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vol.17
「布村浩一」執筆者紹介
 

<雨の木の下で>


 喫茶店に行く  2000.7.20  布村浩一

 喫茶店によく行く。居心地がいいのだろう。自分にとって「外」と出会っている世界になるのか、「内」の延長になるのか、よく分からない。たぶん人と会わなくてもいい外なのだ。外を感じさせない外なのだ。

 いまよく行っているのが、ドトールコーヒーというコーヒーショップで、昔のタイプの喫茶店ではなく、セルフサービスの喫茶店だ。180円でブレンドコーヒーが飲める。これがけっこうおいしいコーヒーで、通うようになったのはこの案外おいしいコーヒーのためもある。

 店内は書き物禁止ということになっているが、ノートや本を広げている人はいっぱいいるし、誰も気にしていないようだ。ぼくも必ずといっていいほど、テーブルの上に無地の紙をだして詩を書いたり、雑誌や本を読んだりする。ここのところ詩の原形は喫茶店で書きあげ、ある程度書きあげたところで、ワープロに打ち、推敲を重ねながら、書き直していくというやり方だ。

 二階以外は喫煙禁止ということなので、当然二階に行く。コーヒーを前に煙草を吸いながら、とても広い窓の外を見ていると、外に出てきていながら緊張していない自分を感じる。ゆったりとしているのがわかる。

 内気で、優柔不断で、消極的でというままここまできてしまった。この資質は奥深いところでぼくの生を決めていったような気がする。どうにもならなかったとも思うし、変えていかなければとも思う。まだ世の中に居場所というものをつくれないぼくには、ここでのゆったりとした肯定的な時間というものは貴重なものなんだ。

布村浩一 mailkoochann@mvd.biglobe.ne.jp




コパ・トーンのライブ 吉祥寺・MANDA−RA2 2000.7.12  布村浩一

 5月25日、5時に仕事が終わる。今日は3人組のバンド、コパ・トーンのライブがある日だ。仕事が終わった後なので、身体にエネルギーが満ちているとはいえないが、曲を聴きたいという体力も気力もある。
 いつもより多めに夕食をとって、歯をみがき、バッグに財布とコパ・トーンの金髪のベーシストおんな、コミーから送ってもらった、吉祥寺のライブハウスMANDA−RA2の地図が載っているハガキを入れる。

 晴れている空の駅までの道。時間を調整するためにドトール・コーヒーという喫茶店に入る。180円のブレンドコーヒーを持って、2階の煙草の吸える席まで行く。7時すこし前だ、空にはまだ明るさがある。今日は晴れた一日だった。1時間あれば、道に迷うことを考えても、MANDA−RA2に行けるはずだ。

 コーヒーを全部飲んで、ドトール・コーヒーを出る。国立(くにたち)駅前の東西書店で、地図をさがしてもう一度MANDA−RA2の場所を確認する。これで大丈夫のはずだ。
 電車をながめていたら、中央線の上がりはすいていた。下りもギュウギュウ詰めというわけではなかった。国立駅のホームに立つと目の前に高いマンションが建っていた。この高いマンションのことは、テレビでも話題になっていたことがある。見上げると首が直角になるようなでかいマンションで、最上階なら国立の街のすべてを見渡すことができるだろう。

 電車のなかで座りながら、中央線の上がりに乗るのは久しぶりだなと思う。吉祥寺に着いたのが、7時45分過ぎ、南口を出て、まっすぐMANDA−RA2に向かう。5分ほどでMANDA−RA2の入り口が見えてきた。入り口の階段に金髪ではない茶髪のコミーが座って煙草を吸っていた。「前のバンドが大所帯だから、私たちの出番は遅れると思う」。無愛想なコミー、でも目にはきついところはない。

 階段を下りていくと、にぎやかな音、5人編成のジャズバンドだ。真ん中に立つサックスの音が心地よい。軽快だ。
 店の中には50人ほどがいる、満席。学生かフリーターらしき人たち、ネクタイを締めているサラリーマン風の男もいる。

