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vol.15
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布村浩一詩集『ぼくのお城』(昧爽社)を読む


 桐田 真輔
 詩を書く人は多々いるのだろうけれど、いつも、ある種の切実さをもって詩を書く ことに向かい合うという人は限られているだろう。いや、そういうと誤解を招くかも しれないが、ここで切実さ、という言葉でいいたいのは、自分が生きているという日々 の生存感覚と、詩の言葉を、ある直接性で切り結びたいという欲求に、いつも促され るようにして詩を書く、という持続的な姿勢の難しさや稀少さについてなのだ。布村 さんの詩集『ぼくのお城』から受ける感触には、まさにそういうところがある。

 この感じは、詩作の世界に惚れこんで、言葉の世界の自由さや奥深さが、愉しくて 仕方が無くて、身をやつすように書いている、とか、とっておきの余暇に、辞書片手 に修辞を重ねて緊密な作品を構築しているとか、そういう風情とはすこし違う。

 生活にかまける日々の中で、(たぶん)すいと机に向かう時間の流れが用意されて いて、ほとんど自分と向き合う日記や思索の儀式のように詩を書いてしまう。言葉は 滅多に遠くまで飛んだり、複雑骨折しないし、そこに大向こうをうならせるような劇 的な仕掛けがあるわけではない。恋人のことや肉親のこと、喫茶店や駅に行き交う人々 や郊外の風景についてのちょっとした感慨や自己感情のこだわりが、やさしくて低い 主調音をつくっている。

 そういう詩とのつきあいかたは、一時期、誰にも覚えがあることかもしれないが、 持続するのは難しい。布村さんに、なぜそんな持続が可能かといえば、1990年8月に刊行された『布村浩一詩集』と、この『ぼくのお城』という 二冊の詩集を 読んだ範囲で想像すると、著者が、ある種の世界の変貌体験を、きっと深い孤独の相 で、くぐり抜けたことと関係があるように思える。けれど、それは世界に対する身振 りの否定性としてではなく、著者を著者たらしめるための切実な肯定性として、生き られた誠実な心象の劇として届いてくる。こんなふうに詩を生きている人もいるのだ。

布村浩一詩集『ぼくのお城』(95年7月15日発行・昧爽社刊)

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(するがまさき)執筆者紹介へ

コーヒーと紅茶
 布村浩一論

 駿河 昌樹
 コーヒーと紅茶。
 その、どちらを選ぶひとか。
 ながいあいだ、布村浩一は紅茶を選ぶ、と思い込んできた。詩にはたびたび紅茶が出てくる。作中の「ぼく」は、喫茶店でいつも紅茶を飲んでいる、と。

 だからこそ、一九九九年末の名作『夜のはじまる街』で、

ぼくは喫茶レイン・ツリーの二階で
モカを飲んでいる
四角形のエア コンは停まって
窓を二ヶ所開けてある


とあるのを読んだ時、布村の変貌に立ち会ったかのような思いを持ったのだ。

 しかし、それは間違いで、すでに一九九二年、散文詩『横浜』 で、「彼女からの電話を待」ちながら、

ぼくは他にすることがないから。コーヒーを飲んで、畳に寝っころがり、指をかざす

と布村は書いている。同じ『横浜』(九二年)という題名のべつの詩篇でも、

煙草を吸い
コーヒーを飲んだ
大きな時計の下でまた路を
さがそうとする


とある。『お茶ノ水駅』(九二年)には、

お茶の水駅ということを考えながら
コーヒーがテーブルの上にこぼれている


とあり、『帰郷』(九二年)では、

おとうとを見送ったあと
ちぐさという喫茶店で
アメリカンコーヒーを注文した


と書かれていた。九五年の『妖怪たちの物語』でも、

すべてのコーヒーは苦く
すべての風景は苦く


と断言している。少なくとも八年にわたり、布村浩一はかなりの頻度でコーヒーを選び続けてきたわけで、いつも喫茶店で紅茶を飲んでいるなどと思い込むような過ちは、あまりにひどい読み間違いであると素直に認めるほかない。
 布村が紅茶を選ぶ、紅茶こそを喫茶店で飲むという、私のなかにつよく根を下ろしていた印象は、それでは、どこから来たのか。

