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vol.20
<詩を読む>
 

枝川里恵詩集『金木犀の焔』を読む

桐田 真輔

 著者の枝川里恵さんが実際に好んで絵を描く人なのかどうか知らない。けれど枝川さんの詩集『金木犀の焔』を読んで感じるのは、絵画についての深い関心や興味のようなものだ。そのことは「カンヴァス」「ルネ・マグリットの空」「白い絵」「額縁に入った ある一枚のサム・フランシスの絵の中へ」といった収録作品のタイトルをあげてみても分かると思う。

 枝川さんの詩の中では、過去の記憶の時間が大きな位置をしめている。詩が書き出されると、なにかのさわりのようなものがあって、過去の思い出が浮かんでくる。けれどその思い出は、多くの場合、現在のなかに明確な輪郭や意味的な関連をもって置き直されるということはない。それは湛えられていた水が堰から細く溢れるように、ささやかな個人的な夢や記憶の断片という感じで、そっと現在に紛れ込むように現れるが、ある種の力が働いて語りが抑制されてしまう。過去は絵筆で溶き合わされるように現在と混在させられ、それが作者にとって意味深い出来事を象徴するような記憶の導入部だったのか、偶然浮かんだとりとめのない過去の記憶の断片だったのか、読者には知らされない。その暗示とも韜晦とも見える手際の鮮やかさが、ひとつのスタイルになっている。

 このスタイルが、作者にとってひとつの必然のように感じられるところで、たぶん読者は枝川さんの詩の心にであうのだと思う。幾つかの作品に見られるように、絵画の情景と現実の情景を重ね合わせることで、心象を描くこと。そうすることが、ときに苦しげな印象を与えることは確かだ。なぜならこの作者は語りたいことが沢山あるのに、それを語らないという手法のなかで思いを表現する方法を自らに課しているように思えるからだ。これを絵を描くことになぞらえていえば、単色からなる抽象的な構成のなかに、多彩で具象的な記憶の形象を塗り込めたい、というような方法意識に似ているといえるだろうか。

 でもこの方法が、たぶんある種の絵画にとっての勝利であると同じように、この詩の作者にとっての勝利であることは疑いない。そこには具象的な詩の方法では得られることのない、また別の幸福を読みとることが出来るからだ。聖母を描いた絵画のなかの「柘榴」の実に、「復活」というイコノロジー的な意味あいをを見いだすことの喜びに似て、作者の記憶のなかから浮かびでてきた「金木犀の焔」もまた、そこにこめられた幸福な思い出と共に「永遠の瞬き」を繰り返す。それは記憶と現在がともすればせめぎあうような繊細な心の場所で見いだされた、ひともとの輝かしい詩の領土であるに違いない。

枝川里恵詩集『金木犀の焔』(2001年5月30日初版発行・書肆山田

 
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