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vol.16
「みついたかこ」執筆者紹介
「歴史の風土」(1)かまど (2) 食卓 (3)浜辺の祀り (4)人生とは (5)ギンガム格子 (6)レモン
歴史の風土
(1) かまど
二つ。 |
ならんだ火床の かまどの痕跡 |
楕円形の。 |
晴天の渇きが露出させる |
(遠い)異国 |
光は理不尽な客である |
と 旧い本はいった。 |
|
クリークには舟影も途絶えたまま。 |
丘の上の |
白い家の、 |
窓辺にひるがえる |
ギンガム格子のカーテンの、 |
晴天の、 |
ものうい若い妻 |
冷たい水を飲む |
三度も飲む。 |
苦しいからまた飲む |
ときにはうすい砂糖水を。 |
レモンをすこし滴らせて。 |
かすかな油分がひろがる |
その |
輪。 |
|
消えて行く記憶は |
苦い香りがすることもある。 |
調査隊はかまどの痕跡を発掘したが |
焦げた臭いは見つけられなかった。 |
丘の上の白い家の |
ギンガム格子は青く、 |
若い妻は |
レモンをたらした |
うすい砂糖水が好き。 |
(2) 食卓
定住していたとは思えないと、白髪の講師 |
はいった。水汲みや食器に用いられたであろ |
う陶器の、いかなる破片も出土しなかった。 |
貝殻の堆積、魚の骨。それでも陶片は見つか |
らなかった。 |
|
かまどの痕跡において、火床が二つである |
理由を推測すれば、調理時に同時に二つの鍋 |
を使用する生活が浮かびあがってくる。それ |
は、シチューとフライが食卓に並びうる豊か |
な暮し、ということだろう。わたしは、学生 |
アパートの狭いキッチンを思い出した。お茶 |
とチャーハンの優先順位は、ちょっとした問 |
題なのだった。 |
|
貴人や海賊の天幕があってさ、とスープで |
汚れた顎ひげまで類想した。 |
夫はつまらなさそうに視線を泳がせた。つ |
まらないのはわたしの方なのに、どうしてそ |
んな目をするのよ。シチューだけで何が悪い |
の。わたしだって忙しかった…わけではない |
ので、もっとつまらなかった。 |
そうよ、お肉と野菜を別なお皿に盛れば、 |
二品になるわ。…シチューはつらい。煮込ん |
だせいではないのだから。 |
|
煮込んだせいではないのだが、うんざりす |
るアブラ臭さ。窓のカーテンが揺れている。 |
明日も同じような一日になる、そうなのね。 |
やっぱり、そうなのね。 |
明るい青空と、長い長い午後。待っている |
だけの、ずうっと待っているだけの、わたし |
の吐き気。 |
静かで、清潔な、わたしたちの家。 |
<詩>「歴史の風土(3)浜辺の祀り」(三井喬子)へ
<詩>四月の茄子(三井喬子)へ
<詩>モクセイの木(関富士子)へ
(3) 浜辺の祀り
今はもうないよ。嗄れ声の男がそういった。 |
今はもうないよ。いつだったかここは改装され |
て、石も砂もみんな均してしまった。だから、 |
有るといえば有って無いといえば無い。人生と |
はそういうものさ。といった。 |
|
波の音が猛々しい夏の終わりの浜辺で、少年 |
がいなくなった。探しに探したが、足跡もなく |
衣服の切れ端もなく、命終わるとはこのような |
ことかと、みんなで黒い服を着て歌を歌った。 |
安らかにお眠り下さい、…とはいえなかった。 |
|
嗄れ声の男がいう人生とは、遠い異国に拉致 |
されて、つくりかえられる記憶のようなものだ |
ろうか。地下室で浄化される液体のようなもの |
だろうか。納得したとは言い難く別れて、黒い |
服を脱いだ。 |
ほんとうに無くなってしまったのだろうか、 |
「それ」と、「あれ」。 |
無くなるのだろうか、「これ」。 |
|
波が運んでいたものは、おなじメゾソプラノ |
