
vol.16
豊田俊博(とよだとしひろ)執筆者紹介
一枚のレコード
彗星
一枚のレコード
あいつの十八歳の誕生日に
おれの手許を離れた一枚のレコード
今でも彼女の部屋の片すみで
痛い針に悲鳴をあげながら
回りつづけているだろうか
ABBY ROAD
ロンドンの古い並木道を
四人の無垢な男たちが
一列にまたぎ越してゆく
覚えているかい
キスしようとして君の鼻先で
くしゃみをしたおれだよ
不意の出来事が
おれの心臓を止めても
悲しんではくれないよな
繰り返される HERE COMES THE SUN
君の中でおれは死んでいるのに
回り続ける一枚の世界
1985.10
<詩>彗星(豊田俊博)へ
<詩>「歴史の風土(6)レモン」(三井喬子)へ
<詩>モクセイの木(関富士子)へ
彗星
七十六年の周期でハレー彗星が帰ってくる。
かつては不吉の前兆とされたこの惑星は、巨大な水の塊で、それが太陽風を突
き抜ける時長いプラズマの尾を引くのだ。
科学が証明する事実の前に、わたしは沈黙するのみである。迷信のごとき新た
な不安に耐えながら。
宇宙は光速で広がりつづけているという。
ならば、太陽と擦過し、抛物線に自らの軌道を完結する、天体の運行の意味す
るところは何であるのか。
家族が寝静まるのを待ち、一人屋根に登り、満天の星々に貫かれながら、空が
白みゆくまで瞳を見開いていた十五歳の少年時、あの夏の一夜ほど烈しく人生
を肯定したことはなかった。
私もまた帰るであろう。未知の軌道を魂の赴くままに、純粋な光に生れ変わる
まで。
1985.5
<詩>記録(豊田俊博遺稿詩集『彗星』より)へ
<詩>一枚のレコード(豊田俊博遺稿詩集『彗星』より)へ