 座れそうもないので、人のあいだに割り込んで、立ちながら聴いた。いい感じになってくる。9時近くまでジャズの演奏が続いた。ジャズの連中が引き上げた後、しばらくしてマディ、チェルシー、コミーの三人が出てくる。三人とも無愛想で、黙々とセッティングを始める。やせた二人の男と無愛想な一人の女という感じ。舞台のライトは落ちており、客席はざわついている。カウンターに行ってビールを注文する。そして、1曲目がスタートする、曲の名は分からない。

 日本語のポップロックバンド、英語はほとんど使わないバンドだ。コパ・トーンのライブを見るのは二度目、去年の12月のライブはやはりここMANDA−RA2で見た。悪くないと思った。もう一度聴きに来てもいいと思っていた。ボーカルとギターのマディ、ギターのチェルシー、ベースのコミー、20代後半から30代前半の連中、三人だけだが音に厚みがある。

    
         だらしない世の中に だらしなく横たわる
        錆びついたこの金属の匂い
        こみ上げる吐き気と眩暈(めまい)に立ち尽くす

        眠れない毎日に 街をさまよいキミを探す
        カラカラに乾いた眼球に
        一滴の潤いを与えておくれ


  「東京天使」より  作詞 小見山玲子  作曲 川嶋 弘(ひろむ)
 何曲か聴いていると「ぼくたちの少し憂うつな」心象風景が響いてくる。東京に暮らしている、あんまり楽しくはない「ぼくたちの少し憂うつな日々」、異和感は感じない。
 「恋の歌」は少ない印象がある、「世の中」のことを歌ったりする。しかしコパ・トーンは親しみやすくて、分かりやすい日本語ポップロックバンドだ。詞がわるくないので、しらけない。それでコパ・トーンを聴きに来る気になるんだろう。

 よく見るとベースのコミーはハダシだ。ビールをラッパ飲みしている。居酒屋で靴 を忘れてきたらしい。景気のいい曲を始めた。

         
         のんだくれてもいいだろ よっぱらてもいいだろ
        ぶっつぶれてもいいだろ 記憶とんでもいいだろ
        男前だろ

        脂肪無くてもいいだろ クールに決めていいだろ
        ぶっこわれてもいいだろ 林家ぺーじゃねえだろ
        Hey Baby 男前だろ


  「男前!」より  作詞 川嶋弘・小見山玲子・渡辺真  作曲 川嶋弘

 12〜13曲ほどのステージ。似たような曲が続いたという感じはあるが、チェルシー のくっきりした線のギターとわるくない詞を聴いた。繊細な暗さも聴いた。
 そしてアンコールは、
   恋の行方は ありふれた物語のページの中には 見つからなくて
   広げた本は 机に置き去りのまま いつもの店で 2杯目のコーヒーを
   いつものように坂をくだって いつもの角で右に曲がって
   いつもの店であの娘に会う そんな午後


  「二杯目のコーヒー」より  作詞・作曲 川嶋 弘
 外に出ると夜も疲れ始めているという明かりの澱みだった。何か食べて帰ろうと思 う。それから今日の二杯目のビールでも飲もうか。今日はもうほとんど終わった。

*コパ・トーンは週1回程度(大体金曜日21:30に)、新宿歌舞伎町コマ劇場前でストリー トライブを行なっている。
*コパ・トーンのホームページ 
http://www.skyblue.ne.jp/~comy/
    布村浩一


「雨の塔」をみていた    2000.6.28    布村浩一

 地下鉄半蔵門線を使って、薄曇りの水天宮前駅に着いたのは、夕方5時少し前、さびしい街だと思った。人通りが少ない。店の数が少ない。とりあえず劇団第七病棟が芝居をする場所を確認しておこうと思って、公演場所に向かったがみつからない。いつものように逆の方向へ歩いたのだ。15分ほどウロウロして、公演場所の古い倉庫をみつけた。

 受付でチケットを交換したあと、開場まで時間があった。1時間以上ある。何か食べようと思って街を歩くが、食べ物屋がまるでない。やっと1軒みつけたのが喜多方ラーメンの店、ここでいいと思ってはいった。「喜多方」はチャーシューメンがおいしかったはずだとチャーシューメンを注文した。期待したが、トイレかどこかから流れてくる芳香剤の匂いとチャーシューメンの匂いがまじり、異様な味となった。

