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vol.13

<雨の木の下で>

「西脇順三郎を語る会」に行ったこと 桐田真輔 KIKIHOUSE (1999.10.6)

10月3日(日)、午前中に渋谷へ。ビッグカメラを覗き、紀伊国屋書店で本を求め、同じフロアの喫茶店「CAFE SHALIMAR」でコーヒーを飲んで元気をだす。2時からパルコ前の勤労福祉会館で「西脇順三郎を語る会」があるのだ。ネットの掲示板などで催しの紹介を読んで、行きたいと思っていたら、関さんも誘ってくれたので渡りに船と。

 会では3名の講師の方の講演を聴く。中村鐵太郎氏は「西脇順三郎とことばの秋」で、西脇詩のリズムや構造といった作品内容について触れられ(「旅人かへらず」に登場するあの「寂しさ」のオンパレードが、むしろ詩集全体のバランスを配慮して、記号として用いられたのではないか、という指摘が印象的だった)、新倉俊一氏は「田村隆一と西脇順三郎」で、西脇順三郎と荒地派の詩人田村隆一の生前の交流や詩のうえでの影響関係についてテキストを例示して述べられ(田村氏の詩作品には西脇 氏やその詩に関連するものが十数編あるというのが、予想はしていたが、すごい量だ)、加藤郁乎氏は「西脇先生と私」で西脇詩のベースにある風流(戦中期の沈黙の時代に身につけられた江戸期の文献や浮世絵の教養)について、生前身近におつきあいのあった立場から、おもしろおかしいエピソード(西脇順三郎ユダヤ人説とか)を交えて話された。

 催しについて書くと、この高名な詩人についての講演会は、「西脇順三郎を語る会」主催で、毎年開かれているという。もともと少人数の人の集まる故人を偲ぶ会というのが、はじまりだったというような来歴を関さんから少しお聞きした。司会は毎年藤富保男さんがされているとのことだったが、今回は欠席されて、途中から急遽飛び入り?で飯島耕一氏が加藤郁乎氏の紹介をされたのも楽しいハプニング。興味の或る方 は来年もあるそうなので是非行かれるとよいと思う。

 会場のことを少し書くと、渋谷区立勤労福祉会館はパルコ前ながら、名前だけあって?中に入ると茶髪と花魁サンダルで賑わう屋外の喧噪が遮断されて、地味な地方の公民館(本当は行ったことがないので良く知らないが)という感じ。廊下を隔てた部屋(どれも会議室)ではのんびり囲碁など打っている。このとりあわせはとても面白かった。ちょうど色んな異質な時間が併存して流れている都市の現在というイメージかな。

 というわけで、それぞれ色々な角度からの充実した講演が聴けて楽しかった。私はどうせなら楽しもうと78年発行の恒文社版「旅人かへらず」を持参して午前中に喫茶店で思いだしつつ読んでいたので、なるほどとツボを得た感じで共感、納得できたところも多々あった。西脇氏の詩は、講師の中村氏も高校生の頃教科書で初めて読んだとおっしゃっていたが、私も同じ経験をしている。それ以降、随分時を隔てて、若き荒地派とのからみや、戦前のモダニズム詩などへの興味で読んだ。したがって超現実主義詩論や詩集「ambarvalia」や詩集「旅人かへらず」といった代表的なものしか読んでいないのだが、いつも遠くで気になる感じでひっかかっていて、その言葉の魅力あふれる茫洋としたイメージの世界と、いつか老後に楽しみながらゆっくり向き合ってみたいと考えていた節がある。そういう老後はまだまだ未定なのだが、普段テキストとしてしか詩に向き合わない者にとって、こういう機会はそんな夢をすこし膨らませてくれた気がする。。。

 あれから何年。。今の若い人も西脇詩を教科書で読みはじめるのだろうか。西脇順三郎の生涯を描いた工藤美代子さんの『寂しい声』(筑摩書房)に書いてあって驚いた覚えがあるが、あまり知られていないが西脇氏はノーベル賞候補にもなったことがあるという。そういうグローバルな性格をもった詩の可能性に思い巡らすのも、西脇詩を読む楽しみのひとつではないかと思う。



tubu<雨の木の下で>三日吹く風/二つの生誕百年(水島英己)
掲示板というものについていろいろ考えた(関富士子)
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