| 眠りのまえの瑪瑙のように稠密な闇をはじめて知った | 
| 寝息を立てるきみの掌のなかの見えない小鳥がちいさく痙攣する | 
| 真夜中じゅうを暴走する金属と吃るサイレンの追いっくらを | 
| はるかに旋回する蜜の星雲のように聴きながら | 
| もうすぐ夏が来る。すべての者の背に、青い光の板を | 
| かがやく痛みのように挿し込んで | 
| (きみの白い脇腹に手をあてる、私は | 
| 世界に武器を渡さない) | 
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| 五月の午後の遊園地はあらゆる音楽を色彩に変えたまま時を止める | 
| 眼が感じる永遠というものをはじめて知った | 
| 写真からたちまち失われてゆくもうひとつのネガのなかで | 
| (生まれ変わったどんな少女と少年が手にとるのだろう) | 
| きみと私はいつまでも、幸福で、若かった | 
| いっせいに悲鳴のあがる逆さ吊りの乗り物も | 
| 茫然とした顔で幼児が揺られてゆくメリー・ゴー・ラウンドも | 
| いますべてのいっしゅんが | 
| 青空を占める光の板のしたに残酷なまでに祝福されている | 
| 午後じゅうを過ごすペンキの少しはげた黄色いベンチで | 
| ポップコーンと紙コップのビールをなんどもお代わりし、 | 
| きみと私は鼻の先を冷たい光でかすかに灼いた | 
| (死は、悦ばしい智慧か?) | 
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| ジェットコースターといえるのはこれだけ | 
| 旋回する銀のレールのてっぺんから、くろぐろと聳える新しいタワーを指差し | 
| (虚空に剥き出したいくつもの脚がすばらしい速度で落下する) | 
| 私の肩できみは賛嘆した | 
| 「ねえあれを見て!  こわいだろうねえ!」 | 
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| 坂井信夫個人詩誌「索」第11号  1996年8月30日発行 | 
| 横浜から切符を買ってきみと東海道線を下る | 
| 辻堂、茅ケ崎、国府津と弧を描く | 
| 神奈川の海と空はまるで晩年の人の背から見る河口のように明るくて広い | 
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| (私は帰ってきたのだ、きみをともなって) | 
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| 海には遠くまで細かい雨が降っていても | 
| 犬を連れて砂浜の果てを歩く女の帽子が光の破線を浴びているようなのはなぜだろう | 
| 白いペンキを塗った窓からにぎやかなラジオの音楽が洩れてくる夏はまだ先なのに | 
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| 下りの各駅停車で、降りたことのない駅できみと降りる | 
| 海岸線を走る国道沿いの小さな食堂に入ってチキンライスを選ぶきみは | 
| 湾のそとから傷口のように疼いて私を呼び寄せる甘い海嘯をかんなぎの顔で告げる | 
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| われてくだけてさけて散る…… | 
| 殺された詩人の眼に、青いうなばらは凄艶な飛沫を上げていたのだろうか | 
| 伊豆から昏れてゆく雨上がりの空を映し、沖はみがかれた鏡のように深く照っているが | 
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| どこまでも平らな神奈川の海べりで、早い老境を迎えたOZUはつぶやいたという *
 「おゆうさん、HAS COME」……人の晩年はなぜ
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| 彼のフィルムに出る人物の、肩ごしに見える空のように明るく果てしがないのか | 
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| (この国を巨きくおおいはじめた、濃いゆうぐれの翳のなかで) | 
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| 大磯、鴨宮、根府川と過ぎてゆく窓のむこう、目覚めればきみと私も幻の切符を持ち | 
| 白いジャケットと原色のワンピースで装ってこの海に降り立つだろう | 
| 日向に椅子を持ち出して、幽かな塩の味の飲み物を手にした齢のない男女として | 
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| たぶん見守ってほほえむのだ | 
| 少女のころのきみと少年時代の私が、砂まみれになって遊び回るのを | 
| 帰ってきた鮭の雌雄のうえを流れる明澄なディベルティメントに身をまかせて! | 
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| *テレビ朝日一九九七年六月六日放映『驚きももの木20世紀』「小津安二郎とおゆうさん」より 鈴木比佐雄個人詩誌「COAL・SACK」28号  1997年8月発行
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| 渋谷駅で乗り換えるとき、何か忘れてはいなかったか | 
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| 魚の匂いや、波間に揉まれる舟、あまりにはっきりと聞こえる星の音など | 
| 生起するものの全部、世界全体がたぶん | 
| 何かの隠喩ではないのかと、ナポリ沖の島の郵便配達人は詩人に訊いた | 
| そのとき、詩人にも答えられないメタファーの示す海の明るさから | 
| この世に遣わされた、彼は貧しくて豊かなひとりの郵便配達人だった | 
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| 渋谷駅で、何か気がかりなものを忘れていなかったか | 
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| 「パブリーノとは呼ばないわ」と、郵便配達人の新妻は彼らの子供をそう言った | 
| きみと開ける安いチリ・ワインは青い海をへだてた塩の味がして | 
| とほうもなく広闊なラテン世界のなかで独りぼっちの詩人の望郷を思わせる | 
| きみもまだ見ぬ子供を忘れ形見のパブリーノと呼ぶだろうか | 
| 百年の後、駅のはげしい雑踏のなかに私を見つけてみしらぬ名前を叫ぶのだろうか | 
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| 浮浪者のいない渋谷駅を、こころの喉に鉤をかけられたまま行きかける | 
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| 大きな忘れものはおそらく、鳥やパンや涙滴の形をした鍵が披いてゆく | 
| この世界とよく似た格好の、きみの、私の胸のなかで吹かれつづける野原だ | 
| この高く乾いた空のしたで立ち嘆きつづける歌だ | 
| 「俺は言葉を持たないから」と、郵便配達人は | 
| 櫂の音や星を孕んだ枯れ木にわたる海風の悲しみをパブロ・ネルーダに送った | 
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| そして彼は海の向こうへ永遠に帰ってしまう | 
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| 渋谷駅のはげしい雑踏のなかで、ある日 | 
| 千年の後を泣きながら歩く少女のきみを見つけて | 
| 私も郵便配達人の住む海の明るさへ、強い忘却の痛みを奪いに戻るのか | 
| 渋谷駅のホームで、まぼろしの水をつねに求める舟人の傾きで | 
| われわれを急がせる発車のベルに甘いセイレーンの抑揚を今日も聴いている | 
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| 鈴木比佐雄個人詩誌「COAL・SACK」30号  1998年4月発行 |