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vol.8


 
かきまぜられた場所
  
      須永 紀子
  
  
どこへ出かけようとしてもそこへ行き着いてしまう
地図も看板も
どんな数字も示されていない
暑くて時に寒気がやってくる土地
朽ちたものの匂いがするなかを
わたしはまっすぐ歩いていく
風が吹いていて
混沌や迷いのかすかな音が混じっている
  
「とても耐えられない」
そのひとは柔らかな土の上に杭のように立ち
がまんできないとつぶやく代わりに
静かに音符をたどりはじめた
地面は小さな隆起をくりかえし
ちちははと名乗る人々が
異形の姿でやってきては消えたけれど
声はとぎれることがなく
わたしは深く聞き入っている
どこか遠いところにつながっていて、
そのひとの身体を通過し、世界を細かくふるわせている音楽が
わたしを揺らし続ける
はじめからわかっていたのだ
杭のようなひとに惹かれるだろうということ
静かに強くそのひとは抵抗していた
ここには樹木も川も畑もなく
あったかもしれないが
記憶に残らないように再構成された感じ、
どこか不自然な形で曲げられたところがあり
自分は特別だと思っている人々が
巡礼の姿でやってくる
「それはがまんするとして
ぼくにはここにとどまっている理由はないような気がする
ぼくは規則正しい生活を愛する平凡な人間です」
歌うのをやめてわたしに同意を求めてくるのだが
わたしはそのひとのことを知らない
ただ身体の底から発せられる強いものに
引き寄せられているだけだ
  
敵意にぶつかると
どんなに微量であっても
身体はたちまち閉ざされ速やかに移動した
そうやって一人になっていった
どこかにつなぎとめられていたいとも思い
杭のようなものとして
より深い杭に恋をする
そんなふうにものごとは進んでいく
わたしとそのひとは互いの身体をひっぱりあげ
ここから出ていこうとした
わたしたちは信仰を持った巡礼ではなく
偶然にたどりついた者であり
どこにいても所在なさを感じ、
遠い音楽を聴くことができる者として出会い
別の星に住もうと約束して肩を並べて歩いていった
けれど
これからも幾度となく
ここに帰ってくることになるだろう
そのことはよくわかっている
すでに組みこまれているのだ






須永紀子詩集『わたしにできること』ミッドナイト・プレス1998年刊より




あの青い冬
  
  
  
長いこと会わなかった友人が
一度死んだ体になって訪ねてきた
見覚えのある青い上着を着て
〈これから新しい生活をしたいのですが
手を貸してくれませんか〉と言う
〈わたしにできることなら、よろこんで〉
誘われるまま地下に降りて
墓のような店で向かい合った
〈お金も貯まったし、今では勇気もある
ただおわかりだと思うけれど、ぼくには実体がないのです
どうしたら手に入れることができるのだろう〉
しゃべるたびに
口から青いインクが出てテーブルに落ちる
以前もらった手紙の文字そっくりの
ただのしみなのに
気になってしかたがない
〈誰かと結婚、結婚をですね、すれば
魂に肉がつくかもしれない〉
わたしは肉体と魂の交わりを想像する
少し輪郭がぼやけて青白い友人の
手首のあたりにどうしても目がいってしまう
それを彼はじっと見ている
何か言ってあげようと思うのだが
混乱していて思い浮かばない
〈こんなに言っているのに
あなたには情ってものがないんですか〉
怒りに満ちた声が耳の奥に侵入し
彼の気配がわたしにおおいかぶさってきた
魂と暮らすのは奇妙なものだった
邪魔はしないと言うのだが
わたしの肩にのったまま
ひっきりなしに話しかけてくる
冬の休日
海へ行こうということになった
町なかでは気配も人の目もうるさくて
疲れだけがふくらんでしまう
朝早く海行きの快速電車に乗った
乗客は少なく、車内はあたたかで
授業中のように眠い
魂の存在を忘れて
浅い夢の入口で先生のことを思った
このごたごたが起きる前は
先生のことばかり考えていた
頑ななところのあるわたしを
問題のある生徒のようにではなく扱ってくれた
もう学校に戻ることはできないかもしれない
クラスの誰かが気配に気づくおそれがある
わたしは何にも集中することができず
体が半分に割かれて
別々に動いているような感じなのだ
戸塚を過ぎる大船も通過する
わたしたちは海へ向かっている
晴れて海は光っている
思っていたほどきれいではないけれど
海があるというだけで世界はすてきだ
心から感動しろ、と先生はいつも言った
心から怒れ、心から泣くんだ
少しでも気を抜くと
先生はこめかみを締めあげる
淡々と生きたいと願うのは
まだ早いとはわかっているが
ひとの一生の怒りの量はすでに決まっていて
それにあらがうことはできないんだと思う
愛と笑いの夜も
わたしたちは決められた分を消費していくだけだ
そう信じれば
いろんなことが楽になる
彼の気配は何度かおおいかぶさってきたけれど
肉が移ってくるかもしれないという希望は
もう捨てたようだ
気配の下ではひたすら先生のことを考えた
彼の悲しみが伝わってくる
〈一度でいいから
手をぼくの背中にまわしてくれませんか〉
それで気がすむのだったら、でも
魂にも先生にも
その肉体にふれることは永遠にできないのだろう
心から悲しくなって
いつまでも泣いた
  
  
  
よみがえる力
  
  
  
色のついた彼が
ホームの向こうから歩いてくる
半身は明るい紫で
半身は陰うつな学生
人々は凍りつき、画像は停止する
そのなかを何もみえないひとのように
動く若いからだ
〈このまますれちがいたくない〉
突然そう思い
〈すれちがってしまってはいけない〉
つよく思って
わたしはそのひとの前に立った
予備校、コンビニ、書店、市民ホール
どこへでもついていった
そのひとが浴びる視線を感じること
すべてはそこから始まると思った
行く先々で人の波が退いていく
海を渡るキリストのように
彼はひとりだったが
今はわたしがそばにいて
その光景を記憶する
人々の怖れと彼の哀しみを
五月の緑のなかに焼きつけて
〈ここを通らなければ次にはいけない〉
遠くからくる声が
確かな力でわたしを動かす
困惑し、逃げようとし、怒り
そして彼はあきらめた
〈そんなにぼくに興味があるのなら
おしえてあげましょう
紫についてはあらゆる本を調べました
ひとことでいえばそれは高貴な色で死をあらわす
でもそんなことはどうでもいい
ふつうの人たちにとっては
ぼくの半分が紫であること、
半分というのが問題なんです
血でも立場でも、そうでしょう?
中途半端は絶対的に嫌われる〉
失われたもののために、さらに失った多くのもの
を、わたしは想像することができる
その下にある清潔な頬や鼻梁
を、わたしは見ることができる
彼の若さに相当する強力な何かが
わたしのなかにあふれていて
そのひとに向かって流れようとしている
大きな力がわたしたちを近づけ
運んでいるのを感じる、と
伝えたかった
あふれるものをあるべきところへ
かえすことでわたしは楽になり
受け入れることで彼は浮上する
肩を並べてわたしたちは
誰よりも早く歩いた
人の目にとまらないように
奥歯をかみしめた横顔の
この世ではないものを見ようとする
つよく哀しい意志
夕暮れの公園で
わたしはその顔にふれる
彼の涙がわたしの目から落ちる
はじめはそっと
そして少しずつきつく腕をまわして
このひとがしたいと思うことすべて
それで明日もよみがえることができるなら
何度でもいつまでも
記憶になるまで
くりかえす。
   

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