 布村がたしかに紅茶を飲んでもいる、ということは確認しておかねばならないだろう。一九九八年の『』では、「ロイヤルミルクティー」を注文している。飲んで、

ミルクの匂いがして舌になめらかだ
突き刺さってこない感じがする


と思い、店内を眺め、テーブルの上に目を落とし、時計を見、

ショーケースの中のケーキの名前を

見て、

知っている名前が一つだけあって
それは外の音が 窓ガラスにはねかえっている
こことはちがう
もっと客のいない もっと冬の息の濃い席で
食べた


と詩を終えるのだが、ここにいう「知っている名前」とは、一九九五年四月の『特別な映画』で彼が食べたはずの「マーロン・クリューシュ」であるのかもしれず、「もっと客のいない もっと冬の濃い席」というのも「立川のただ一つの喫茶店」であるのかもしれない。この時、布村が注文しているのは「アール・グレイ」なのだが、その「アール・グレイは匂いがしない」。同じ行を二度繰り返すほどに、「匂いがしない」。が、「しかしおいしい」。

 同じく一九九五年八月、『にぎやかな場所』では、まず「明るい 店」で、なるほど「コーヒーとミートソースを注文」し、しかも「アメリカン・コーヒーと発音できる」という確固とした喜びを獲得するためにか、あえて「アメリカン・コーヒー」を頼んではいるものの、そこでの食事を終えて「にぎやかな場所」へと移動した際には、「水を飲」んで、店内の装飾、

中世の騎士の絵 槍を投げるエスキモーの絵
魚を捕る船乗りの絵 花を摘む女の絵
スキー靴を履いた子供の絵 鷲だ 金の枝の木


などを見まわしてから、「苺の形のケーキ」を注文するとともに「セイロン・ミルクティー」を注文している。

 九五年四月の「アール・グレイ」には、彼はおそらくミルクを入れなかったと思われるのだが、同年八月には「セイロン・ミルクティー」、そして、九八年には「ロイヤルミルクティー」というふうに、注文する紅茶がミルクティーになってきているのはどういうことか、それはしばらく置くとしても、コーヒーとくらべて頻度があきらかに少ないとはいえ、このように、布村が紅茶を、じつに印象的に、しかも、種類を明確に指定しつつ詩中に持ち込んできているのは確かなことといってよい。

 紅茶の種類の指定を、しかしながら布村は、詩人としての出発の最初から行っていたというわけではなかった。一九九〇年発行の第一詩集『布村浩一詩集』には、「アール・グレイ」や「セイロン・ミルクティー」や「ロイヤルミルクティー」といった種類名はまったく出現しない。そこに収録された『国立の街角』には、

ぼくは
紅茶を飲みながら画家たちと話をした


という箇所があるが、紅茶の種類や味よりも、この時点での布村の関心は、あきらかに

だれもがおそれているが
だれでもがずるずるといく
ひとつの顔でね
職業とかそんなものが自分を表わすのにふさわしいものになる


といった、「画家たち」との話の内容か、またはそれに喚起された思いへと向かっている。

 一九九二年以降の布村詩に頻出するようになる「喫茶店」も、この第一詩集においては、いま見た『国立の街角』の他、『神の子』や『崖の町』に現われるにすぎないのだが、それでも、詩集の最後の詩篇である『崖の町』では、

ぼくはぼくのいる場所を求めて
喫茶店を何軒か
空いている席のある喫茶店を何軒かたずねた
ぼくはずいぶん歩いたんだ
ぼくのいる場所を求めて
ぼくのための空いている席はありますかって
ぼくの声は
しかし
発声されていない
ぼくはずいぶん歩いたんだ
ぼくのための空いている場所はありますかって
ぼくはただ
ぼくの身体はただ
一つの目であっただけだ


