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vol.16
「せきふじこ」執筆者紹介

<雨の木の下で>

tubu「一冊の詩集ができるまで」 (1)本の姿かたち tubu(2)読者を探して tubu(3)出版社はどこに?tubu(4)詩集自費出版体験 tubu(5)詩人に出会う
 

一冊の詩集ができるまで その3  関 富士子   2000.4.27

(6) 詩を選ぶ  tubu(7) 詩のテーマ tubu(8) 詩集のお値段

(6) 詩を選ぶ

   自費出版体験が第二詩集を出すまでで途中になるが、現在の詩集作りの経過に話を戻そう。
そんなわけでお正月に暇が出来たときに、書いたものを集めてコピーを取って読み返す作業を始めた。

 が、なぜだろう。自分の詩を読むのがとても苦痛である。書いて発表するまでは、もちろん何度も読み返して推敲する。ネットに載せた後もこっそりあちこち直しておいたりする。そのうち次の号を発行する時期が来て、あとはそちらに熱中するという調子で、今までまとめて読み返す作業をほとんどしなかった。

 今回は、詩集にする前に力が尽きたという思いが強く、そのあとの作業がついていかない。 2,3の人に相談すると、だれかに作品選びをしてもらったら、と言ってはくれるが、自分がやってあげるとは言わないのである。それはそうだ。わたしだって他人の生原稿を何十も読んで、作品を選べと言われたらちょっと勘弁してと断るだろう。勝手にこれはよい、あれは悪いなどと言えるだろうが、どうやったって満足ということはないのである。

 それならいっそ自分で納得の行くように選んでいくしかない。もちろん、出版社は決まっているのだから、編集者にすっかり任せてしまうという方法もある。あざみ書房のように店主が詩人で読み巧者という出版社はたくさんある。そうではなくても、実績のある詩書出版社は、作品の良し悪しを詩集を出す前に検討するのが当然だ。原稿があればなんでも出しますというわけではないのだ。そんな意味でも、自分で作品を客観的に読み直して、ある程度作品を絞ってから渡したほうがよいだろう。発表することも、作品を選んで編集して詩集にまとめることも、すべて自分で考えて自分でやっていく。詩の場合、最初のプロデューサーは詩人自身である。

 とはいっても、自分では作品の良し悪しがどうもよくわからないのが正直なところ。とりあえず詩のテーマやモチーフなどの傾向を見て、グループ分けをすることにした。 言葉遊びの詩は作り始めたばかりでまだまだ修業中ということで、初めから詩集に入れるつもりはなかった。残りのうちこれはちょっとひどすぎると思われるのを落として40篇ほど残った。ところがこの40篇が半端である。全部入れると200ページにもなる。そんな厚い詩集を作るお金はないし、(だいたい1ページあたり1000円が目安といわれる。)厚すぎる詩集はあまり喜ばれない。わたしとしては80ページぐらいのつもりでいた。そこでその40篇をさらに分類する作業をした。動物や植物などをモチーフにした詩、男が登場する恋愛詩の二つに分けてみたのである。



(7) 詩のテーマ


 そう、をインターネットに開設するとき、わたしは新しい希望を抱いていた。ネットで新しい読者を探すということである。 訪問客として、詩を読まない、あるいはほんの読みはじめ、書きはじめのの若い人を想定した。彼らに共感を持って読まれるように、言葉遊びを取り入れた軽いものから、わりとディープな現代詩まで、自然な感じで読み進めるように工夫をした。 実際に感想をくれるのは紙でおなじみの詩人たちが大半なのだが、それはそれでよい。そこで基本的なモチーフとしてコンスタントに書けたと思ったのが、いわゆる恋愛詩だった。

 恋愛詩というのは他のテーマに比べて書ける時期というものがある。季節限定品なのである。おおかたは若さにまかせて書くのだが、わたしは若いころまったく恋愛詩が書けなかった。正確には恋愛ができなかったというべきか。この人間関係のもっとも凝縮した状況では、社会的な男女の力学が明確に現れがちである。一時の甘い感情のあとは、独立した人間として生きていく上で、食うか食われるかの一騎討ちになる。これはわたしだけの問題ではない。たいていの女性はそのことに長く苦しんできたと思う。恋愛よりもその状況こそがわたしに詩を書かせたのだ。

