rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number12 もくじvol.12ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など
vol.12

<雨の木の下で>


  「アメリカ現代詩101人集」感想集  

朗読の感想須永紀子さん、四釜裕子さん、桐田真輔さん、河津聖恵さん、小池昌代さん
詩集の感想 <詩を読む>「河口の風景--D・W・ライト編『アメリカ現代詩101人集』を読みながら」桐田真輔さん

コンサートにいらした方、詩集を読まれた方、どなたでも、rain treeにぜひ感想メールをお寄せくださいね。

 思いきり楽しみましょうと関さんは言った  須永紀子 

 朗読については、読むほうも聞くほうも初心者である。
 ときどき自己陶酔タイプの朗読を聞かされることがあって、自分がやっているのではないのに、どうしょうもなくはずかしくなってしまう。それが嫌で敬遠していたのだけれど、今回はみんなプロ。それに自作の詩ではなく、思潮社から出版された『アメリカ現代詩101人集』のなかの作品を、ジャズの伴奏付きで読むというものなので、楽しみに出かけた。

 ピットインは初めて。関富士子さん、河津聖恵さんと久しぶりに会えて感激。朗読会はいきなりジャズの演奏で始まった。すばらしい。身体の奥に響いてくる。CDにはない生の音の迫力。

 小池昌代さんの朗読は何度か聞いたことがある落ちついた艶のある声。アリス・ノトリーの「わたしが生きていたころ」という短い詩は、小池さんの詩に通じるものがあって、聞き入った。

 平田俊子さんのことは以前から伊藤比呂美さんや福間健二さんが「平田俊子はおもしろい」としきりに言うので、ぜひ一度お目にかかりたいと思っていた。
 どこかシニカルな雰囲気があって、切れそうな方。
グェンドリン・ブルックスの「日曜日を忘れたんなら─愛の物語」をちょっとなげやりな早口で朗読し、若い女性の切ない気持ちがまっすぐ伝わってきた。さりげないけど演技派。

 もうひとつの「聖ゴキ様」の詩は、カットしてもよかったのでは?説明するまでもなくゴキブリの詩。平田さんの詩集にあるゴキブリの詩も読んでくれたけれど、虫の詩は苦手。第一タイトルを聞いただけで、内容が想像できてしまうではないか。
 途中でおばさんやおじさんが笑っていたけど、どこがおもしろいの?サクラじゃないかと、ひねくれたところのあるわたしは思った。他の方はどう感じたでしょうか?

 高橋睦郎さんが読んだのは、ゴールウェイ・キネルの「」というワイルドな詩。あまりにも若々しいので驚いてしまった。地味めのアロハシャツに綿パンにスニーカー姿で、ミュージシャンに混じっても違和感がなく、かっこいい。

 訳者の江田孝臣さんと江田まりこさんはヴィクター・ヘルナンデス・クルースの「ハリケーンの厄介なところ」。スペイン語なまりの英語ということで、日本語訳も田舎ことばになっている。

 同じく訳者の沢崎順之助さんが朗読したのはアメリカの現代詩に大きな影響を与えたヘイデン・カルースの「カリフォルニア」。飾り気のない読み方で意味を追いながら聞くことができ、静かな感動がやってきた。

 司会のD.W.ライトさんはオリックスのニールに似ている。それともマーク・マグワイヤかな?流暢な日本語とちょっとシャイなところがこの会をあたたかいものにしていると思った。

 とてもハッピーな新宿の夜でした。



さっそく見せていただきました。もりもりもりだくさんで!   四釜裕子 books bar 4

あの夜は堪能しました。
もともと演劇(性)が嫌いなので、作為的に表現されたものにはなにひとつこころ動きません。
ただあの夜は「本当にこの詩が好きなんだなぁ、この詩のおもしろさを伝えたいんだなぁ・・・」と思わせる朗読があって、とても楽しかった。
抑揚や間合い、声色の演出は、一切必要ないと思いました。
沢崎さんがどんなにかあの一編をお好きか、高橋睦郎さんがどんなにかあのセッションを楽しまれていたか、私はよまれた詩の内容よりも、舞台で満身高揚されている姿に楽しくなりました。ライブの真髄は詩の朗読でも同じだなぁと。