というふうに、布村浩一の存立そのものを左右する最重要な場所としての地位を、すでに獲得している。「喫茶店にだってあんまり行かない」(『神の子』)と語っていた布村が、この詩集の最後では、すっかり、「ぼくのいる場所」を求めての「喫茶店」彷徨者として立ち現われてきているのだ。布村の当時の精神における、大きな変貌をそこに見て取るべきだが、このきっかけとなったのは、小奇麗な「喫茶店」や、しゃれた無機的なまでのカフェでなどなく、『国立の街角』に出てくる「邪宗門」のような店の雰囲気だったと考えるべきなのだろう。

あそこのウエイトレスはかわいいし 便所から流れる臭いもいい 国立の喫茶店はみんなにおうんだ

と彼は書いている。「岡山のはずれの瀬戸内海に面した村落共同体に育った」彼は、
「そこで生きる人たちに強い異和と拒絶感を持った」(第二詩集『ぼくのお城』あとがき)
とは言うものの、生の臭いを隠したり粉飾したりする都会の、それも事のほかそういう傾向のつよいはずの「喫茶店」に、「便所から流れる臭い」とかわいい「ウエイトレス」を同時に見出したことで、青年期までの生活環境と、東京に出てからの環境とを通底させたのではなかったか。ある いはまた、七八年の夏に

社会が変わっていくそれまでぼくが依拠していた共同性があり、それが消えていく。いわゆる新左翼的なものというか、70年前後の社会から〈これまで続いていたもの〉というか、それが共同性という形でこの社会にあり、ぼくはそれに依拠していた。その共同性がこの社会から消える。社会が変わる。『場』がなくなる。『ひとり』になる。これからはもう『場』を自分でつくっていくしかないのだ

と彼が感じていたのだとすれば、故郷の「村落共同体」へのある種の回帰とまで言えるかどうかはともかく、少なくとも、「依拠していた共同性」が失われた後の、個としての内的生活の可能性を求めた、かつての生活環境ないしはその記憶との精神的心理的な再交渉の始まりを、「便所から流れる臭いもいい」「国立の喫茶店」は意味していたように思われる。「強い異和と拒絶感」とから、かつて幼少時に属したひとつの「村落共同体」をまるごと忌避するのではすでになく、生の可能性を作り出しうるいくつもの線や素材を抽出する対象としてそれに向かうということを、「国立の喫茶店」において布村は始めたのではないか。いかなる「共同体」も自分の「場」ではありえないと分かって、「場」のなさをこそ「場」とするという根本的な変貌が、ここに生じたのではなかったか。

 たんにみずからの「場」を失って、それをとりあえず「喫茶店」に求めようとしたというに留まらず、「場」のなさをこそ「場」とするに到るこうした精神の運動の、現実との最良の接点としての「喫茶店」を発見したことが、おそらく、布村における詩の発生の瞬間であったはずである。一九九五年の第二詩集『ぼくのお城』では、「ぼくのお城」の崩壊を生きた布村が、「喫茶店」から「喫茶店」へと足を運んでは、「コーヒー」を飲んだり、「アメリカンコーヒー」を注文したり、駅で「彼女」と別れた後に「ぼくのコーヒーの前の置かれていない紅茶のカップ」を想像したりするのだが、頻繁に「喫茶店」に行くというのではなく、「喫茶店」という仮設基地から方々へと出かけていくのだと考えたほうが正確だろう。そこから彼は、恋愛へも、みずからの孤独へも出向いていき、また、帰ってもくるのだ。ときおり、自分が住んでいる「部屋」が語られるとはいえ、それも「喫茶店」のひとつであるにすぎない。「きみ」がいなくなった自分の部屋を、『今を超えないように』は次のように描いている。

