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vol.4

<詩を読む 5>

グラグラと黒い墓

宮野 一世


 昭和2年発行の『グラグラ』という関東大震災をテー
マにしたアンソロジーがある。ライトヴァース集といっ
てもいいだろう。編者は股区傴蛆世。大正10年北原白秋
によって翻訳された『まざあ・ぐうす』の影響を受けた
と思われるブラックユーモア溢れる諸詩篇や、「皿の上
のノ」という詩に代表される文字遊びを絡めながら朝鮮
人の怒りを表した強烈な風刺詩など、とても面白く愉快、
とにかく楽しませてくれるのだ。

 一篇一篇の作者名は記されていないが、おそらく多く
は名もなき詩人や民衆によって書かれたものであろうと
推測する。あるいは編者自身の手によるものかもしれな
い。
 こんな詩がある。


婆さん、便所へ用足しに

そこへグラグラ

婆さん脱糞

肥壷ダップン、婆さんドッポンババまみれ




カアサン、昼飯まだかいな

そこへグラグラ

茶碗も鍋も棚をとびはね

ついでにカアサン、ガッチャンコ


八百屋の父さん、二日酔ひ

そこへグラグラ

西瓜ゴロゴロ、大根ゴロゴロ、父さんゴロゴロ

酒がまはる、眼がまはる、野菜がまはる


路地の木陰で子猫の喧嘩

そこへグラグラ

瓦がガラガラ降ってきた

子猫ノコノコ腰抜かし、壁の下敷き、もう鳴かない


裏の小池で鯰が昼寝

そこへグラグラ

鯰、ムズムズ、独り言

ほんとにこれは俺のせゐかいな




 「グラグラ」という作品全行。優れた作品とはいえま
い。それでも引用してみたのは、各連の最初の文字を並
べると、「婆カ八路裏」、つまり「ばかやろう」となるか
らである。悲惨な震災を面白可笑しく書いたただの軽薄
な作品だと思う。しかしこの折句「ばかやろう」には、
作者の天災に対する激しい抗議がこめられているとみる
こともできる。そしてそれは、ノンシャランな詩行との
対照により、作品をいくらか立体的にしている。

 ただしこの折句の効果は、折句に気付いてもらわなけ
れば生じ得ない。従って、この詩には見当たらないが、
折句の存在はどこかで触れられているのが普通である。

 たとえば、日本の唯一の本格的折句詩集であろう藤富
保男の『新聞紙とトマト』(1979年)の後書きには、
全詩篇に折句が仕掛けられているようなことが記されて
いるし、昨年2月に発行された中村真一郎の『戯画と戯
詩』の場合には折句の部分が色刷りになっている。

 とすると、折句について示唆のないこの詩は偶然の産
物という可能性もある。故意ととりたいが。

 ところで、気付かれなければ折句の効果はゼロかとい
うと、そうではないだろう。これは詩作の現場に立ち返
ってみれば明らかである。まず折句があって、そこから
各詩行が立ち上がってくるのだから。かりに、各行に折
句の一文字が配置されるとすれば、その一文字に縛られ
ると同時に触発されて一行は現れてくるのであるし、詩
篇全体も、折句に対する長い付句や反歌的なものとして
立ち現れてくる。だからたとえ折句の存在に気付かなく
とも、詩篇を読むことは折句を読むことでもある。

 前述の『新聞紙とトマト』に「黒い墓」という詩があ
る。ある人物を悼んだ詩、普通に読むだけで充分に素晴
らしい詩だが、折句があるよ、といわれればやはり探し
たくなる。だが多くの読者は見つける前に退散するであ
ろう。折句が巧妙だからだ。でもそれはそれでいいのだ
ろう。馬鹿で暇な猿(たとえばわたくし)のみが、数日
かかってでも見つけるのだ。そして折句と詩行との交響
にしばし放心する。さらには「黒い墓」がだれの墓かつ
きとめる猿もいよう。ただこれらはおまけの楽しみだ。

 さてさて冒頭で述べた『グラグラ』だが、数年前に北
海道の古書店で購入したのであるが、確か札幌の植物園
に立ち寄った折、どこかに置き忘れてしまった。田中克
巳の本もそうしてなくした。詳しく知りたいという前衛
的な猿は垣芝折多著『偽書百撰』(文春文庫)を読むと
いい。ただ股区傴蛆世は「こくう そよ」と読むらしい
ことは断っておこうか。きっと楽しい読書になるだろう。

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