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vol.20

<雨の木の下で>

ロマンチストとモダニスト 2001.5.23 中上 哲夫

 詩について書くとき、パウンドやエリオットの文章を引用することが多い。かれらほど詩に対する関心が強い詩人たちも少なく、詩について実によく発言し、書いたからさ。ポーやイエーツにも詩論はあるけれども、ロマンチストたちの関心はもっぱら自分の書く詩にあって、かれらにとって詩論は自らの詩を補強し援護するためにあった。詩の理論や歴史に関心を持つものをモダニストといい、自らの感情の表出に関心を持つ者をロマンチストといった、北園克衛の定義が思い出されるね(唯一の例外が萩原朔太郎で、かれの『詩の原理』はロマンチストでなくても面白い。感情家だったけれど、同時に哲学青年だった経歴の持ち主で理屈を考えるのも好きだったのだ)。
 そんなわけで詩のことを書くとき、ロマンチストの詩論はあまり有用ではなく、自然とパウンドやエリオットの引用が多くなるのだ。変節して、モダニストになったわけではない。わたしはオールド・ビートですよ。死ぬまで、ずっと。
 モダニズムが嫌いなのはそのひとの鴉の勝手だけど、現代の詩はモダニズムがつくった土台の上の建造物だという事実はおさえておいてもいいだろうと思う。反ニュー・クリティシズムともいうべきアレン・ギンズバーグにしても、パウンドやウィリアムズなどのモダニズムの遺産はちゃんと相続しているのだ。相続税は払ったと思うけど。ホイットマンとホイットマン主義者ギンズバーグは、一見親子のようによく似て見えるけれど、モダニズムの通過の有無によって別人格だといえるのだ。
 とはいえ、ロマンチシズムは文学の最古で最大の潮流として永遠にとうとうと流れつづけていくだろう。ロマンチストのわたしは、そう確信する。ビートだってロマンチシズムの新たな甦りだったし、ロマンチシズムの反措定として起こったモダニズムをロマンチシズムの延長と見るひとさえいるのだから。ランダル・ジャレルのことさ。
 
紙版「rain tree」no.20 2001.5.25より
tubu<雨の木の下で>モダニズムな人々(関富士子)
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