きみがいなくなった部屋で ビールと
パンとベーコン
水と 紅茶と トマト
しばらくはきみがいなくなった部屋がさみしいが
ビールとパンとベーコン
水と紅茶とトマト
きみのいつも持っている体温はぼくをさみしがらせない
という ことを
木に話す


「ビール」にしても、「パン」にしても、「ベーコン」、「水」、「紅茶」、「トマト」にしても、いうまでもなく「喫茶店」の属性なのである。自分の「部屋」を描くのに、これらだけしか書き込もうとしないこと、あるいは、あえてこれらだけは書き込んでいるということに驚くべきであるし、また、ここにこそ、布村浩一という精神の特性がある。

 一九九五年以降、布村は、「コーヒー」と「紅茶」をさらに細かく指定する方向に向かった。九二年には『帰郷』において「アメリカンコーヒー」と記していた彼が、それを収める第二詩集刊行(九五年七月)の直後には、『ブービー・トラップ』十八号(九五年八月)の『にぎやかな場所』におけるように、「アメリカン・コーヒー」という表記をするようになっている。種類については、九五年の『妖怪たちの物語』ですでに「ニガブレンドと/カゼブレン ド」なる名を登場させており、たんなる「コーヒー」という総称からの脱却は始まっていた。その流れは、九九年末の『夜のはじまる街』における「モカ」に繋がっていく。

「紅茶」における「アール・グレイ」や「セイロン・ミルクティー」、「ロイヤルミルクティー」、「コーヒー」における「アメリカン・コーヒー」、「ニガブレンド」、「カゼブレンド」、「モカ」などの種類名、ブレンド名の出現が、布村浩一の詩における現代を如実に示しているとともに、作り出してもいるのだというべきなのだろう。それはすでに、「喫茶店」の系を伝って、九九年八月の『ラブ・レター』における「キリン淡麗〈生〉」や「バドワイザー」、「モルツ麦芽一〇〇パーセント」の出現までをも促しており、これを、「喫茶店」から「バー」への越境を描き出しつつの、総称から、より細分化された種別名への漸進、さらには普通名詞から固有名詞への分枝化であると見るべきなら、布村の世界は、まぎれもなく、八九年以来の新展開を迎えつつあるのである。
 もはや、

ぼくのいる場所を求めて
ぼくのための空いてい る場所はありますか

と「何軒」も「喫茶店」をたずねる布村浩一は存在していない。彼こそが「空いている場所」となったのであり、いまや、数かぎりない普通名詞や固有名詞が、そこへと流れ込み始めている。かつて彼が『ぼくのお城』の「あとがき」に書いたような「精神が折れた」経験、

全部駄目なんだ。ぼくは終わったんだ。
その時間が続いたあと分からなくなる。こんなことをしていたら自分が自分でなくなる。どこへ行ったら良いのか分からなくなる。連続しないとすればぼくは何者なんだ



という経験を余儀なくされた者たち、これから余儀なくされるであろう者たちも、年齢の差や時代を超えて、おそらく、布村浩一という、この「空いている場所」へと流れ込んでくるようになるだろう。詩人とは、まさしく、こうした「空いている場所」以外のなにものでもないのだが、実生活上の不如意や苦悩はともかくとしても、詩人としての布村が、いま、このうえなく恵まれた境位に到り着きつつあるのは、疑うべくもない。
                                    2000.1.24.

参考文献
*『布村浩一詩集』(潟xクトル、一九九〇年)
*『ぼくのお城(布村浩一第二詩集)』(昧爽社、一九九五年)
*詩誌『出来事』(布村浩一編集・発行、潟xクトル)第二号(一九九三年)より第五号(一九九六年)。
*詩誌『雨期』(須永紀子編集・発行、雨期編集部)第二七号(一九九六年)より第三四号(一九九九年)。
*詩誌『ブービー・トラップ』(清水鱗造編集・発行)第八号(一九九三年)より第二七号(一九九九年)。
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Masaki SURUGA
mailmasakis@bea.hi-ho.ne.jp駿河昌樹

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