ツアー報告

こちらのページでは私の調査、取材のようす、及びフォーラムのオフ参加記の報告を載せています。当館の課外活動の様子を知っていただけたらうれしいです。

1.奈良県桜井市に森本六爾先生の顕彰碑の取材及び唐古遺跡の見学。…初めての森本六爾先生関連の取材でした。この時は、まだホームページもありませんでしたが、感動でした。唐古池を一周して、楼閣の写真を撮りました。森本先生のお宅を外から眺めて、顕彰碑の記念撮影を行いました。桜井市埋蔵文化財センターで『森本六爾展』の図録を手に入れました。

2.極楽寺に森本六爾先生の終焉の地を訪ねる。…鎌倉は私の住んでいる町田から比較的近く、取材に出かけました。夏の暑い日でしたが、結局どこが旧宅なのかわからずじまいでした。鎌倉市立図書館で六爾先生の『考古学』を見ました。

3.諏訪の藤森栄一先生のお墓参りをする。…念願の藤森先生のふるさと諏訪を初めて訪れました。諏訪市図書館で先生の著作を読みあさりました。お墓は諏訪清陵高校うらの教念寺墓地としかわからずに、墓地の隅から隅まで「藤森」という名前のお墓すべてを探すことになってしまいました。苦労の甲斐あって無事お参りすることが出来ました。

4.相沢忠洋記念館に初めて訪れる。…ホームページの引継を行い、相沢千恵子館長にご報告にうかがうために初めて訪れる。午前中に岩宿遺跡の見学を済ませ、午後からの取材となる。相沢館長は大変暖かく歓迎してしださり、感激する。ホームページ作成のための資料をいただく。

5.秦野の直良信夫先生のお墓参りをする。…明石人は旧人であったことを証明され、そのご報告のために神奈川県秦野市にある直良先生のお墓参りをする。直良先生は早稲田大学での私の父の先生だったご縁もあり、また、旧石器文化解明の先駆者としての業績は大きい。

6.多摩霊園の杉原荘介先生のお墓参りをする。…長年あこがれの先生だった明治大学教授杉原荘介先生のお墓まいりに行きました。先生のお墓は、なぜか写真でみた森本六爾先生のお墓によく似ていました。

7.渋谷区羽沢町の東京考古学会の跡を探る。…森本六爾先生の東京考古学会の事務所があった渋谷区羽沢町を調査いたしました。

8.諏訪に藤森栄一先生を訪ねるツアーを主催する。…真冬に藤森先生関連の遺跡を中心に見学してきました。とても、寒かったですが、諏訪を肌で感じることができました。

9.森本六爾先生のお墓参り。…奈良県桜井市粟殿の共同墓地にある森本六爾先生のお墓まいりをいたしました。共同墓地の一角に埋もれるようにひっそりとしたお墓でした。

10.弥生博物館の「東京考古学会のサムライたち」の講演会を聞きに行く。…坪井清足先生の講演会「森本六爾と東京考古学会のサムライたち」を聴きに行きました。

11.森浩一先生の講演会「京都の考古学から見えてくる本当の古代史」に行く。

12.踊るハニワの出土地を訪ねて。…私の一番お気に入りのハニワである。埼玉県大里郡江南町野原古墳群出土の踊るハニワの出土地を調査いたしました。

13.古代の古墳の真空パック浅田3号墳群馬県子持村中郷に所在する浅田遺跡で、五世紀後半とおもわれる円墳(浅田3号墳)が築造当時の姿で出土した。墳丘の頂上には四十五個の埴輪が直径約八メートルの円を描いて並び、近くの利根川の河原石を用いて作られた石室の存在も確認された。古墳が風化や盗掘などを免れ、ほぼ完全な形で発掘されるのは珍しく、当時の埋葬形式を知る上で貴重な古墳である。調査した子持村教育委員会によると、古墳の上には六世紀中ごろの榛名山の噴火による軽石が一メートル以上積もっていたようである。3号墳は直径約二十メートル、高さ約二・五メートル。頂上には東西南北の四カ所に朝顔形の埴輪が一個ずつ、西側には、にわとり形の埴輪も一個置かれ、その間にほぼ等間隔で円筒埴輪が四十個立っていた。埴輪の高さは朝顔形が約五、六十センチ、円筒形が約四十センチ。古墳の上部には土留めのふき石も崩れずに残っていた。

 


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