 それでは今はというと、恋愛というかたちで一人の男と一騎討ちをするにはもはや体力がない。それよりも、気がつくと、わたしは詩そのものに恋焦がれているのだった。これは意図しない成り行きだった。恋愛詩を書いているとき、詩と男とはわたしにとって一体で、男への愛を書くことは詩への恋心を書くことだった。時間という不思議な流れが、わたしをそんなふうにしたのだろう。

 この2年間の集中した詩作は、自分にとっては大切な実りと思えた。詩の芽が出てすくすく育ち、それなりに花を咲かせて秋を迎え、実をつけるところまでたどり着いた。来るべき冬のためにその実を収穫したい。その収穫の方法として、わたしにはやはり紙での詩集のかたちがもっともふさわしいように思えた。来るべき冬とはつまりまじかに迫った老年のことだ。なぜ詩集を作るのか、それは、若さへの最後の未練を断ち切るためと言ってもいいかもしれない。

 そう考えて、わたしの第四詩集は生涯にただ一冊の恋愛詩集にしようという気持ちがさだまった。



一冊の詩集ができるまで その2  関 富士子   2000.4.20

(4)詩集自費出版体験 tubu(5)詩人に出会う

(4) 詩集自費出版体験

   おやおやこんなにたくさんのことを一気に尋ねられてもすぐには決められない。ああどうしよう、と戸惑いながら電話をしてみると今日ちょうど午後時間が空いているから、渋谷ででもどうですかというお言葉、さっそく第1回の打ち合わせとなった。フジトミ氏、相変わらずせっかちというか仕事の早い方である。

 ところで、このように、詩書出版社に信頼できる親しい知り合いがいればことは簡単なのだが、わたしだって初めからそういう人がいたわけではない。
 ネットの若い詩人で、詩集を出したい人の参考になるかもしれないので、自分の出版体験を書いておこう。

 わたしは今まで詩集を3冊出している。1年ほど前に、vol.10<雨の木の下で> tubu「中原中也賞」にも書いたのだが、一部を引用しておく。
「第一詩集は編集から印刷所の交渉から自分でなにもかもやって作った私家版である(1977年、30万円、活版刷り、ハードカバー、90P、500部)。誰に送ったらよいものやらわからず、郵送料もなくなって、半分は押入れの中に10年ほこりをかぶっていた。
第二詩集は藤富保男さんがボランティア同然でやっているあざみ書房で作ってもらった(1991年、64万円。活版刷り、ソフトカバー、80P、300部)。

第三詩集はやはりあざみ書房に持ち込んだのだが、藤富さんがいやいやと言って老舗の思潮社を紹介してくださった。有名出版社のほうが店へのルートもあるしいいのかと思ったが、書店には出まわらずあとのフォローもまったくなく、ほとんど反響がなくて正直なところあてが外れた(1994年、104万円、活版刷り、ソフトカバー、80P、400部)。
今は活版刷りにこだわる必要もなく、電算写植できれいで安い詩集を作ってくれる出版社がたくさんある。名前だけで出版社を選ばない方がいいだろう。」
 というわけで、処女詩集は「監獄馬車」が版元だが、これは友人の出していた個人詩誌の名前を借りただけ。原稿を知り合いの印刷所に直接持ち込んで作ってもらった私家版である。当時有名詩人の大勢いた同人誌「オルフェ」に所属していたから、同人のだれかに出版社を紹介してもらうことはできただろうが、それは気が進まなかった。まわりは偉い人ばかりで、まだ20代の若輩ものが詩集などおこがましいと言われそうな気がした。

 初めのころは、わたしは詩集というものがほとんど自費で出版されていることを知らなかった。自分のようなまるきりかけだしの素人は当然自費だろうが、詩人、評論家として名が知られたあの方この方、みなさん出版社からの依頼があり、れっきとした企画出版として作られるのだと思っていた。詩集でもうけるのは無理としても、当然原稿料をもらい、印税もしっかり入って、あのような質素ながら趣味のよい詩人生活をなさっているのだろう。

