ブレイドオブアルカナ:シナリオ作成術

ブレカナのみ、というわけではありません。 多分ほかのシステムにも応用が可能なはずです…

 多分。

 なお、この文章は固定メンバーと遊べるサークルに所属しているGM向けに作成されています。 コンベンションなど、全く知らない人が一人でも絡んでくると、 このテキストはIフィールドに向けられたビームスプレーガンよろしく無力化しますのでご注意を。

はじめに

どうもいいんちょです。このハンドルを使うことも少なくなりました。 本来ならば、シナリオ作成術の腕がさび付く前にこのコンテンツを作成したかったのですが、 バンド運営と自身の訓練に時間を割いたため、なかなか手がつけられませんでした。 結局、すっかり錆付いてから作成に取り掛かる事になっちまいました。

 すでに既知のことも多いかと思いますが、公開しないよりはマシという考えの下、 コンテンツ作成に踏み切りました。役立つ部分があればどんどん役に立ててください。

TRPGを取り巻く現状

さて、シナリオ作成術に踏み切る前に、ここ数年のTRPGを取り巻く現状について少し考えてみたいと思います。 シナリオ作成術と関係ないようですが、大雑把な流れの元でさまざまな影響が出ていますので、 お付き合い願います。

 まず取り巻く環境の中でもっとも大きい部分は、年齢層の上昇です。 社会人が増えたことにより、TRPGというどうしても一日を費やしてしまう遊びに対して、 頻繁に時間を割けない方が増えています。 その年齢層に対してFEARが行ったアプローチは「わかり易さ」と「プレイヤーに対する経験点」、 「少人数による運営」「シナリオの提供」… ざっとあげると以上4点になります。

 問題になってくるのは「わかり易さ」と「シナリオの提供」で、 わかりやすさを追求した結果、パクリの世界観がTRPGを侵食してしまいました。 そう、「元ネタの無いTRPGなど無い!」と声を大きくしても全く問題が無いのが現状です。

 世界観そのものにはパクリが少なくても、キャラクターの職業選択段階や、 特技などではパクリとパクリのつぎはぎで構成されているように感じます。 これは、その元ネタを知る人間には実に伝わりやすく、確かに有効なのですが、 同時にその元ネタを知る人間は元ネタから逸脱できなくなる、 あるいは「どうせ○●のパクリだろ」と発展性の無い誤解を生み、 世界観、システムに対する食わず嫌いを引き起こしています。

 シナリオの提供は別の問題があります。 社会人などはシナリオを考える時間があまり無いのも事実です。 ですから、提供されることによっていつでも遊べる状態が整っているのはすばらしい事です。 しかし、それは同時に「提供されたシナリオしか遊べない人」を作る要因にもなっています。 便利なツールに頼ればそれだけ人は能力を低下させます。 また、それらのツールがお手本になってしまい、 SSS等に代表されるタイプのシナリオしか作れない人を生み出しています。

 故に、我々はまず「先入観の排除」から始めるべきでしょう。 幸いにして僕はブレカナをよく知る人間ですが、ベルセルクについては題名しか知りません。 また、古い時代のTRPGを知る人間ではありません。ただ、 読み物としてのリプレイの面白さ、シナリオの面白さを追求しただけです。 Sigilのリプレイが本当に面白いかどうかは人それぞれでしょうが、 少なくともブレカナのリプレイの中では若干異色な存在ではあるはずです。

古参と新参

新しいシステムに対する柔軟性は新参者ほど高いものです。 そして、TRPGを取り巻く環境は大きく変わっています。

 ソードワールドD&Dなどを知る古参の方は 「TRPGはPC同士協力し合うもの」という先入観がありますが、 現在の、少なくともここ数年のTRPGには当てはまりません。 シーフがいなければダンジョンを突破できない、 ソーサラーがいなければ戦闘を有利に進められない…  そういったシステムは最低人数を増やすだけです。

