄蹴りを喰らうかの様にそんな事象が襲ってくるような気がします。
ですから、鎮魂詩みたいなものばかりしか創れなくて、意図的にこの「安葉巻を片手に」の更新は怠っていました。
そんな、なくなってしまったモノの話を少ししてみます。
今まで以上にまとまりの無い独りよがりな文章ですが、以降を読まれる方はそれを了解した上で読み進めてください。
 1.喫茶店「里○」  私が以前勤めていた会社の帰り道にあった馬蹄型のカウンター席だけの珈琲と洋食を出していた喫茶店でした。
昨年の秋に近くへ行った際に営業時間なのにシャッターが閉まっていたので、隣のお店に聞いたところ、マスターが体を壊されて既に閉店になって久しい、との事でした。
他の店が入っているならあきらめもつくのですが、店の外観そのままにただシャッターが閉まっているだけの状態なのが、気分を複雑にしました。
 珈琲は比較的軽めで抽出はペーパーフィルターによるドリップですが、夏季に出される(結果的に作り置きになる)アイスコーヒーではネルを使ってドリップを行なっていました。
珈琲はブレンドと(お湯割で無い)アメリカンとアイスコーヒーの他に、ストレートでは、キリマンジャロ、モカ、ブラジル、コロンビア、マンデリン、グァテマラの6銘柄をメニューに載せていました。
また、水はとある国産ウヰスキーの仕込み水と同じもの(業務用途に若干市販されていた)を当初使っていました。
その水が販売中止になってからは、違うものになってしまいましたが、近い味を保っていました。
 「帰りに飲み屋で一杯」と言うのは会社勤めをしている人のささやかな楽しみと言う話がありますが、そんなささやかな楽しみを味わっていたのが、私にとってはその店になります。
会社帰りに寄ってはそのカウンターに職場での疲れを置いて行っただけで無く、遅くなった時には夕食をとったりしたので、給料の何割かはその店に消えていたかもしれません。
飲み屋さんに給料の何割かをつぎ込む、と言うのはよくある話ですが、喫茶店に給料の何割かが消えると言うのは、珍しい事かもしれません。
(笑) そうなると、「通った」と言う事も出来そうなところです。
理由の1つには、やはり珈琲の味が結構好みだった事があります。
それとは別に、店のマスターとの会話(叱咤激励含)もまた楽しみの1つでした。
店のマスターと客と言う関係ではあったものの、歳の離れた友人とも思える心地良い距離を保てたと思っています。
 余談ですが、私の言葉使いから親の職業を当てると言う不思議な事をしたマスターでもありました。
後で理由を聞くと「言葉使いや発想がそう言う人の物だ」と言う事でしたが。
記憶をたどりながら思い出を書いて行くと色々と出てきます。
まぁ、ウェートレスが居なかったので、色っぽい話が無いのは救いかも。
(^^; いや、話に色恋を肴にした物が無かったわけではありませぬが。
(^^;  2.床屋「ク○○ン」  特に変える必要が無いものの場合は、その付き合いが幾年にも及ぶ事があります。
そんな長い年月に渡る付き合いがあるもの、そんなモノの1つが床屋でした。
身形や髪型には相当無頓着で、小学生時代はスポーツ刈りと呼ばれる短い髪型をしていましたが、中学生になって髪を少々伸ばして(とは言え、人が言うには「慎太郎カット」位らしい)から髪型は20年以上変わりません。
社会人になっても2〜3年は、ほぼ毎月散髪に通っていましたから無頓着と言いながらも髪型だけはそれなりにまとまっていたかもしれませんが。
 ここ4〜5年は3ヵ月に1度程度の散髪の回数になっていましたが、先日「夏になる前に1回切っておこう」と思って先日床屋へ行きました。
何処となく紫色の幕に囲まれたような今まで味わった事の無い雰囲気でした。
いつもなら馴染みの店員さんと言うかオジサン達4人と近所の店の威勢のいいオバサンの会話が行なわれているのに、その日は静かでした。
少々沈んだ感じの声で「どうぞ」と言われて髪を刈ってもらいました。
30年近く通っている床屋ですし、店のオジサンとも同じ位のつきあいになりますから、何も言わなくても、いつもの様にちゃんと刈ってくれます。
一通り刈り終わってから、急に刈っていたオジサンが「床屋のオジサン死んじゃったよ。
」と私に言いました。
私自身、その言葉にどう言う反応をすればいいのかわからずキョトンとしていると、1枚の写真を私に見せてくれました。
私にとってはその時に刈っていたオジサンと同じ位に長い事刈ってもらっていたオジサンの姿が写っていました。
散髪が終わって、今の場所に移転する前の店舗の頃から散髪してもらった事とかが頭の中を駆け巡り、「30年近く通っていたものなぁ……」と言うのが精一杯でした。
 それから3週間ほどして、床屋は店内改装をしたようで、まるっきり外観が変わってしまいました。
店舗自体は無くなっていませんが、30年近く通った事で培われた「座ればあとはお任せ」と言う客にとっては最高のサービスは無くなってしまった事でしょう。
 

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