 しかしそれは大きな間違いだった。詩人賞をいくつももらっている澁澤孝輔氏も、新人としてはなばなしくデビューしたあの方はもちろん、みんなご自分のお金をそれも相当額工面して、詩集を出版しているのを知るのに時間はかからなかった。彼らの生活はまっとうなサラリーマン、多くは教師をして営まれているのであった。「オルフェ」主宰の藤原定氏も、最近亡くなった山室静氏も、全詩集や作品集数巻を出版なさったが、それらは生命保険の満期保険金を当てたものという。まあ、全集を出すほど元気に長生きできたことを喜ぶべきということか。詩集はどんな方のでも300部から多くて500部、賞でもとってかなり一般に知られればさらに300部増刷、そこでやっとわずかな印税という程度だろう。

 もちろん、詩集がたくさん売れればそんな話にはならないのである。谷川俊太郎がどのぐらい売れるか知らないが、彼は立派に詩集の印税で生活している日本で唯一の詩人ではあるまいか。いやいや、ある難解な詩を書くといわれる詩人が、相田みつおになりたい!と叫んでいるのを聞いたことがある。しかしわたしは、谷川俊太郎ぐらい売れてもいいぞと思うよい詩人を何人も知っている。いつだったか、ちょっとした谷川俊太郎批判の文章(<IMG border="0" width="16" height="18">詩人が落ちる穴(谷川俊太郎『朝のリレー』を読むvol.3)を書いたことがあるが、ある俊太郎ファンにひどく怒られた。こちらは何が何やらわからなかった。そんなに俊太郎ばかり読んでいないで、もっといろいろ、たくさんのいい詩を発見してほしいね。

 わたしはフリーの編集者で、学校に納入したり、塾で使ったりする学習参考書の原稿を書いて生活しているが、この出版部数は数千から万単位だろう。これは著作権は会社にあって、わたしは1ページあたりいくらのギャラをもらう。出版業界の底辺といわれる低賃金である。それでも一日8時間働いて、自分の生活費はもちろん、ちょっとした楽しみや子供への小遣い、それにいつか詩集を出す日を夢見てわずかな蓄えをするぐらいの稼ぎはある。学習参考書など受験地獄時代の遺物のようなもの、なければせいせいするごみのようなものである。
 しかし、そのごみは一冊の詩集よりもこの世の中に必要とされている。それだけ売れるからわたしはギャラをもらえるのである。
 わたしは詩を書いてギャラをもらいたい。それは思って当然のことだが、現実にわたしの詩もあの方の詩もこの方の詩も、ギャラがはいるほどに売れたことはいまだかつてないのである。

 さて、思わず興奮したが、自分の話に戻ると、第一詩集『螺旋の周辺』の場合、詩集に入れる絵も友人に頼み、デザインも編集も全部自分で行った。当時は出版社で編集の仕事をしていたから、事務的な作業はだいたいわかっていたが、ただやはり原稿を選ぶ段階で、あまり客観的な見方はできなかったように思う。若気の至りとも言える欠点だらけの詩集だが、思いきって出しておいてわたしにとっては良かった。あそこで出さなかったらきっとすっかり捨てていただろう。

 その後、第二詩集を出すきっかけを作ってくれたのが藤富保男さんだ。処女詩集を出した後、詩を読むのも書くのもしなかった時期が十年ほどあって、まったく一から出直そうと思って再び書き始めたが、どのように書いていったらよいのか迷いに迷った。

 以前入っていた「オルフェ」に舞い戻ったり、商業詩誌に投稿してみたり、同時期に出発して活躍を続け、今はすっかり有名になった同世代の詩人に手紙を書いて、その詩誌に書かせてもらったりしたが、どれもなにかしっくり来なかった。


(5) 詩人に出会う

 ある日、途方に暮れた気持ちで、机の隅っこから、十数年も前の処女詩集にいただいた返事の、古ぼけた葉書を引っ張り出して眺めていた。その中に藤富保男さんの葉書があった。わたしはそれをまじまじと見た。彼の文と筆跡は他のだれとも似ていなかった。それはこんな文面だった。
「11.5.77 大変痛快な詩でぼくは近来になく腰の付近が振動するように感動しました。「螺旋の周辺」ありがとうございました。あなたはどこかおかしい。それがぼくをゆさぶります。愉快。藤富保男」
 このはがきを読んで、わたしはこの人だ!と思った。作品は現代詩文庫で読んでいたぐらいだが、彼の詩こそ痛快で愉快で横隔膜を揺さぶるものだった。わたしはずっと、詩で人を笑わせたいと思っていたのである。そこでさっそく彼に手紙を書き、書き溜めた原稿を送った。そのときわたしは当時の気持ちに正直に、今途方に暮れていると書いた。すると電光石火の返事が届いた。
例のまるっこい愉快な字で、@、A、Bと番号がふってあって、 というのである。わたしはすっかり驚いてしまった。彼が出版社を経営していることも知らず、guiという同人誌がどんなものかも知らなかった。そこで、@Aはともかく、Bの勉強会には出られそうですのでお伺いしますと返事をした。それから10年、月1回、わたしはその勉強会に通っている。
 彼と知り合ったのはわたしの一生の宝である。詩を書いてさえいれば、そんな出会いがきっとあるはずだ。



