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茨木のり子『倚りかからず』(筑摩書房)を読む
1999.12.11 桐田 真輔
帯に7年ぶりの最新詩集とあり、この7年という歳月の経過は、著者にとって、いろんな個別的な事情の結果なのだろうが、その間に書かれたという多くの詩の草稿から選ばれたという15編の詩は、自然に90年代の日本を呼吸しているという結果になったという感じがする。それをひとことでいえば、さまざまな制度的な言説に対する幻滅や批評意識をとかしこんだ、ゆったりした生活感覚の場所の価値づけといえばいいか。
いかなる権威にもよりかかりたくないし、もっとゆったりした時間が生きたい、という主張が、とても鮮明でわかりやすい。それが90年代的だと思えるのは、詩には直接触れられていないが、前者はマルクス主義の退潮や保守主義の台頭といった思想シーンの混迷(これにオウム問題などを含めてもいいが)、後者はマスメディアを通じての自然環境破壊に対する関心の高まりや、海外旅行者の増加による既製の国家イメージを越えた相対感覚の浸透ということが、その背景にあるように思えるからだ。
センスのいいユーモアと、選び抜かれた簡明な詩のことばに支えられた著者のメーッセージが、読者を共感に導く。その言葉はやはり読者が90年代を感受して作り上げてきた、ある心の実感の場所に届くからだ。だが、スローガンのように口当たりの良い部分よりも、幾つかの作品を倫理的に優れたものにしている詩行、「雪崩のような報道も ありきたりの統計も 鵜呑みにはしない じぶんなりの調整が可能である」や、「ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある」といった著者の思いの内実を本当に共感したり共有することは、この詩集の未知の読者に委ねられている。
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茨木のり子詩集『倚りかからず』
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