我が社にとって専門職社員とは一体どうゆう存在なのでしょう?
社員と同じ仕事をして、同じ実力を持ち、独自でスキルを高め、会社に貢献してきた、社員と変わらない存在です。
違っていることと言えば、会社の勝手な都合で、雇用形態を変えられているだけに過ぎません。
それにも関わらず、今回の様な問題が起これば、真っ先に解雇の対象となる存在に追いやられているのです。その責任は彼らにあるのでしょうか?
毎年契約の更新という手続きの中で、仕事の実力を見ずに人件費という大きな括りの中で、ただ単に経営の調整の為だけに評定を突きつけられ、一方的に年俸も会社に決められ、それにもめげず一生懸命に自分のやらなければならない仕事を行ってきたのです。そこに社員との違いはないはずです。それどころか社員より高いハードルを毎年超えてきたとさえ感じます。
皆さん、もう一度よく考えてください。一緒に仕事をしているときに、この人は社員で、この人は専門職社員とか感じたことがありますか?少なくとも書いている私は思ったことはありません。カメラマンはカメラマン。ディレクターはディレクター。美術は美術。編集は編集。ただそれだけです。その中にスキルの違いや感性の違いは当然あるでしょうが、それも、社員だから優れている、専門職社員だから劣っているという判断にはならないはずです。
その線を引いているのは、現場で働く者ではなく会社なのです。組合は考えます。これまでの制度がおかしいと会社が言うのであれば、その制度を変えるだけじゃなく、その制度に苦しめられた人間を救わなければ、問題は解決しません。そこに溝がある以上、今回の様な問題は今後、専門職社員のみならず社員にも及び、最後には会社崩壊を招くのです。
今、同じ仕事をしている仲間が、わずかな立場の違いだけで苦しんでいます。
もう一度、専門職社員の立場をみんなで分かり合い、会社が間違っているという事を、勇気を出して訴えていかなければ、会社は変わらないのです。
会社の言うことが全てであるなら、組合は要りません。そこに疑問を抱き間違いを正していく事が組合の使命です。今回の{解雇}問題を覆すことが出来たのも組合員の、特に専門職社員の結束力の賜物です。ならば、社員と変わらぬ仕事をしている人達が、差別雇用されていることも大きな間違いなのです。これを覆すことが、会社を正しい道へ導く事にもなるのです。