一冊の詩集ができるまで その1  関 富士子   2000.4.13

(1)本の姿かたち (2)読者を探して (3)出版社はどこに?
  (1) 本の姿かたち

  book bar 4の四釜裕子さんが、紙版no.1-5までを手作りの本にしてくださった。
plastic bookで見られます。

 四釜裕子さんは詩誌guiの同人だが、異才奇才鬼才天才ぞろいのguiのメンバー(わたしだけ平凡でguiらしくないと内外から言われていますけど)の中で、彼女は、webのテクニックを手中にした今もっとも新しい才能である。どこを開けてもびっくり箱みたいな4kamaさんの「book bar 4」。あこがれるなあ。

 そんな新しい表現の探求もおもしろいが、パピルスの時代から発達してきた紙の本というものの姿かたちは、これはこれでとても美しい。マットな青の表紙にきれいなしずくがはめ込まれている。すてきだなあ。かっこいい。 A3判の紙を折りたたんだだけの粗末な詩誌を、すばらしい本に生れ変わらせてくれた。世界にたった一つしかない本である。まだネットでしか見ていないが、ためいきをついている。早く手に取って見てみたい。わくわく。

 四釜さんは hand book bindingをなさる方で、ほかにもいろいろな本を自分の好みの装丁で美しい本に仕上げている。興味のある方は、詳しい造り方など、写真や図入りの説明があるので出かけてみてください。

(2) 読者を探して

 実は数か月前から、そろそろ新しい詩集をと考えていた。
 インターネットを中心に詩作品を発表している詩人にとって、詩集を出版するということにはどんな意味があるのだろう。
 ネットにHPを作ろうと思いたったとき、考えたものだ。これからは、月1500円の接続料を払えば、いくらでも自分の書いたものを発表する場所ができる。いるのかどうかわからないが、もしだれかがわたしの書いたものを読みたいと思ったら、自由にその場所を訪れて、いつでも作品を読んでもらうことができるのだ。

 なんてすてきなことだろう。そう、自分の書いた詩を郵送料を払って送りつけ、忙しい人に迷惑をかけ、おまけに暗黙のうちに感想を強要する最低な手段で読んでもらうしか方法がない紙なんかくそくらえ。わたしはあたらしい究極の手段を手に入れるのだ。

 と思ったのだったかどうかよくおぼえていないが、ともかくなにか希望を抱いてインターネットに詩のサイトを開き、そこに載せる詩や文章を夢中で書いていたら2年半も経ってしまった。

 去年の暮れ。12月30日の15号発行に合わせて必死で詩「冬の庭師」を書き、なんとかアップしてやれやれ、これでなんとか正月を迎えられるとほっとしたとき、頭の中でからからと音がした。風の吹くようなすうすうする感じもする。そう、もうすっからかん、揺さぶっても絞っても蹴飛ばしても、もうわたしの中には何もない。終わった、という感覚である。

 こんな気持ちは今までも何度か味わったことがある。たいていは詩集を出したあとだった。二度と詩は書けないかもしれない不安と、何も言葉が出てこないひどい虚脱状態が1年ぐらい続いて、それは苦しいものだ。書けなければ書かなければいいのだが、そう割り切れるものでもない。

 を隔月で発行し始めてからの2年半、毎号書けない苦しみはあるのだが、締めきり近くなるとなぜだかなんとかかんとか言葉が出てきて、それなりの形になるのである。その幸福が、去年の暮れの「冬の庭師」でついに終わったのである。