 6月29日に行った「詩とジャズのコンサート」のあれこれ。  桐田真輔 KIKIHOUSE

 その気になれば、自宅に居ながらにして、いろんな催しの情報が探し出せる。思えば便利な時代になったものだ。現代詩系サイト、清水鱗造さんの「Shimirin's HomePage」の「編集室・雑記帳」(掲示板)、関富士子さんの「rain tree」、樋口えみこさんの「ぺんてか 言葉の処方箋」の「裏ぺんてか」(掲示板)などで、イベントの案内を読んで、「『アメリカ現代詩 101人集』出版記念 詩とジャズのコンサート」というのを聞きに、雨のそぼふる夕刻、新宿の「ピットイン」へ。

 開場時間午後7時に行くと入場者の列が。開場は30分遅れ、開演も30分以上遅れたのだったが、店内は盛況で、補助椅子が用意されたほどの満員状態。最初に、渋谷毅オーケストラ(渋谷 毅(P) 、峰 厚介(Ts)、 松風鉱一(Sax) 、津上研太(Sax)、松本 治(Tb) 、石渡明廣(G) 、川端民生(B)、 古沢良治郎(Ds) )の迫力ある演奏に続いて、『アメリカ現代詩 101人集』(99年6月20日発行・思潮社)の編集をされたD・W・ライトさんの司会で、楽器をバックに詩の朗読が始まる。

 朗読は、米詩の翻訳者の方たちや、小池昌代さん、平田俊子さん、高橋睦郎さんといった面々が、『アメリカ現代詩 101人集』に収録されている詩に自作の詩を織り交ぜて読むという形式。

 朗読された訳詩は、それぞれバラエティに富んでいて、いかにも米国の民族・文化の多様性という特色を盛り込んで、多くの米詩人の詩を紹介した『アメリカ現代詩 101人集』という本の企画にあっている感じ。私には、高橋睦郎さんの朗読したゴールウェイ・キネルの詩「熊」がバックの演奏効果とほどほどにからみ合っていて、とてもよかった。最後のほうの憑依状態みたいな箇所が気になって、思わず帰ってから、会場前で買ったばかりの本をめくってしまった。もうひとつの初期の自作詩の絶叫型の朗読は、「ビートニクの恋人」時代というか、7 0年前後を髣髴とさせて懐かしい。高橋さんが挨拶で、自分もこの本を読んで、変わりたいと思います、と語っていたのが、この新しくて分厚くて読みでのありそうな現代詩アンソロジーの出版記念にふさわしいというか、すごいな、と。

 休憩時間があり、関さんが後ろの方にいた私を見つけてくれる。明るくなった照明のもとで、関さんに紹介されてみると、なんと私の前の席に座っていたのが現代詩サイト「Longtail Co., Ltd.」の長尾高弘さんで、その通路を隔てた隣には以前に「北村太郎の会」で、お会いしたことのある森原智子さんが。

 休憩後、ジャズの演奏はまた始まるのだが終わりはいつ頃になるか分からないし、演奏途中で席をたつのもなんなので、私たちは退出することに。関さんが声をかけてくださった人たちと、偶然会場から歩いて数分のところに位置していた、私にとっては懐かしのお店へ独断でついてきて貰って、総勢7名で水割りやお茶でしばしの歓談。11頃に店をでて、土砂降りのさなか駅に向かう。