の声、だった。あの声は、もう帰る身体がない |
から眠れないのだ。眠りは在ることの一つの |
様態だと、わたしは思う。在らぬ身体が、ど |
うして眠れるというのだろうか。 |
在らぬ、そう、在らぬ傷痍には、いかなる |
治癒も望めないのだ。と、痛みつつあるもの |
に不意に紛れ込む、小さな物語。 |
あなたは痛くないか。あなたは、痛くない |
のか。 |
『イミタチオ』 第34号掲載 金沢近代文芸研究会 平成12年1月31日発行
<詩>「歴史の風土(4)人生とは」へ
<詩>「歴史の風土(2)食卓」へ
(4) 人生とは
人生とはそういうものさ。と嗄れ声の男は |
いった。そして、それほど分かったふうでも |
なく、煙草をくちゃくちゃにして立ち上がっ |
た。 |
|
人生とはそんなふうなものか。黄砂が風景 |
をセピア色にしたその日、もういい、と思っ |
た。切開された腹が人体解剖図のとおりだっ |
たかどうか、わたし自身には分からないが、 |
それでもそれは、秘密に属することではなく |
なった。光は、理不尽にも、内部を明らめた |
のだ。もうどうでもいいと思って、調書に署 |
名した。 |
|
人生とはそんなものよ。と、友達だった女 |
にいった。精一杯の皮肉は通じず、彼女は傷 |
の具合をルーペで調べるのだった。 |
そんなものだとわたしは思う。遠景はかす |
んでしまって、太陽はもはや生命のない円盤 |
だ。イメージは生命を生起させるだろうか。 |
明日になれば、太陽は再び輝くだろうか。 |
|
欲しけりゃあげるわよ。と友達だった女は |
いって、西の空にはしごをかけた。苦もなく |
日輪をはずすと、ぽいと投げてよこした。卑 |
屈さに胸を高鳴らせながら、急いで手を出し |
た。傷口が、ぱっかり開いて、世界は真っ赤 |
になった。ああ、夕焼けだ…、嗄れ声の男の |
すった煙草が、人生を焦げ臭くさせている。 |
<詩>「歴史の風土(5)ギンガム格子」へ
<詩>「歴史の風土(3)浜辺の祀り」へ
(5)ギンガム格子
青 鳥 青 花 青 蝶 青 春 青 |
淡 青 冷 青 湿 青 弱 青 寂 |
青 夢 青 恋 青 望 青 真 青 |
失 青 悲 青 憂 青 鬱 青 黴 |
青 希 青 信 青 友 青 和 青 |
変 青 性 青 罪 青 怯 青 冥 |
青 空 青 海 青 知 青 癒 青 |
藻 青 魔 青 死 青 喪 青 闇 |
青 愛 青 円 青 聖 青 鐘 青 |
<詩>「歴史の風土(6)レモン」へ
<詩>「歴史の風土(4)人生とは」へ
(6) レモン
わたしの「死」は |
ほんとうに わたしのものだろうか |
わたしが死ぬことが |
だれかも死ぬことになる |
そんなことも ある |
と わたしは思う |
|
わたしの身体の奥深く |
喜びや悲しみや怒りを わたしと |
時間や広がりや厚みを わたしと |
共有している あなたの |
その「死」は |
あなただけのものであろうか |
わたしに含まれる あなた |
未来という あなた |
過去がわたしの一部分であるように |
あなたもわたしの一部分である |
レモンレモン レモン |
受胎の光は 未分のわたしたちを引き裂いて |
わたしたちがわたしたちである日々から |
記憶を食らい |
意味を抹消し |
あなたがわたしたちであることを失わしめる |
|
クリークの水面は |
半ばは暗く 半ばは輝いている |
船着場には鳥たちがざわめき |
ああ 誰も彼もが帰る時刻だ |
カーテンを揺らし |
さわやかに往くものよ |
歴史の風土は |
ときに吐き気をもよおすにおいがする |
さようなら という声すらなかったが |
若い妻は |
レモンが好き |
<詩>「一枚のレコード」(豊田俊博遺稿詩集『彗星』より)へ
<詩>「歴史の風土(5)ギンガム格子」へ