 先にも述べたとおり、TRPGを定期的に遊べる人数は減っています。 それに対応するため、最低限の人数を減らす方向にTRPG、 特にFEARのシステムは動いています。 故に、近年のTRPGでは「PC一人でもシナリオを解決できる強さ」 をPCに持たせています。これは同時に、 「PC間の協力を必要としないシステム」であり、 「TRPGはPC同士協力し合うもの」という概念は、 必ずしも正しいわけでは無いことを示しています。

作成の流れ

人で決まる

SSSでは多くの人に遊ばれることを前提として組まれています。 それゆえ、キャラクターの職業をある程度指定していますが、 気の知れた仲間内で遊ぶのであればそれはマイナスでしかありません。

 シナリオ、いえ、物語とは人物像の掘り下げによってのみ味わいが深まり、 それぞれの意思と意思のぶつかり合いによってのみ展開は進められ、 そして勝者、敗者へと分かれて行きます。

 それゆえ、PL全員の顔がわかるサークル内でのシナリオであれば、 それぞれのPLが持つキャラクターの設定を深く掘り下げ、 シナリオの展開に応じて設定を追加し、キャラクターとキャラクターの関係をどう発展させるか、 キャラクターの設定をどう広げるかに重点を置き、PLには「このキャラで来い」 とするべきです。

 キャラクターを決めづらい時は、PLに使いたいキャラクターを出してもらいましょう。 幸いにしてブレカナには因果律と言うキャラ設定を掘り下げるためのツールが存在します。 基本的に、この因果律から離れない限り、 GMサイドでどのような設定をつけたとしてもPLから反感を買う事はないはずです。

主役を決める

主役を決めましょう。

 TRPGはお互いの食いあいです。ですから、 ここで設定した主役が実際の進行の中で主役であることは無いかもしれません。 ですが、話の主軸は決めなければなりません。中心の存在しない渦など存在しないのです。

 物語の主軸を決めたなら、続いて脇役がどのようにその渦に巻き込まれるかを決めましょう。 全員が主役が解決しなければならない問題をとおり、 それぞれの解決に向かうよう背景を決めるとシナリオがPC間で勝手に進みます。

 ブレカナであれば、殺戮者はラスボスではなく、通過点に過ぎないとするべきです。 また、殺戮者へはPCの方から赴くようシナリオを組みましょう。

 自発的な行動を促すためのコツとしては、起承転結の「結び」をまず決めることです。 その逆算によって「起こり」を決定すればはずすことは無いでしょう。「起こり」のコツは、後述する 「基本はダンジョン地下20階からのスタート」を参照してください。

 ブレカナの場合、多くの人が殺戮者を「結び」にする傾向がありますが間違いです。 「結び」は殺戮者を倒したその先にあるべきです。また、殺戮者の先に配置することで、 「殺戮者殺戮ゲーム」のレッテルは間違いであると主張できます。数年前から主張しているように、 「殺戮者殺戮ゲーム」となるのは遊び手の質が低いからに他なりません。

 これはブレカナ以外のシステムにも当てはまることですが、 最後の戦闘は、目的達成のための最後の障害で、その戦闘をシナリオの「結び」とすることは、 「ダンジョンの出口を目の前にして終わるシナリオ」であり、 「PCはダンジョンの外に出ることができないシナリオ」を遊んだことになります。 さぁ、このシナリオによって得られる達成感は何?

暗躍の場合
エイジを主役として組まれたシナリオ。劇中で、 エイジはシチュー鍋の後始末を怠ったため事件の元凶となり、 どのような選択をしたとしてもこの事件から逃れることはできない仕組みになっている。

 そう、たとえ逃亡しようとしたとしても、他のPCから引っ張り出されてしまうのだ。 他のPCにはケルバーの食糧難の元凶を断つため動いてもらった。
Burnの場合
複数の主軸が存在した。この場合主役を決めることが難しかったため、 PCがどのような選択をしても動き続ける世界が主役ともいえる。 主軸だけ用意して後は野となれ、山となれな無責任シナリオ。 Burn内に存在した主軸は下記のとおり。

