「寿親父の野望」はつれづれなるままに・・・・・・・・・・

「生きるということ」は、その根底に、様々な競争原理が、敷き詰められているのは間違いないけれど、
できることなら、人と熾烈な争いをして、他人を押しのけて勝利を得るというのではなく、人の手助けになる、
知恵とスキルを身につけて多くの人達に貢献する競争をして、自らの人生を、生きたいものだ。
この様な視点で、行動することが我々に、現在、切に、求められているんじゃないのかなあ。
勝利するか敗北するかは、分からないが、・・・・・・   

「自由」という言葉の魅力と不自由
ある大学教授の淡々としたテレビ講座に納得してしまった。

自由に生きよう、自分らしく生きよう、自分を自由に表現しよう等様々に
「自由」という言葉が氾濫しているが
個人にとって自由という事は、「自分勝手、わがまま」という事だ。
ほとんどの場合、多くの人々と共有できる目標に向かっているのでなければ、
他の人々の反発を受ける。自分が自由に振る舞えば振る舞うほど、他の人々からの
助けや、サポートを受けられなくなり、本人が夢に描いている「自由等という夢物語」
どころか「思いっきり不自由:不幸」に、見舞われるという事を覚悟しておきなさい。
「他の人は、平凡にそこそこ幸せに生活しているのに、自分はなんて、不幸なんだろう」と
感じる場合、このケースが、多いんじゃないか、自分勝手な「自由」を振る舞いすぎた結果??
一見、魅力的な言葉(言葉のレベル)は、現実、裏を返せば、「自分勝手に行動する(行動のレベル)」
という意味であるならば、間違いなく良い事はない。
自己表現を豊かにし、社会の中で、FULL-FUNCTIONING (十分に機能する、できる)存在として
生きるということでなければ、「羽ばたけない」という講義

自分の好きなことをするのが「子供」
求められていることをするのが「大人」
行動レベルで、「子供」と「大人」が分かれるのだそうだ。
「自分の好きなこと」と「求められていること」が一緒だったらいいね!!!(^_^)v(^^;)

本やテレビ番組等からの抜粋 
手塚治虫 ブッダ8巻から
京セラ 稲森会長のお言葉
五木寛之さん
江原啓之スピリチュアルカウンセラー
芭蕉翁
荒俣 宏・泰子さん夫妻