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vol.12

<雨の木の下で>

河津聖恵の仕事っぷり (99.8.19)  関 富士子


rain tree ネット版を始めてから、8月末で丸2年を迎える。今日のカウントはちょうど9800。のべ9800人の方がrain tree を訪れてくださったことになる。みなさま、ありがとうございました。特に最近の2か月は、わたしのメモでは約1600カウント、今までで最高の数ではないだろうか。rain tree の読者が着実に増えているのを実感する。

rain tree はコンセプトを現代詩だけに絞った地味なサイトである。美しい画像や楽しいアニメや、フラッシュだジャバだと人目を引くテクニックもない。主人は不愛想でサービス精神もなく、メールにはろくに返事を書かず、にぎやかな掲示板など想像するだけでうんざり、という偏屈者である。そんなわけで、1万近い rain tree の読者の数は実に驚くべき数字なのだ。いったい誰が、いつどこで? 9800人が10円ずつ払ってくれたら、98000円の儲けになるなあなどと夢想するごうつくばりである。

現代詩にかぎらず、ネット上でのあらゆる表現は、不特定多数に受け入れられ享受される可能性をもつ。自分の書いた詩が、だれともわからない不特定の人物に読まれること。考えてみればこれはネット以前には考えられなかった画期的な現象ではないだろうか。現代詩はわたしの知るかぎり、ほんのひとにぎりの詩人しか、そのような読者を獲得したことはなかったのである。

そんなわけでカウントの数字は楽しみでもあり励みにもなるものだが、だからといってそれがわたし自身に書く力を与えてくれるものというわけではない。
rain tree は2か月ごとに新しいパートナーを迎えて新刊を出す。好きな詩人に依頼するのだから、作品はもちろん好きだが、とくに親しい付き合いがあるわけではないからそのつど新しい緊張がある。できるかぎりその詩人の全体があらわれるように読者に差し出したい。2か月のあいだ、作品を受け取り、その校正を送りというやり取りの中で、一人の詩人とすこしずつ打ち解け、しだいに親しさを増してくる。読者としては、編集作業をしながら作品をくりかえし読み、その世界にどっぷりと浸ることができる。

12号に登場してもらった詩人、河津聖恵は、今もっとも意欲的な仕事をしている若手のひとりである。数年前同時期に詩集を出版して詩集のやり取りがあり、その才能に感嘆していたのだが、最近での詩誌「pfui!」での仕事っぷりにほれぼれした。詩作品は去年の詩集「夏の終わり」に結実したのだが、現在もゆるみを感じさせないハイペースな書きぶりである。それに加えて、大部でありながら緻密で繊細な詩論の仕事がある。「pfui!」での「男性詩のために」の連載を大いに楽しませてもらった。

「すぐれた芸術は・・・分泌されるのだ」というのは、河津聖恵の引いたスーザン・ソンタグの言葉だが(<雨の木の下で>「スーザン・ソンタグの顔」)、これは彼女の詩を読むうえでのヒントになるような気がする。彼女の詩にはつねに淡淡しい広がりがあって、分泌された言葉が見えない薄くらがりの奥まで漂っていく。

それはまた、詩における形の不分明さ、空間や時間の境目のなさを感じさせることにもなって、その背後に大きな何か(彼女がしばしば言及する「自然」と言ってよいか?)が存在することをうかがわせる。そこでは人間があまりに寄る辺ない存在であることを知りながら、詩人はその身を投げ出して、みずからが感受することのできるすべてを受けとめようとしているかのように見える。

河津聖恵の詩への向き合いかたは半端ではないが、その力量は詩論にも如実に表れている。詩誌「pfui!」に連載の始まった「詩と時間」は北村太郎論として画期的なものになるような予感がしてわくわくしている。(河津さん、(2)以降もぜひ rain tree ネット版に掲載させてくださいね。)

その「詩と時間(1)」の中で彼女は、北村太郎の、
「時間を見たぞ」
「時間に見られてしまったな」   (「冬の時計」『ピアノ線の夢』)
を引用して、「なにかを「見る」ことがなにかが背後に秘めた「全体」的なものに「見られる」ことになること」に考えを及ぼそうとしている。この認識は彼女の詩作品にしっかりとつらぬかれているではないかと、あらためて気づかされた。

簡単な印象のようなことしか書けなくて恐縮だが、現在形で活動している詩人の仕事の一端にでも触れ、感動したり共感したりすることが、今のわたしにとってはrain treeを続ける力になっている。彼女の作品はまだまだ読み切れない。どうかみなさん、バックナンバーに入ってもvol.12をたびたびお訪ねください。




「rain tree」vol.12に参加して(1999.8.12)  河津聖恵


 思いがけなく関さんに誘ってもらって、「rain tree」vol.12に参加した。
 二ヶ月、木曜毎に更新するサイトで「思いっきりあばれてください」といわれて、「サイトバージン」(?)であるうぶな私は、最初右往左往。一応メールアドレスはもっていて、詩のインターネットにもアクセスできるのに、以前何度か冷やかしに見てからはなんとなく興味を失っていた私。パソコンもワープロソフト以外はほぼ冬眠状態。それが、関さんという、おそらく今もっともネットに敏感な詩人に揺り動かされたというカンジです。最初はメールが文字化けしたり、校正用ファイルの正確な見方がわからなかったりして、慌てることもありましたが、メールですぐに手取り足取りアドバイスしてくれる関さんのおかげで、なんだか私もネット詩人?と錯覚するほど作業もスムーズになり、今度はどんな背景の色かなーなどと、毎週校正用ファイルが送られてくるのがとても楽しみになりました。