北狄 vs ガイリングMrk.II vs 紅王ガイ。→全員
ゲオルブプライム抹殺。→ゲオルグ
ポーク、ルシの死亡。→レオン
エミリエルの生い立ち(未遂)→エミリエル
レンの生い立ち。→レン
八櫛姫と六郎のラブラブ石破天驚拳。→六郎

 レイウォン? 入る場所なんざはなからねーよちくしょう。
レッドバロン(後編)の場合
主軸はセシリア・フォーゲルヴァイデ。彼女を救え! がこのシナリオ。 麻薬の毒を抜くためだけに∵再生∵が必要だったと言う、 若干N◎VA 的な要素が入ったシナリオ。

 スティッキー・ミュラーを倒さない限り街はパラノイアに侵され続ける事をPLに伝えるため、 どこまでも下衆なキャラに仕上げてみた。 ってゆーか気がついたら下衆だった。いや、もともと下衆なんだが…

 新規キャラクターのアルカナ、因果律の新しい解釈を提示したもので、 現在のアルカナや因果律に縛られる必要は無いと言うひとつの例。 アルカナと因果律が示すところの「現在」とは、 人生の中でもっとも長い時間をすごす時期を意味する。 たとえば、ルナ=グラディウス=オービスのキャラクターの年齢が10代前半であれば、 現在がグラディウスであるにも拘らず、職業は盗賊とか、あるいは十分な年寄りであれば、 その職業は秘儀魔法使いであるかもしれない。今と現在はこの場合イコールではないのだ。 もちろん、因縁の現在は今を意味する。

 レッドバロンの場合、セシリアが持つ因果律:没落に着目し、 まさに没落する様を描写しようと試みたもの。もっと没落させたかった…

基本はダンジョン地下20階からのスタート

依頼からスタートしてはいけません。 依頼から始まるシナリオをこなせるPLというものが実に限られているからです。 また、依頼は断られることを前提にシナリオを組むべきです。 PLがシナリオに対して常に協力的であるとは限りません。 依頼の仕方によっては、キャラ設定に反するため引き受けないということもあります。 キャラ設定を大事にするPLならばなおのことでしょう。そこで「依頼を受けないとPCが死ぬよ」 といわれても引き受けないはずです。

 これは物のたとえですが、オープニングの段階でPCはトラップを踏みました、 あるいは、ローリングストーンにいま追いかけられているところです、 あるいは、さぁ脱出しろや… 等、やることは明確だが、 やらないと死ぬ状況からスタートさせる(注1のがもっとも望ましいシナリオです。

 この導入方法によってPLは何をすればいいのかが明確になり、 目的意識がはっきりします。目的意識がはっきりするのでシナリオに積極的に参加しやすくなり、 円滑に進む要素となります。

 シナリオに味を出したければ、 この段階でPL間に対立する要素を配置しておく事です。 目的は同じなのですが手段の段階で対立が発生すると、 PLはシナリオは枠組みの中で迷走します。 この迷走によってシナリオは思いがけない収穫をもたらし、 より素晴らしい物語へと昇華します。

 ちなみにGMサイドからすれば所詮枠組みなのでどうとでも。

(注1
N◎VAで言うところのホットスタートとは異なると言うところを理解してください。 罠を踏んだ段階からのスタートはホットスタートですが、 ダンジョンの中にいきなり放り込むと言うのはホットスタートではありません。 これは「前にすすまざるをえない状態」を作り上げると言う意味です。

例:レオン・アスターの場合
彼の場合、プレイヤーが発した「嫁に会いたい」と言う単語を生かし、 その嫁の魂を人質にとることで シナリオを強制的に動かさせた。人質がいるから動くだろうと言うことではなく、 キャラ設定として拒めない状態であるため、依頼を断られることは無い。
例:ゲオルグ・プライムの場合
領主であることを利用して強引に押した導入を用意した。 ここで彼は帰順を示すが、もし仮に拒んだ場合は街を壊滅させるだけだ。 その後復讐を望むのであればドラッヘンブルクへと赴くだろう。 次にやることが解らなくなるようならそのまま放置する。 領民の命の重さもわからないようなPCなど、このシナリオには必要ないと言う意思表示でもある。