 6月29日、京都から新宿ピットインに直行して 河津聖恵 

こんな大雨予報の日、詩の朗読会なんて人がくるのかしら、と、遅れた新幹線のなかでいささか心配していましたが、着いてみれば、なんという盛況ぶり!三十分遅れで開演した頃には立ち見は続出、ジャズ演奏の方たちも「今回こんなに多いけれど半分以上は詩を聴きに来た方のようですね」と冗談まじりに驚いていたようでした。

私もだれかの自作詩の朗読会ならば、こなかったかもしれないのですが、書店でこのアンソロジーのウィリアム・スタフォードの「音を飲み干した動物」に圧倒されて買い、さらに凄い作品につぎつぎ出会い、ついで折良く関さんのサイトでコンサートの宣伝を見て、こりゃ這ってでも行かなくちゃと新幹線の切符を握りしめていたわけです。これだけ人を集められるというのは、翻訳されても、あるいは翻訳だからこそ、アメリカ詩には強烈な磁力があるからかもしれません。

コンサートの段取りと模様については、もう他の方々がきちんと報告してくださっているので、ここではもう申し上げませんので、簡単な感想だけを書きます。

まず、朗読された方々がみなとてもいい声をしていたということ。
とくに高橋睦郎さんのお声はステキだった。立ち姿も、カッコよかった。
ところで朗読されている間じゅうこちらに向けられていた初期詩集らしき本の表紙の、元気なイラストの女の子の絵がとても印象にのこっています。もう絶版っぽそうですが、すごくかっこよい造りにみえました(だれか貸してください、なんて)。小池さんや平田さんも、アマの域を脱していますね。またライトさんの促音便ぬきのやわらかな日本語には、情感がこめられていて思いがけなく酔いました。
全体としてアンソロジー集紹介としては、よくできた構成だったのではないでしょうか。

また、朗読とはあまり関係ないことかもしれませんが、最前列にいる私もそうだったのですが、詩の朗読が伴っているとはいえ、ジャズのコンサートに聞き手がみなあんなに大人しくまっすぐ前を向いていたのは、なんか変ですねえ。これから私ももう少し乗らなくては。
以上、感想まで、です。



 夜の和声――ピットイン・ジャズと詩の野合! 小池昌代 

 関さんから、感想を、とのことである。すぐ書くつもりが、いざ始めると、言葉がまったく出てこない。ああ無事終った、客席が一杯でよかった、なんてそんなことばかり。「アメリカ現代詩101人集」は、装丁や初出誌で関わった、きわめて身近な本である。今回の朗読会は、奥成達さんの力添えがあって実現したものだが、私もちらしを作ったり、宣伝したりで、気持ちばかりは、ばたばたしていた。平日の梅雨空、お客様の入りが心配だったが、お蔭様で満席。私は、いつになく素直な気持ちで、ありがたや、と皆様を拝んだ次第です。

 さて、ここで本書に少し触れておきたい。実はまだ全部を読みきれていないのだが、4人の静かな熱情にささえられた、力のこもった翻訳書である。勝手な印象をまとめれば、三つの流れに特に心惹かれた。一つは、今回読んだ、アリス・ノトリーや、デイヴィッド・イグナトーなどにも見られる、神秘的・形而上的・幻想的な詩。ディキンソンに源をおいていいのだろうか。二つ目は、ヘイデン・カルース、スナイダー、ゲアリー・ソートなど、これはあげるともう、たくさん出てくるが、ダイナミックな自然のなかの生命そのものを歌ったもの、人間の普遍性を描いたもの。素直に心が動かされ、読んでいて、自然に涙が出てきてしまうものが多い。アメリカの詩には、このように、詩というものは進化しないのではないかと思わせるほど、ひとを素朴に感動させるものがある。三つ目はカジュアルでおしゃれ、知的でひねった詩、笑わせる詩。ケネス・コークの、「ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩の主題による変奏」がおもしろい。元の詩とあわせてぜひ読んでみてほしい。日本の詩には、なぜか、この種の笑わせるパロディ詩がないように思った。

