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vol.1

(関富士子の詩)

彼女は一枚の緑濃いミカンの葉に生まれる

関 富士子

  
彼女とは老いた太陽のなかの黒点である
すきとおった丸天井にあたかかい光がさし
真性の球体の水はしだいに黄色く濁る
ある日小さな黒い粒があらわれる
それが彼女だあらゆる瞬間に世界じゅうの太陽から生まれる
  
彼女は太陽をひとつ食いつぶす
しかしそのとき一個の鳥の糞として存在していたので
世界は一羽のツグミの尻の穴の下にあって
ツグミは彼女を啄ばむことすら思いつかないふうであった
  
彼女が世界に向かって突き出す二本の角は
何かに触れようとして差しのべられたものではない
吐き戻されたミカンの焦げた甘い匂い
それは世界を威嚇するための言語である
  
彼女と世界を隔てるのはたった一枚の皮膚である
しかし脱ぎ捨てるとき縮んでくろずんだ襤褸にすぎない
その下からあらわれる大きな瞳は世界を映さない
彼女は誰を欺こうとしているのでもなく
ただ偽の瞳の下の小さな目で一枚の緑濃いミカンの葉を見ている
世界は一枚の緑濃いミカンの葉で
彼女の微細な歯形は秒の打刻とともに刻まれ
レースの縁取りのように世界を縁取った
彼女のやわらかいキャタピラの内部を緑のジュースで満たした
尻の穴からひり出される香り高い糞が世界を耕した
  
彼女の腹脚は眠りの場所までの距離を知っている
彼女の尾脚は墜落までの速さを計っている
彼女の胸脚は全速力で世界から立ち去ろうとしている
一枚の緑濃いミカンの葉から
  
眠りのとき彼女は堅固で美しい皮膚の中で循環する体液だったとしか言えない
  
覚醒した彼女は世界から飛び立つためのつよい羽を得たが
世界は一枚の緑濃いミカンの葉ではないと誰が言えよう
彼女は再びそこへ戻るのだ千個の太陽を胸までつかえさせて




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rain tree vol.1

バラはバラ園に

関 富士子

  
 雑木林の坂を登るとすぐに明るい丘陵がひらけた。北側を残してほとんど刈
り取られたとうもろこし畑。どこからか肥料のような強い異臭がする。日差し
は夏にくたびれて黄ばんでいる。雑木林、工場、三角屋根の大きな温室ハウス。
畑の間を抜けてハウスの方へ歩く。異臭はますますきつくなる。
  
 ハウスの半透明の窓から中がうかがえる。栽培されているのは見渡すかぎり
の真紅のバラである。整然と並んだいくつかの畝は、それぞれ丈高い鉄柵で囲
われ、柵いっぱいに葉を茂らせている。茎は十分に育って、穫り入れ間近のバ
ラの花が数えきれないほど咲いている。すべて真紅のバラだ。ふと「ばら色」
ということばが思い浮かぶ。ばら色、ばら色の花盛りだ。
いや、ばら色といえば真紅ではない。「ばら色に輝くほお」とは決して真紅
のほおをいうのではない。それは、白いほおが喜びや興奮に紅潮して血の色を
肌に蘇らせるさまをいう。それは幸福に輝く人間の肌を形容する言葉であって、
活をいうのであって……。
  
不意に叫び声が聞こえてふるえあがった。険しい怒りと憎悪に満ちたかん高
い声。ハウスの裏へ回るとひどい悪臭に頭を一撃された。そこは大きな屋根に
覆われた広い囲い場で、全体が薄暗い影のなかにある。まがまがしい何ものか
の激しい息づかい、ため息や威嚇や恐怖の声がわき上がる。
  
白っぽいかたまりが、暗がりの中でおびただしくうごめいていた。その一つ
がわたしの姿を見とがめ、からだを揺すって立ち上がった。腹の肉がさざなみ
立ち、かぼそい蹄を頼りなげに踏みしめている。わたしを見つめる小さな目の
回りは、赤くばら色に輝いている。わたしに向けて広がった鼻の二つの穴は、
奥の粘膜までばら色にぬれている。バラはバラ園に、ばら色は豚舎に。
  
 その警戒の動きに反応して豚舎じゅうの豚が金切り声をあげた。人間の胸ほ
どの高さの柵囲いがさらに十畳ほどに仕切られ、五十は並んでいる。それぞれ
の囲いに十頭あまり。何頭かが糞にまみれた横腹を押し合ってわたしのほうへ
突進したが、柵にはばまれて鼻づらをつぶすばかりだ。彼女たちのからだは興
奮で一気にばら色に染まり、白い短毛が逆立った。
  
 彼女たち? そう、子豚も雄豚もいない。500頭の豚の姿をした太ったば
ら色のはだかの女たちが、寝そべりながら水を吐き散らし、糞を垂れてはあお
むけになって背中に擦りつけている。そのたくさんの三角の耳を斜めから差す
夕方の光が照らして、血管の真紅の編み目を透かした。
  
 いつか悪臭は消え、豚は床に横たわってまどろんでいた。その腹が柔らかく
息づくのを見るうちに、ひどい眠気に襲われた。たまらず柵を乗り越え豚の腹
の間にしゃがんだ。はだかになって糞を胸や腹に擦りつけ、かたわらの豚に腕
を回して寄り添った。豚は温かくおもたくわたしに重なってきた。背後から柔
らかい鼻づらがわたしのほおに押しあてられた。屠殺される前の束の間を、ば
ら色の姉と妹たちに抱かれ、まどろんで過ごすのだ。

           (詩誌「gui」no.54 1998.8.1) <詩を読む 2>六月の朝の明るさ(西脇順三郎「六月の朝」を読む)へ
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