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vol.7

<雨の木の下で>





むかし解放という言葉があった  (1998.8.20)  倉田 良成



 ワインが好きなのだが高いものとは縁がない。たいていは近くの酒のディスカウント・ショップで1000円を出たり出なかったりする赤を買い込んできて、台所で大立ち回りを演じて作った二皿か三皿をまえに乾杯、となるのがここ数年の週末の慣例である。

 ワインには食い物がつきものというのが年来のポリシーで、摘むもののひとつもなしにそれを「鑑賞」するという趣味はない。ローマへ行って驚いたのは、ホテルに持ち帰るために買ったミネラルウォーターが同時に購入した同量ほどのテーブルワインより高かったということで、ホテルの部屋で馥郁と香り立つその「テーブルワイン」をまえにしばし釈然としなかった。

 これはなにもイタリアの国民性が呑んべえだということではなく、ことほどさようにアチラではワインが食習慣と分かちがたく結び付いているのであって、その、食べることの歓びを考えに入れれば、独仏伊のワインももちろんけっこうなものだが、東欧や南米のものも味わいは捨てがたい。

 いつか仕事で疲れて帰ってきた平日の午後、凝ったものは作る気が起きなかったので、有り合わせの魚や肉や野菜を焼いたり茹でたり和えたりした皿をまえに、これも大して考えもしないで買ってきたブルガリアの赤をぐいぐい飲っていたところ、まぎれもない安ワインのその風合いが、なんだか見たこともない世界の果ての場末の街のテラスで音楽を聞きながら風に吹かれている気持ちにさせた。

 こんな気持ちになったことはじつは最近あって、それはチェロのヨー・ヨー・マがアストル・ピアソラの曲を弾いた「リベルタンゴ」を聴いたときだ。自由という日本語は抽象的だが、かのリベルタという言葉の底には、食べること・飲むこと・愛することといった生きる欲求が具体的に充満していて、ヨー・ヨー・マの雄勁な弦の響きは「解放」の原義がかくも近しいものであったことを実感させてくれる。この盤は妻と銀座を歩いているときに買った。















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雨の木RainTreeのしずく (1998.10.15)  関富士子



 強い雨の音が一晩中聞こえていた翌朝、窓を開けると久しぶりの快晴だった。まぶしい光が少し斜めに差し込んで、すっかり秋が深まっている。ひいらぎの垣根の枝が、伸びるままに何本もベランダの上に突き出ているのだが、そのすべての葉のすべてのぎざぎざに、一つずつ大きな水滴がついていて、きらきら輝いている。ほんのわずかな風にもいましもぽたぽたと落ちそうな、でもこの瞬間はかろうじて葉の先にぎりぎりの重さで下がっている。「ああ、RainTree!」と心の中で叫んだ。静かな朝の時間。

 RainTree(アメノキ、あるいはアメフリノキ)は正式な木の名称ではなく愛称のようなもので、植物図鑑で引いてもどこにも出ていない。たいていの木は雨がたくさん降ったあと、木の葉にたまった水滴がしたたり落ちるということはあるから、雨の木と呼ぶことはできる。種類は違っても、世界中に雨の木は存在するはずである。

 しかし、ほんとうは雨の木とはそういった現象のことをいうのではない。それは、葉が水滴のたまるような構造になっていて、雨がやんだあとも、少しずつしずくをしたたらせる木のことをいう。木の性質や葉の特徴などから、当然そんな木の種類は限られてくるだろう。

monkeypodtreeモンキーポッドツリー(朝日百科『植物の世界』朝日新聞社より)

 わたしの個人詩誌「rain tree」の名は、大江健三郎の小説『雨の木を聴く女たち』から借りたものだが、小説の中では、雨の木は、闇の中で見た巨大な影と、そこからしたたる水滴の音としてしか描かれていない。

 主人公が再度ハワイに雨の木を見に出かけようとしたとき、すでにその木は火事で燃えてしまったと知らされる。彼はその燃える木のイメージを原爆のきのこ雲に重ねるのだがそれはさておき、最後まで雨の木の実際の姿は描写されない。

 そして、登場人物のある農園主は言う。普通レインツリーというのはハワイではモンキーポッドツリーMonkeyPodTree あるいはオハイOhaiと呼ばれている木のことだが、それは枝が横に大きく張り出す性質があり、民家の庭の植樹には向かない。主人公のいうRainTreeが、上に高く伸びている巨木というのであれば、それとは違う木なのではないか。

 ところで、テレビのCFで「この木なんの木気になる木・・・」とよく歌われていた、大きな木の遠景を見た人は多いだろう。広い草原に立つ一本の木。太いどっしりした幹のなかほどから横に広く張り出した枝。まるで大きな傘のように、すきまなく濃い緑の葉を茂らせている。場所はハワイ、オアフ島のモアナルア公園らしい。あれがそのモンキーポッドツリーだということだ。(山田正篤著『気になる木』東京化学同人)