 そろそろ詩集の作りどきかな、とちらと思った。前の詩集を出して6年が経つ。作品はざっと60篇以上はあるだろう。3分の2以上はを始めてから書いたもので、その前は、年に3回発行の同人誌に書くのがやっとだったのだ。の発行とその読者がわたしにどんなに励ましを与えたかわかるだろう。

   詩人の中には毎年のように詩集を刊行する人もいるし、まあ3年に一冊ぐらいが当たり前の昨今である。6年も間があくのはよくないという人もいるが、そのあいだちゃんと書いていたのだから別に問題ない。それよりも、新天地を求めてネットに進出したのに、また性懲りもなくお金をかけてだれも読まない詩集を作るのかと逡巡することしきりだった。

(3) 出版社はどこに?

 詩集を出すとしたら、依頼する出版社はすでに決めていた。毎月詩の勉強会でお世話になっている藤富保男さんが、あざみ書房という小さな出版社を営んでいる。といっても、ボランティア同然で趣味といっては失礼だが、彼の好みの本を好みのやり方で作っているところ。もちろん社員もいない。第二詩集もあざみ書房で作ってもらって、様子はわかっている。

 新しい詩集、お願いしますと、何かのついでに電話で伝えると、藤富さんはいつでもお待ちしていますと答えてくださった。これでなんとなく安心して、しばらくほおっておいて、ようやく作品選びを始めたのは3月に入ってからだった。
 いろいろ悩んでようやく作品を決めて、それをプリントアウトして藤富さんに送った。わたしとしては、こんなものですがちょっと見ていただけますか、という感じだった。すると電光石火のごとく次のような返事が届いた。



 関富士子様  4月5日

 本日、御稿お預かりしました。今ペラリ、ペラリと拝見。内容の充実した詩集になりますね。たのしみです。いくつかお尋ねしたいことがあります。

1 本のサイズは? あるいは見本になる本(例えばご自身の本でも他の人のものでもいいですが)
2 本扉か表紙(あるいはジャケット)に図柄が入るのでしょうか。入っても入らなくても墨一色でいいですか。墨一色でアミ掛けで濃淡出しましょうか。
3 函は不要ですか。もしなければビニール・カバーですか。セロファンでしょうか。
4 帯をつけるなら、その文章はどなたかに書いてもらうのでしょうか。ぼくが書くのでしょうか。あるいは不要か。 5 綴じはムセンより糸かがりが少しねだんが張りますが、やはり糸かがりでしょうね。
6 箔押しを表紙などにしますか。
7 本文用紙はクリーム系ですか白系の用紙ですか。
8 あとがきは、追ってお書きになるんでしょうね。
9 奥付の上か別のところに著作一覧のような略歴を入れるのでしょうか。
10 はやく本が出来るにこしたことはありませんが、納期、特別に考えていらっしゃいますか。
11 奥付に御自身の住所入れますか。
12 謹呈用紙の方に住所を入れることにしますか。
13 部数をきめるのに、寄贈A冊、知己、友人B冊、委託などで置いてもらう、はじめ3冊ぐらい池袋ぱろうる、はじめ5冊ぐらいか10冊を地方小出版へ計C冊、そして自分がもっている分D冊
A+B+C+D=合計の部数ですが、現在どのようにお考えですか。
14 思潮社のように営業でやっておられるところは、頭から・・・円と言いますが、ぼくのは営業でないし、広告を出すわけではありませんので、関さんの方の予算で印刷、製本、紙などを杉谷さんという友人に尋ねつつやります。念のため費用が必要なのは、
A いとう企画での組版(杉谷さんが京成社を定年でおやめになりました)
B 印刷、製本
(AB すべて、いとう企画と杉谷さんがやってくれます。)
C 編集と連絡  ぼくがやります。ABの一割。
D 寄贈用の発送の代金、封筒も含む。
E 謝礼 杉谷さんに5000円ぐらい。
 このうち発送を宅急便でやるか、郵便局かでぐっと値段がちがいます。これはいずれお話します。
 もし諸項目手紙で御面倒なら、渋谷にでも出かけますから、ゆっくりお話を。   藤富保男

 

詩集作りの顛末を逐一で報告します。お楽しみに。

vol.17 tubu(8) 詩集のお値段
tubu<雨の木の下で>少年の経歴(関富士子)
<雨の木の下で>事件の発生と概要(三井喬子)
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