 詩を書くというのは孤独な作業ですが、インターネットというのはその孤独さの芯はここに残したまま、多くの不特定の人へつながりうるという可能性へわたしたちを解放してくれるのじゃないかなと、この二ヶ月間参加してみて思いました。もちろん、どんな人が見てくれているのか、ということはわかりませんが、「詩を読もう」という大勢の人の同じ気持ちがそこにはあり、だれでもない「読者」の視線が、サイトという舞台を不思議な光で照らしているのかもしれません。ちょっと大袈裟かもしれませんが、私にはそんな気がしました。

 また、毎号ゲストが一人、つまり総勢二人であるということは、とてもよいと思います。次の号の準備をする過程で、関さんとメールをやりとりしていくわけですが、それがとても親密になるし、何でも「産み出す」のは二人が一番だと思います。今回参加してみて、関さんの詩が私により深く感じられる気がしたし、詩に限らずエッセイや日記からも、いつのまにか色々影響されていました。詩作品に宇多田ヒカルを使っちゃえ(関さんもヒカルちゃんのことを書いてらした)と大胆に思ってしまったのもそうだし、もっと自然に触れるような詩が書きたいと思ったのもそう。「今夜のおかず」からの強いインパクトで、我が家の食卓もいつのまにか「こってり系」がふえつつあるというのは、ちょっとまずいかもしれませんが?!

 関さん、この二ヶ月間、楽しい時間を本当にどうもありがとうございました。
 また、サイトを訪れてくださった方々にも感謝を申し上げます。




スーザン・ソンタグの顔 (1999.7.10)  河津聖恵



 目にした方も多いと思う。6月14日の朝日新聞夕刊の文化欄をひらいて、あっと思った。目というより心にとびこんできたのは、アメリカの女性評論家(作家でも映画監督でも演出家でもある)スーザン・ソンタグの「いま」の顔。実はその数日偶然にも、なにか飢えたように棚晒しにしておいた文庫版『反解釈』を再読しはじめていたのだった。「解釈学の代わりに、われわれは芸術の官能美学(エロティックス)を必要としている」とか「最もすぐれた芸術は構成されるのではなくて分泌されるのだ」といった言葉が、その数日脳裏をどこか活性化してくれていた。まだ30そこそこでありながら「アメリカ前衛芸術界のナタリー・ウッド」ともてはやされた若き美しきソンタグの、まさにエロスと批判精神のあいまった名評論集。

 けれど夕刊をみてあっと思ったのは、単純に符合を感じたからだけでなく、そこに載っていた写真にショックを受けたのだ。一瞬、ほとんど持っているソンタグの翻訳書に載っているあれら、俯き加減ながら匂うように美しい一群の顔が消えた。40代で癌克服後の『隠喩としての病』の写真でさえも、もはや女性美とはいえないが性別を超越した力強い美しさがあったのに。けれどこの写真は。恐らく二度目の癌治療のために剃髪したのだろう短い白髪、苦悩の皺の刻まれている額、そして悲しげにこちらに向けられている目・・・刺されるようだった。でも、「がんだってただの病気」と紙面からきこえてくるのは相変わらずのソンタグ節! ホッ。

 「未来に向けて」という大江健三郎との往復書簡は、その後二度ソンタグの写真を掲載したが、二度目は頬杖をつき現在を斜めに見据えるような穏やかな表情、最後はぐいっと目を見開きこぶしをこめかみの上あたりに当てている。みつめている先は未来。「私たちがいずれ死ぬことは確実です。問題はいかに生きるかです」─こんな主語と述語が似合うのは、やはりソンタグだけなのだった。  (紙版「rain tree」no.12 1999.7.25掲載)



告 別  (1999.7.15) 関富士子



 月に一度、いろいろな詩人の詩を読んだり、自作を持ちよって合評したりという集まりに出かけていた。藤富保男氏を中心に10人ほどの、詩が好きな連中ばかりである。わたしが参加してからでももう10年ほどになる。詩が書けたらできるだけメンバーに読んでもらって批評を受けるようにしていた。

 個人的な付き合いはあまりしなかったが、詩だけがとりもつ淡い関係を快く感じていた。みんながその集まりを大事なものに思っていることがわかっていたし、たがいに書いたものの最初の読者になることがうれしかった。それぞれの書いたものは、その人の心の奥に触れるような気持ちで読んでいたから、それ以上の付き合いをしなくても、作品をとおして人となりや喜怒哀楽を理解したつもりになっていた。

 そのメンバーの一人が、誰にも別れを告げず遺書も残さず死んでしまった。なんということだろう。あまりのことにがっくりした。命日すらはっきり知らされず、理由もまだわからない。亡くなって初めて、彼の私的なことをほとんど聞いていなかったことに気づいた。でもそれを知ってどうなるだろう。無力感が湧くばかりだ。若いころにもそういう死にはいくつか出会った。でも自分はこれからまだまだ生きねばならなかったから、いつまでも悲しんではいられなかった。でも今のわたしには、彼の死はこたえる。ボディブロウのようにじわじわ来るのである。

 こうなるまでの彼のさりげない言動がさまざまに思い起こされてならないが、いちばんこたえるのは、書くということが彼には救いにはならなかったということだ。彼の孤独と絶望は書くことで癒されるものではなかった。そしてわたしはというと、そんな彼のことを書くことで慰めを得ようとしている。死者を引き戻すことはできないのだから、何らかの方法でなんとか彼に別れを告げなければならない。その方法とはわたしにはやはり書くことだった。わたしはこれからも生きていくのだから。  (紙版「rain tree」no.12 1999.7.25掲載)



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