 朗読会では、まず「わたしが生きていたころ」。これは森邦夫さんが訳されたもの。原題は「When I was alive」この詩を別の場所で紹介したとき、ある男性が、「わたしが生きていたころ」というのは、どうしても意味が通らない。誤訳ではないか。「わたしが元気だったころ」が正しいのではないか、と言った。確かにAliveには、そういう意味もあるだろうが、元気だったころにすると、詩ではなく、回顧談になってしまう。森さんの才能に感謝。翻訳っておそろしい仕事ですね。

 さて、そのあとライトさんが、朴訥で魅力的なイントネーションの日本語で、シルコーの「太平洋にささげる祈り」を読んだ。広広とした詩。気持ちがいい。続いて平田俊子さんの登場。日米ごきぶり対決と銘打って、本書と自作から一編づつ。自作のほうは、「御器かぶり」。詩集『ラッキョウの恩返し』に収められた名作!私はごきぶりが、でなく、ごきぶりの詩が好きである。収集したいくらい(詩を)。北村太郎にも一編あったような気がする。詩のことばを借りれば、おぞましい感じが、ぞくっとするほどに「エキゾチック」なのかも。活字で読むと、ゴキブリ度がもっとアップして、さらによいかもしれません。最後の「日曜日を忘れたんなら――愛の物語」では、悲しい女の心を演読。役者である。

 続いて、江田孝臣さん、まりこさんご夫妻。エネルギーのあるカップルだ。ご両人とも、つややかでのびやかな声質。この詩は、江田さん訳。マンゴーやバナナ、アヴォカドがすっ飛んでくる厄介なハリケーンに気をつけろっていう愉快な内容。私は、とある人生問題で悩んでいたのだが、この詩を聴いていたら、マンゴーに頭をぶつけて出直したくなりました。

 続いて沢崎順之助さん。ちょっとほかにいないくらいの美声(テノール)の持ち主。ベルベットボイスというのだろうか。この方は、詩が好きで、好きだから訳す、それだけ、というような、まっすぐな少年心と詩心を持った翻訳者だとかねがね思っている。声が若いのは、そんな心が体内を流れているせいかもしれない。

 そしていよいよ、高橋睦郎さん。高橋さんの声は、やわらかく、奥の方にあまみがあるところがとても魅力的だ。しかしご本人は、その甘さがいやなんです、とおっしゃった。キネルの「熊」のほか、自作詩を一編読まれたが、これがよかった。『眠りと犯しと落下と』という詩集のパートV・落下の部分。渋谷オーケストラの混沌・混乱した音の洪水のなかを、気がつけば、一筋の男の声が、ずんずんと、通っていく。感動した。「コトバを連呼するとどうなる たいへんなことが起きる」という一節が藤井貞和さんの詩のなかにあるが、「落ちる」「落ちる」「落ちる」という声は、いつしか「落ちよ」「落ちよ」「落ちよ」という命令形に翻って、今も私の耳元で、蝿のようにぶんぶんうなっている。現在失業中の私、まだまだ落ち方が足りないようである。この詩は、思潮社版・現代詩文庫『高橋睦郎詩集』で、手軽に読める。

 ともに演奏してくれた渋谷オーケストラを、私はすでに何回か聴いている。いかすなあ。彼ら。(「いかす」をワープロで打つと、異化す、活かす、生かす、行かす、と出てくるが、このうちのどれでも可)。渋谷毅さんはこわばったところがまったくない。見ているだけでリラックスしてしまう。でも、ほんとは怖い人かもしれないと思わせるところも素敵だ。また聴きに行こう。

 帰りはどしゃぶり。 






tubu<雨の木の下で>河津聖恵の仕事っぷり(関富士子)「rain tree」vol.12に参加して(河津聖恵)へ「アメリカ現代詩101人集」朗読とジャズのコンサートへ
rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number12 もくじvol.12ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など