複葉1左 普通の状態の複葉 下 眠っている複葉 (ファーブル『植物記』「植物の眠り」の挿絵より) 

 映像ではその葉の形は見えないが、植物図鑑によると、モンキーポッドツリーはネムノキの仲間だという。マメ科のネムノキ属の中のアメリカネムノキ、学名AlbiziaSaman の一種らしい。中南米が原産である。

複葉2  図鑑でも葉や花の細部は出ていなかったが、説明によると、葉の形は日本のネムノキによく似ていてやや大きくしたくらいらしい。花も日本のネムノキ同様、たくさんの雄しべが集まって先端が染まった刷毛のような形だそうだ。実もマメ科らしく、長くて固いでこぼこのさやになっている。

 ネムノキは御存じのように、たくさんの細長い小さな葉がきれいに並んで、鳥の羽を思わせる羽状複葉を形作る。夕方にはあの対になった小葉を合わせて折りたたんで眠ってしまう。日が陰ったり、雨や強い風にも反応して葉をたたむ。合わせた葉の間に雨のしずくをたっぷり含んで、雨がやんだあともいつまでも豊かな水を滴らせるというわけだ。

 図鑑では、名前がよく似た木にモンキーポットMonkeyPot というのもあったが種類は全く違う。これはパラダイスナットノキLecytbisの仲間で、ハワイではなく中南米にある。ナットの木というように、種子が食用になる。

雨の樹の実秋 実をつけたニューヨークの雨の木 KAZUKO STONE撮影

 詩誌「rain tree」を始めたばかりの今から一年ほど前、詩の個人誌『巡jun』と翻訳詩誌『quel』を発行する水橋晋さんが、ニューヨークにあるというRainTreeの写真を送ってくださった。

 これは水橋さんのお友達のKAZUKO STONEさんが撮った写真。(KAZUKO STONEさんは絵本作家。一茶の俳句をテーマにした絵本をニューヨークで出版予定。東京の神田で展覧会を開いたばかり。
ここに個展の紹介があります。わたしは残念ながら見に行けなかった。)

 見ると、ハワイのモンキーポッドとはだいぶ趣の違うRainTreeがあった。全体の姿はほっそりしていて、遠景ではむしろ日本のネムノキに感じが似ている。街路樹によいぐらいの高さや枝ぶりである。実が枝の先のほうにオレンジに近い色でたくさんついていて、写真で見ると花のような美しさである。実や葉の形はこの写真からはわからないが、これもネムノキの一種なのだろうか。

花・葉・実の図花・葉・実の図。カズコさんの図を水橋さんがかきうつしたもの

 KAZUKOさんが水橋さんへあてた手紙の内容を、水橋さんがわたしあての手紙でそのまま引用してくださっている。手紙には、花と実の付きかたの簡単な図もかいてくださっている。

「雨の樹の写真なのですが、ネガフィルムがどこにあるか見当たりません。私は大量 に写真を撮るので(管理がわるい)、ちょっとさがすのは無理です。とりあえず、アルバムにあった2枚(同じもの)を同封します。そして、春になったり、夏になったりしたら、折々に、また写真をとって送ります。同封したphoto は、秋のもので、実がなって、キイロクなっています。日本にないのでしょうか? この木? N.Y.は寒いところだから、日本の東北の方にでも行ったらあるかしら? 春には細かいキイロの花がこんな風に咲き、それが夏には実になってこんな風になる(ミドリ色)。KAZUKO」

 雨の樹夏 ニューヨークの雨の木 KAZUKO STONE撮影

 RainTreeが世界のあちこちにある!
 なによりも、ニューヨークのカズコさんという方が、見も知らぬわたしのために、四季折々のRainTreeを撮って送ってくださるという。

 水橋さんの手紙を読んだとき、わたしは、このご親切に何とお礼を言ったらよいかわからないくらい驚き、うれしかった。

雨の樹の葉夏 雨の木の葉と実 KAZUKO STONE撮影

 それから一年近くたった8月末。しばらく旅に出かけていて戻ってくると、水橋さんの手紙がわたしを待っていた。ニューヨークのカズコさんが、春のRainTreeの花の写真、夏の木全体の姿、そして実がついた写真を送ってくださったのだ。

「以前からたのまれていた雨の樹の写真、やっと、春と夏と、とりためたのが出来てきたので同封します。
 キイロの花が咲いて、あおい(緑)実がなります。秋になると、ベージュの実になります。それは、また、これから撮って送ります。」