情報は全て公開する

オープニングの段階で、ですが、 PLは全てのPCのオープニングを見ただけでシナリオの全貌が分かるように組みましょう。

 時々勘違いした馬鹿がいますが、複雑なシナリオほど駄作(注2です。 一本道であることはむしろ素晴らしく、そこに至るまでの無限の過程をPLは十分に楽しめます。 不透明であればあるほどGMが引っ張らざるを得なくなり、 結果としてGMの独りよがりとされてしまいがちです。ってゆーかそれ以外の何者でもなく。

 PLにシナリオの全貌を把握させることにより、PLは自分の位置づけ、 目的を把握しやすく、自発的な行動を促します。 自分で何かやって、それに対する結果、事件の解決に一歩近づいた。 PLとしてはGMに引っ張られなければならないほど複雑なシナリオより、 こちらのほうがよっぽど面白いに決まってます。

 全てはPLに把握させ、 目的とモチベーションを高めるためだけに存在していることを忘れないでください。

(注2
複雑さはえてして人に伝わりにくいものです。素晴らしい演奏とはその速さやリズムの複雑さではなく、 .01msもずれない正確なリズムと、.01mhzもずれない正確な音程、それらによって構成される和音であって、 変拍子であることが高等であるわけではありません。単純な基礎を極めてこそ、 味わいが出ると言う事実は、さまざまなスポーツ、芸術、学問がすでに何度も示しています。 同様に、複雑なものを自慢する(やりたがる)やからほどクズである事も、 さまざまな分野で証明済みです。

NPC

中の人などいない!

極論すればNPCはラスボス以外必要ありません(きぱっ

 ではなぜNPCが登場するかというと、PCとPCをつなぐ接着剤だからです。 やつらはそれ以外の何者でもありません。PCとNPCをつなぐ接着剤ではなく、 NPCとNPCをつなぐ接着剤でもありません。

 稀にキャラ設定の掘り下げとしても使用されますが、 それはあくまでも副産物です。掘り下げられたNPCがいるということは、 そのNPCとつながりを持てば該当のPCにたどり着けるわけです。

デストロイ

さて、ブレカナのラスボスは奇跡というものがずんどこいっぱい使用可能ですが、 極力減らしましょう。できれば元あるアルカナ+1つぐらいにしておくべきでしょう。 これは奇跡合戦になるのを防ぐ為と、落ちやすくするためです。

 これは僕の美学ですが、散り際こそ美しくなければ物語は面白くありません。 また、散らない花は美しくありません。

 力わざ(奇跡)に頼ることで戦術性は著しく下がり、 それによって戦闘はワンパターン化します。局地的にパターン化した物語の何が面白いと。 奇跡を多く使うGMはそれだけ発想が乏しいことを自ら示しています。 そんな遊び方しておいて、ブレカナはワンパターンだからと言うのはそりゃ遊び方が悪いんだと。

 究極の意味において全ての物語はワンパターンです。 それは人生が生まれて死ぬしかないと言う意味においてワンパターンである事と同じです。 しかし、同じ人生が無いのと同様、同じ物語も存在しえません。 ワンパターンになってつまらないと感じるのは、遊ぶ側の問題です。 システムのせいにするのは止めましょう。

 コツとしては、エンゲージ攻撃を多用することです。 また、弱いキャラを巻き込むように攻撃を組み立てましょう。 射撃が得意なキャラには接敵して、ガチンコが強い相手にはガチンコが弱いキャラを巻き込んで、 あるいは遠距離からの範囲攻撃をからめましょう。戦闘にスリリングさが増します。

 こそこそ隠れるキャラ、エンゲージ離脱がやたらと多いキャラ、 そしてこれは反則ですが空に飛び続けるキャラなども、奇跡なしで十分戦えます。 奇跡はあくまでもスパイスに過ぎないことを覚えておきましょう。

