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vol.7

シナトラが死んだ


                 倉田 良成



二十世紀も半ばに達しかけたころ、青年だった詩人はこう書いた
                  
「おれも世界もこうして暮れてゆくのだ」――戦争から還って
故郷のあざやかな夏の緑のなかに幽明を見ていた詩人が逝って三年
いま二十世紀そのものが静かな暮れ方をむかえようとしている
動乱も、嗚咽も、熱狂も一瞬のものうい風の戦ぎ
降りそそぐ五月の青空の、残酷なまでのたいらぎを囲む死んだ浮彫となって
  
晴れた午後の図書館で初めてあの詩集をひらいたときの少年には白髪が混じり
過客たちのしんがりの影を踏む、大いなる境に近づきつつある
「おれも世界もこうして暮れてゆくのだ」
説明することのできない鋭い抽象の矢は
少年の日を越え、青年の日をつらぬき、老境の夢となって死のむこう側へ飛び続ける
                          とろか
海に近い街できみと暮らす私の耳で絶えず鳴る、ひそかな蕩しの音楽のように
  
幼いころ、本のなかで出会った動物たちは現実だった
パトラッシュ、カシタンカ、プラテーロたちは
きみを育てた犬のゴンや、私の盟友だったむく毛のチロとおなじく
物語のひめやかな痛みのなかでつぎつぎに斃れていった
「動物を虐めるな」というのは十九世紀を生きたドストエフスキーの重要な預言だが
あと何光年待てば私たちは、ゴンやチロの甘い臭いの毛足に巡り合えるのだろうか
  
「おれも世界もこうして暮れてゆくのだ」
世紀が変わるあと数年を待ちきれずに過客たちはあわただしく去っていった
戦争と革命にはさまれた二十世紀の、異様に静かな暮れ方の光のなかで
私にウーロン・ティーを淹れて運んでくるきみは
百年の彼方のドアのむこうから、そっとノックをする女のようだ
けさ、水のほとりに生涯を浮かべた芸人として、F・シナトラの死が伝えられた
  
  *谷川雁「題のないことば」(谷川雁詩集)より        1998.5.16


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