雨の樹の花春 雨の木の花1 KAZUKO STONE撮影

 写真を見てわたしはとてもとても驚いた。RainTreeの緑濃く密生した葉、枝先に房のようについた薄緑の実らしきもの。それは、旅先のパリの街のあちこちで、わたしが見てきたばかりのものだったのだ。

 ノートルダム寺院の裏庭にそれはあった。モンマルトルの丘を下る美しい道にもその木は大きく枝を伸ばしていた。3、4mほどの高さで、三角形に近い5cmほどの葉が、重なりかげんに対に生えている。その先のほうに、葉の形によく似た、薄緑の苞がいくつか集まったような房が重たく下がっていた。

 その木がとても気になってしかたがなかった。ほかにも美しい木はたくさん見たのだが、庭園の庭木はよく刈り込まれて手入れの行き届いている中で、その木だけ枝葉をしぜんに伸ばしていて、ときおり照りつける日差しを防ぎ、やさしい日陰を作っていた。下にはベンチが置いてあったり、階段になっていたりして人が休んでいる。

 あれは何という木かしらと、聞くともなくつぶやくと、日本人の観光ガイドさんが耳さとく、アカシアの木ですねと答えてくれたのである。ああ、アカシア、とわたしはうなずいた。

 そして、時を置かずカズコさんの写真を見て、あのアカシアがRainTreeと知ったときの驚きと喜び。名を知ることは理解すること。これを水橋さんになんと言って報告しようか。

雨の木の花2春 雨の木の花2 KAZUKO STONE撮影

 カズコさんのお手紙には「雨の樹」とあるだけで、正式な植物名は書かれていない。きっとかなり一般的に、RainTreeとして親しまれているのだろう。

  アカシアのことをわたしはよく知らない。日本の街路樹に見られるニセアカシアの正式名称はハリエンジュだそうで、アカシアとは全く別種である。

 カズコさんの写真を見ると、小さなボンボンのような丸くて黄色い花がたくさんついている。これは日本でミモザと呼んでいるものに似ている。図鑑で調べると、このミモザは正確には英名ミモザアカシアMimosaAcaciaというのだそうだ。

三角葉アカシア三角葉アカシア(『原色世界植物大図鑑』北隆館)

 ではカズコさんのRainTreeはミモザアカシアかというと、どうも葉の形や花のつき方が違う。葉は図鑑の中のサンカクバアカシア(ウロコアカシア)英名KnifeAcacia に似ているのだ。花も、形や色、枝に群生するところなどこれにそっくり。

 しかし、かんじんの実の形が違う。マメ科らしい細長いさやになっていて、写真のRainTreeの苞とはほど遠い。それに、葉の大きさは2.5cmぐらいとだいぶ小さい。

 サンカクバアカシアはオーストラリア原産で、ヨーロッパには1820年ごろ渡ったらしい。寒さに強い品種もできているだろう。パリとニューヨークは緯度でいうと北海道ぐらいの位置にあり、距離もわりと近い。植生が似ていても不思議はない。しかし、実の形が違うのが気になる。アカシアは日本に自生していないからか、図鑑にもあまり多くの種類は出ていない。

 アカシアはネムノキのように夜眠ったりはしないのだろうか。カズコさんのRainTreeは、葉の構造を見るかぎりでは折りたたむことはできないかもしれないが、広い葉が少し重なり気味に付いているところなど、いかにも水滴がたまりやすそうである。

銀葉アカシア銀葉アカシア(『原色世界植物大図鑑』北隆館)

 調べてみると、アカシアとネムノキは同じマメ科のネムリグサ亜科の仲間であった。アカシア属、ネムノキ属などと分けられる。アカシア属でもギンヨウアカシアやアリアカシアは、葉の形がネムノキとそっくり、羽状複葉である。もしほかにRainTreeと呼ばれる木のことをご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

合歓の木ネムノキ(合歓の木)(『原色世界植物大図鑑』北隆館)

  我が家にもネムノキの鉢植えはあるが、わたしの思い出のネムノキは、故郷の母の生家の庭にあった。曲がりくねった老木だったが、紅をたっぷり含ませた柔らかいブラシのような花を咲かせた。英名はSilkTreeというらしい。

 この木の下で偶然初恋の人に再会した夏のことを思い出す。恥ずかしがりやの中学生だったわたしたちは、大人になってもはにかみがちで、ぎこちなく会話を交わすあいだ相手の顔も見ずに、ネムの花が散るのを眺めていたのだった。この木は枯れて切り倒されてしまい、今はない。

 大江健三郎のレインツリー、ハワイのモンキーポッドツリーやニューヨークのカズコさんの雨の木、パリのアカシアや母の生家にあったネムノキ。これらの木々の雨のしずくが、いつまでもわたしに、すべての生き物にしたたり続けますように。

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