世界観

学ばない

押し付けは止めましょう。しかしシナリオ内で提示はするべきです。 騎士階級がどうこうとか、中世に色白の姫などいないだとか、 そういう浪漫の無いことを言っちゃいけません。

 そして世界観を知るために、元ネタを読もうとするのも止めましょう。 発想を乏しくするだけです。世界観をより深く知るためにはルールブックを熟読し、 あるいは、ルールブックを熟読したサイトを訪れるようにしましょう。 元ネタを誇らしげに提示するところ=考えることを放棄したサイトと言って間違いではありません。

 世界観を知るためにはまずパーソナリティーを熟読しましょう。 先にも述べたとおり、人と人のつながり=世界です。 そして、そこから過去にさかのぼりましょう。歴史には浪漫と世界観が満ち溢れています。

使いどころ

世界観はシナリオのネタ、枠組み作成、ありとあらゆる場所で活用できます。 特に、ネタとしてアイディアに詰まったとき、 世界観に立ち返ることでネタを掘り起こせます。 また、世界観にきっちりと根ざしたシナリオを作成することで、 PLは世界を知ることができます。

 世界観に深く精通することにより、倒してはいけないNPCの存在を知ることができます。 リプレイなどでは安易に殺されがちな龍… たとえばザーグシュノーですが、 彼の龍を退治することにより、燃料が減ります。それは多くの失業者を生み出すことでもあり、 多くの人を冬に凍えさせることにもつながります。

 あるいはフェリックス卿ですが、彼はそこにたどり着くまでの過程を楽しむ殺戮者であり、 さくさくとたどり着いては世界観的にはどこか違和感を生み出します。 リザベートも依頼者として存在するよりも、頼れるトラブルメーカーとしたほうがしっくりくるでしょう。 彼女は後ろで構えるよりも事件に首を突っ込むタイプです。

 こういった点を抑えることでシナリオに味わいが深まり、 それらを踏まえたうえで彼らをいかにスパイスとして活用するかが、 GMの腕の見せ所となります。

 基本的に臆病な僕の場合、彼らを殺すことはありません。 死にかけることはあるでしょうが、死ぬ段階まではシナリオを持っていけません。 その後の展開を読みきれないと言うのが第一。 そして、殺す前にまだまだ知りうる世界があることが第二。 たまに、殺してそのシナリオはそのシナリオではい終わりとするリプレイや意見も見受けますが、 あまり関心はできません。そのシナリオをすることでPCがキャラ設定上死亡してしまうからです。 重要人物の死に立ち会ったPCは、その人物が死んだ世界でしか使えません。 また、常にキャンペーンを組むと言うわけでもありません。何度も述べるように、 時間が無い社会人を前提として組まれているシステムです。

 当たり障りの無い局地的な解決で終わらせておき、世界情勢は何一つとして変わらないが、 PCの中で大切な何かが動くシナリオ… そういう「シナリオ達成後も汎用性の高いシナリオ」 が僕の理想です。これは美学ですが、「キャラ設定によるキャラクターの事実上の死亡は、 そのキャラクターの設定の掘り下げによってのみ成立し、NPCなどの外部的要因であってはならない」 と言う考え方の元です。

 また、重要なNPCが死ぬのは確かに面白いのですが、 それはPLがPCに考えてつけたNPC、あるいは、 何度もシナリオに登場して、PLにもPCにもよく理解されたNPCだから面白いのであって、 そのシナリオで与えられたぽっと出のNPCや、「ルールブックにとって重要なNPC」が死んだところで何の実感もわきません。 PLやPCにとって死んだことの実感がわくNPCだからこそ、殺す価値があるのです。 それ以外の死は文字通りの犬死に(GMにとってのイヌという意味)で、 ましてやシナリオに重要なファクトであるなど言語道断。単なるGMの自己満足です。 死は、無造作に、打ち捨てられてこそ物語を引き立てるといえるでしょう。 それらの死に対して勝手な解釈をつけるのはPLとPCですが、 勝手な解釈をしてくれることを前提としたシナリオは、その時点で破綻しています。