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vol.10
<詩>執筆者紹介(小池昌代)へ

小池 昌代の詩  1

きょう、ゆびわを不在と充足沈黙家族不意にひらくドア九階から逃亡者



きょう、ゆびわを

                   小池 昌代
  
「きょう、ゆびわを」
と言いかけて
彼が立ちあがった
きょうは、クリスマスである。
その背中に
(「あなたに、買った」)
と構想を重ねたが
人生は
「道で拾った」
と続くのだった
指にはめるとぐらぐらとまわった
小さなダイヤとサファイヤの。
「けいさつに」
届けるべきだろうか?
そんなことは知らない
がっかりしたので
「がっかり」と言った
彼は
「え?なに?なに?」と言いながら
ゆびわの今後に余念がない
持ち主は
ふっくらとした
やさしい指をした女にちがいない
わたしと
彼と
見知らぬ女と
その日
ゆびわのまわりには
ゆれうごくいくつかの感情があり
拾われて
所有者を離れたゆびわのみが
一点、 不埒に輝いている
「きょう、ゆびわを」
「いためて食べた」
でも
「きょうゆびわを」
「みずうみで釣った」
でもなく、
なぜ
「きょう、ゆびわを、道で拾った」のだ?
わたしはふいに
信じられないことだが
この簡単な構文に
自分が感動しているような気がした
ひとが歩き、ひとが生きたあとを
文が追っていく
なんということだろう
そして
あのひとが
「きょう、ゆびわを」
と言ったあと
そのあと
一瞬、訪れた、深い沈黙
文ができあがる
私に意味が届く
私をうちのめし、私を通りすぎ
生きられたことばは
すぐに消えてしまう
私はあわてて紙に書きつける
しかしそれは
どこからどう見たとしても
平凡でありきたりな一文だった
「きょう、ゆびわを、道で拾った」
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不在と充足

                 小池 昌代
  
ああ、いい天気だ、
窓際にあふれる光を見ていると
涙がでかかって
泣いてもいいのに
すっと引っ込む。
平日の、午前中の、
こんなあふれる陽の光を
随分長いこと、知らなかった
天気がいいと
すぐわたしは
目的もないのに
どこかへいこうと思うけれど
どこか、とはどこか
どこか別のところ、
誰か他の人、と
なぜ、そんなことばかり思うのだ
ここで充分。
あのひとで。
外の見えない曇りがらすで、光を感じるだけで充分だ、と
今日は、今だけを味わって素直である
昼間
わたしのいないあいだ
この部屋を太陽は
このように廻っていたのだな
いま、わたしはここにいるのに
いないような気持ちで部屋を見まわす
誰のものでもない、不思議な目をかりて。
どこを探しても
わたしはいない
ああ、いい気持ちだ
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沈黙家族

                 小池 昌代
  
 なかなか口に出せない言葉というものが人それぞれに
あると思うが、なにしろ口に出せないので、そのひとに
とってのそれが何であるか、なかなかわからない。
 言えないということの理由のひとつに、言う習慣がな
いので、言えないということがある。
 友人に、信州の農家出身の男性がいるが、おもしろい
ことに、彼の家には、「いってらっしゃい」、とか「た
だいま」という言葉を家族でかわす習慣がなかったとい
うことだ。
 学校へ行くときも、すーっと出て行く。帰ってきたら、
あ、帰ってきたなと黙認しあう。
そしてそれは、少しも冷たいという感じではないらしい。
 しかし挨拶をしない家族がいるといううわさは、いつ
のまにか広がり、やがて教師が聞きつけるところとなっ
た。在る日のこと、「挨拶は基本」とばかりに、当時担
任のK先生が、彼の帰るあとをつけてきて、玄関の横に
立ち、彼が「ただいま」というまで、じっと待っていた
という。中学生だった彼は、顔をまっかにしながら、仕
方なく、横を、向いて
「ただいま」
と言った。物凄く恥ずかしかったそうだ。それを実演し
た三十年後の彼のイントネーションは、どことなく変だ
った。いまだに言い慣れないのかもしれない。それも、
あいかわらず、まっかになりながら。
 そのとき、みたこともないような、まあたらしい「た
だいま」が、過去から現在に至る長い産道を抜けて、す
ぽんとこの世に飛び出してきたように思った。
 ことばの発生。――わたしは、なぜかうやうやしい気
持ちになって、「ただいま」の出てきたあたりに眼をこ
らす。内圧がかけられて、止むにやまれず出てきたこと
ば。一瞬の光をあびて、ことばじしん、どんなにまぶし
かったことだろう。
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不意にひらくドア


           小池 昌代
  
シアトル行き
真夜中の機内
ひらかれたドアから光がもれて
一人の男の姿が浮かび上がる
いまいるここが
その光によって
まぎれもない闇であることが知らされる
こんな風景を
わたしはいくども見てきた、と思う
旅客の誰も彼もが
小石のような存在に集約される瞬間
ここでないどこかへ
出て行こうとする者たちによって
世界の皮膜はいつも破られる
きょう
明るい日の光に満ちたここ
日常世界
この世界を覆す、見えない不意のドアは
どこにひらかれてあるか
隠されてあるのか
そのノブをまわす手
なにげないうごき
いま、ここにいる私が
そのとき
反世界に
まぶしく転写される
真夜中の機内
トイレのドアを開いたひとは
光のなかへ
たちまちのうちに消えてしまう
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九階から


                小池 昌代
  
風のつよい日
高層ビルの九階から
眼下に激しく揺れる森を見ていたことがあった
木々は身をくねらせて
風をからだいっぱいにはらんで立っていたが
(根があるから、あんなにゆさぶられても平気なのだ)
ことばを持たないものっておそろしい表現をする
そのとき木は
わたしに一瞬
あくまでも主体的に
身をくねらせているように見えたのだ
九階に風はなかった
そしていつも
風は見えないのだから
風というものはなかった、と考えてみることはできた
それにしても
どうしたわけだろう
何かがひとつ
決定的にかけながら
何が欠けているのかを
思い出せない
マイナスワン
世界から存在がごぼう抜きされること
分厚い窓ガラスを隔てた
それは小さな錯覚だったのだが
しかしその違和感は
何かを
激しく思い出させるのに充分だった
風を見なかったあの一瞬のように
わたしが欠ける日
風は一層つよく
傷ひとつ負わない四月の空
九階から
その日をわたしは見たことがある
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逃亡者


          小池 昌代
  
テキサス州マッキーニー
どこまでも
どこまでもまっすぐな田舎道を行くと
私たちの車のバックミラーには
気がつけば
その中心にいつまでも
くりぬいたような
夕日がまぶしく映っていた
それで
私たちが
一直線に
東へ向かっていることがわかったのだ
やがてゆるいカーブとともに
鏡のなかから追い出された夕日が
今度は左手に現われて
あなたの横顔を赤く照らしたこと
どこへ逃げようと
私たちは
何者かによってすでに
とらえられた者
この地平という皿のうえ
蟻ほどのささやかな距離を
移動するにすぎない
あの、おおいなる視線に見つめられて。
けれど東京で
世田谷船橋から多摩センターへと
私はきょうも
前へ
前へと進むしかなかった
いまも
そしてあのときも
一度もふりかえりはしなかった私たちを
バックミラーのなか
するすると遠くなる風景とは逆に
どこまでも
どこまでも
追いかけてきた夕日
前へ
前へ、と
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