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vol.16

豊田俊博遺稿詩集『彗星』より 10


約束



『生物』の戸張先生は怖い先生で、よく生徒の頬を打った。宿題を忘れると、
<わたしは宿題を忘れました>と書いた画用紙に紐を結んで、1週間首に掛
けさせた。学校の中だけではなく家の行き帰りもである。今から考えると少
しやりすぎているのではと思うが、当時は従うしかない中学生だった。一人、
反発する女子生徒がいたのを覚えている。智恵子抄を読んでいる。美しく大
人びた子だった。ともかくその戸張先生が、卒業が間近になった午後の理科
教室で皆に話された。「もし私が生きていたら、西暦二〇〇〇年の元日の朝
九時に、神田駅の改札口の前で会おう。こういう約束は案外忘れないものだ
よ」おっしゃる通り、白衣に太い黒縁の眼鏡のあの時の先生の姿が思い出さ
れる。それにしても二〇〇〇年とは、生きている確信もない遠い先のことだ
と思っていた。それが、あと一年もないところまで近づいている。
 中学時代で覚えているのは、バスケットボールのクラス対抗試合で自分の
前にこぼれたボールを思わず投げたら偶然に籠に入ってしまい、皆に頭を撫
でられたこと。友人にラブレターの代筆を頼まれて相手の女の子に渡したこ
と。その友人からビートルズの存在を知らされたこと、などだ。初めて聴い
た曲は、I should have known better で、今でも歌える。時間とは流れる
のでもなく、積もるのでもない。過去へも未来へも同時に広がっているもの
だ、と思っている。曲を思い浮かべるだけで、その時の空気や気持ちが蘇る。
 二〇〇〇年の元日の朝九時、私は神田駅へ行くだろうか、まだ決めていな
い。おそらくは皆は忘れているだろう。覚えているとしても、来るとは思え
ない。誰も来ない改札口の前に立ってみようか、と心が傾くのは、いつもの
私の感傷だ。
 しかし、私も知らなかったことだが、二十一世紀は二〇〇一年からだとい
う。戸張先生がご存命で約束を覚えていらしたら、少しがっかりされている
かもしれない。
 



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