 受付でチケットを新しいものと交換したが、それは第七病棟の公演が1ヶ月延期になったからだ。ぼくが持っていたのは、4月9日のチケット。そして今日の5月14日のチケットと交換したわけだ。公演が1ヶ月の延期になったのは、この劇団の看板女優である緑魔子がけがをしてしまったからだ。右手首を骨折したらしい。

 6時30分から開場で、6時ちょっと過ぎに劇場に行く。劇場になっているのはとても古い倉庫で、あきらかに相当前から使っていない。その古い倉庫は二つ並んで建っていた。緑魔子を大きく描きこんだペンキ塗りの看板が、建物の入り口にかかっている。昔の映画館の看板のようだ。

 「雨の塔」は緑魔子と石橋蓮司が中心メンバーの劇団第七病棟の5年振りの公演だ。前回は「人さらい」という浅草橋の廃校になった学校を使ったものだった。観に行ったのは冬だったと思う。冬に近い日だったと思う。「人さらい」の時は校舎のなかを使っていたから、舞台も広かった。観客席にいると広い遠い舞台だと感じたが、今回の「雨の塔」は、せまく、小さく舞台を作ってある。演出は「石橋蓮司と第七病棟演出部」となっている。   

 舞台の感じからして、第七病棟のほとんどの作を書いている唐十郎の劇団唐組の舞台美術を思い出したが、それとは少し雰囲気がちがうようだ。今度の「雨の塔」も唐十郎が作を書いている。

 スーパーマーケットの店員である緑魔子がまず登場。カツラをつけたスーパーマーケットの責任者らしき男とのやりとりから始まる。緑魔子は何歳なのだろうと思った。30歳台にも40歳台にも60歳をすぎているようにもみえる。妖しげな少女という感じだ。

 しばらくして出てくる石橋蓮司は「雨屋」と呼ばれる。うさんくささと汚れを身体いっぱいに匂わせる。石橋蓮司のはいているズボンに目がいく。ずっとはいていて、足と同じ形になってしまったズボン、寝ている時も、起きている時もずっとはいているために足の一部になってしまったズボン。このズボンが石橋蓮司の演じる「雨屋」の象徴なのだと思った。

 唐十郎の紡ぎ出すセリフを追いかけても、物語の核のようなものにたどりつくわけではない。意味をさぐろうと思っても無駄なのだ。それは唐組の芝居でさんざん体験した。今度も同じだろう。ただセリフを受け入れていけばいい。

 時代の中心に向かおうとしている、男と女の物語ではなく、時代の周辺にいる男と女の物語だと思った。緑魔子の「五月(さつき)」がハトに通信文をつけて飛ばす。それを「雨屋」の石橋蓮司が読んだ。

 ロマンスの生まれないところで、ロマンスを生もうとする男と女。ふたりは、恋のかたちをとろうとしながら、ふたりの生み出すべき関係のまわりを、ふたりが近づいていける関係のまわりをらせん状にまわる。

 何よりも石橋蓮司のたたずまいがすばらしい。60年代、70年代、80年代、90年代と生き抜いてきた、その時代をくぐりぬけてきた石橋蓮司の身体がそこにあり、その身体のかもしだす、汚れ、おかしさ、痛み、哀れ、おもしろさが石橋蓮司の演技から霧のようにたちのぼる。何かがしみついてしまった身体をもういちど虚構へ投げ上げながら、「痛んでいるけれども関係を生み出そうとする」男と女の必死さと切なさを確かにつたえる。

 舞台あいさつの後、実生活の長年のパートナー同志でもある緑魔子と石橋蓮司が舞台にふたりして立って、寄り添いながらこちらをみつめた、そのふたりのたたずまいをみていると、熱くなるものがあった。

 「雨屋」の石橋蓮司の最後のセリフ、「五月」との関係をつくりだそうとして、つくりだせなかった「雨屋」の最後のセリフ、
 「雨はここまでだったな、線引きはここまでだったな」という言葉はそのまま客席のぼくのところへ届いてきたのだ。 


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