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vol.15

須永紀子の詩「そして、今も」を読む


 桐田 真輔
 20年くらい前に男友達二人と3人でレンタカーで行った北海道旅行の述懐からは じまるこの作品は、二連で、その旅行にでた当時の学生時代に自分の抱いていた孤独 な心持ちの描写と、そうした日々のなかで、言葉を共有できる仲間との出会いが、ひ とつの精神的な転機となったことが語られ、3連目で、その転機の内実が、言葉の共 有=同時代の詩の発見であったことが明かされて、終連で、すっと現在に滑り込んで、 そのように、青春時代に同時代の詩を見い出し、それ以来、自分が詩を読み、書き続 けてきたことの意味合いが、自分(たち)にとっての個の尊厳(プライド)の確立と してあり続けたことだったのだと、きっぱりと把握しなおされて、ひとつの宣言のよ うに完結している。

 最初に読んだ時に感じたのは、まぶしいな、いい出会いをしたんだな、という感じ だった。この感じがどこからきたのかと言えば、全編に流れる、しなやかな言葉の疾 走感のなかで、楽しそうな青春時代のドライブ旅行の回顧と、詩のことばとの幸福な 出会いが、溶け合うように語られているように思えたからだと思う。詩のことばとの 幸福な出会いというのは、詩との出会いに先立って、「(倍速でしゃべる)彼とあな た」たちとの出会いがあったように描かれているからだ。著者は、彼等にみちびかれ るようにして、いわば、等身大の彼等の感受性への信頼に支えられるようにして、同 時代の詩の世界のひろがりに、すっと身を預けていけた、というように読めて、それ は詩の言葉との出会いとしては、とても希有なことのように思えた。

 ところで、この作品のまぶしさの由来はそれにつきていない。著者が語る<わたし >のエピソードが、同世代の「遅れてきたわたしたち」のエピソードに開かれている ところがあるのも、その理由のひとつかと思う。「わたしたち」は、性もちがうし、 20年という歳月で、おそらく生き方もかわってしまっている。それでも詩の言葉の 共有によって結びついている、という詩の言葉の力に対する信頼や、自分(たち)の 立つ位置の確定が、この詩をとても力強いものにしている。

 現在の詩の多くが、同時代の共有感覚をもたらすように書かれ、読まれているかと いうと、おおいに疑問がある。けれど、著者が「すばらしい詩」として知ったという のは、「逃げないこと、愚痴をいわないこと、マイナスを負のプラスと考えること」 という、詩のことばの有り様ではなく、むしろ、詩の行間から透けて見えてくるよう な、詩を書く人の生きる姿勢のようなものなのだ。その姿勢が、「自然にあふれる欲 望のようなもの」として、「この目に世界がどう見えているか 知っていることばで 伝えたい」という思いに結びついていると思える時に、おそらく「すばらしい詩」が 成立すると言われている。

 ここでは、わたしたちを、すっと、自分と詩との出会いの初源にたちもどらせるよ うな何かが、抑制された言葉でいいきられている。そのことが、この車窓に流れる木々 の緑の光の印象に、みずみずしい青春時代の追憶を重ねたようにも見えるフォルムの 美しい詩作品を、一方で、とても芯のある味わい深いものにしているように思えた。

 「そして今も」(須永紀子)は、詩の雑誌『midnight press7 2000年春号』(ミッドナイト・プ レス)に掲載。

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