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vol.21

<雨の木の下で>


氾 濫 2001.9.12 関 富士子
  
 蕁麻疹というのは奇妙な症状を呈するものだ。
 おなかのあたりがちょっと痒いなと感じて数時間のうちに、胸や背中、手足、要するに顔以外の全身に薔薇色の発疹が生じる。むずむずやっているうちに次第に広がって重なり合い、胴回りはホルスタインのような大きな斑になった。牛は黒と白だが、肌色に薔薇色の斑だから、ホルスタイン豚(というのがいればだが)のようなありさまだ。発疹は皮膚から数ミリ盛り上がる平たい滑らかな丘で、熱を持っている。 足の裏や髪の中までむずがゆい。何度も水のシャワーを浴び、塗り薬で少し落ち着いた。身体の柔らかい部分がひどい。原因をいろいろと考えてみた。

 数日の旅行から帰ったばかりの翌朝のことである。夏じゅう元気に育っていた二本のホトトギスに、大きな毛虫を見つけた。五匹ほどもとりつき、葉は丸坊主になりかけている。割り箸でつまんで水責めの刑にしたが、その日は昼ぐらいまでに断続的に十匹ほど退治した。何の幼虫だろう。体長四センチほどで、茶色の地に白い短い剛毛が生え、その毛の先がまた六つほどにも短く分かれている。触れてはいないつもりだが、殺戮の断末魔に必死の毒素を浴びせたかもしれない。

 いやいや、そういえば、前の日買った駅弁のバッテラを朝御飯に食べたのだっけ。しめ鯖で握った鮨をよく作って食べるがなんともないし、次の日に残り物を平らげるのも始終だが、傷みかけた鯖が旅行のあとの体調に響いたのかもしれない。

 あるいはゆうべの食事だろうか。冷凍の生ウインナを茹でたのだが、よく煮えないうちに一本つまみ食いをしたのだ。ぐにゃっとした舌触りを慌てて飲み込んでしまってから、生だったのに気づいたという次第。豚の生ミンチはやはり身体に悪いだろう。

 次の日、病院で抗ヒスタミン剤と塗り薬をもらう。アレルギー性の蕁麻疹は、食物などが原因で免疫の乱れが生じ、白血球の中のヒスタミンが血管から漏れ出す状態をいうそうだ。皮膚に近いところで起こるので水膨れになる。 たいていは数日で水分は吸収され浮腫が引くらしい。いわば、身体の中の川の流れが乱れ、あちこちで決壊し氾濫を起こしているということか。 確かに奇妙に切迫した、熱っぽい体験だった。わたしの場合も二、三日で、皮膚の薔薇色斑は消え、今は何事もなかったように静かである。


 
雨の木を聴く 2001.8.29 関 富士子
  
 気がつくと、Poetry Magazine と称して"rain tree"のサイトを開いて、9月1日でまる丸4年になる。ご愛読のみなさま、ありがとうございます。あなたの励ましのおかげで、"rain tree"は続いています。そのあいだに、"rain tree"というサイト名に関心を持たれた方から、雨の木に関する情報をいくつかいただいた。 (vol.7<雨の木の下で>雨の木RainTreeのしずくに少し書きました。)

 また、何人かの方から、雨の音を奏でる楽器があると教えていただいた。"rain tree"の縦組みの文字は、立てると雨の音がする楽器みたいですね、と言ってくださる方もいる。雨の音の楽器というのは、東京の美術館にあるとも聞いたが、見に行く機会のないまま、どんな音だろうと心引かれていた。

 ところが、思いがけずその憧れの楽器を手に入れたのである。数か月まえ、実家の母が見つけて買い求め、電話で音を聞かせてくれた。母も人から楽器のことを聞いて興味を持っていたが、なんとある店で偶然発見したのだそうだ。いやはや、勘のはたらく人である。遅い夏休みをとって実家のある福島に帰った際、母がその店に案内してくれた。

雨音棒 世界各国の骨董や民芸品が置かれた狭い店の片隅の透き間から、店の人が取り出してくれたのは、1メートルほどの一本の棒である。わたしのために隠しておいてくれたみたいだ。ちょうど片手で握れるぐらいの太さで、よく乾いた枯れ木のようだ。持ち運びのときに肩に掛けられるように、下部に毛糸の紐が巻かれ、簡単に結んである。手渡されておそるおそる持ってみるととても軽い。700グラムぐらい。全体がわずかにカーブしていて、2・3センチの虫食いの跡のような縦長のへこみが、棒全体に縦に並んでいる。棒の中は空洞のようで、上と下に木の栓がしてある。

 そっと斜めにして棒に耳をあてると、棒の中でチリチリとかすかな音がする。目を閉じてさらに立てていくと、ぴちゃぴちゃと水の流れる音がして、それから、サーッと驟雨のような軟らかい雨の音が響いてきた。聞いていてどきどきした。ほんとうに雨の音だ。懐かしい土の匂いもしてくるようだ。ゆっくり棒を立てていく間、雨音は続いて、棒がまっすぐになると、最後のひとしずくのように、ピチン、ピチンと幾つかしたたってから鳴り止むのである。

 探していた音だった。わたしはあまり物には執着しないほうだと思っているのだが、この音をいつも聴いていたいという気持ちがむくむくわき起こってきた。それにしても不思議だ。なぜこんな一本の棒から、雨の音が聞こえてくるのだろう。お店の人に尋ねると、「雨音棒」という返事だったが、外国名はわからない。

 木というのは実はサボテンで、乾燥させたものを刳り抜き、乾燥させた小さな種を入れ、棒の表面から中にたくさんのピンを打ち込んだものだそうだ。棒を立てると、その小さな種がピンにぶつかりながら落ちていく。その音が雨音にそっくりなのである。どんな植物の種なのかはわからない。

棒の表面の虫食いの痕のようなところは、サボテンの鋭い棘が生えていて、それを掻き取った痕らしい。めり込んで見えないが、そこに小さいピンが打たれていて、撫でるとわずかに引っかかるところもある。表面にニスを塗っただけの仕上げである。たぶん南米産だろうが、どこの国のものだろう。店の人はお客の相手で忙しそうで、あまり詳しく聞けなかった。これから調べていくのが楽しみだ。(ごぞんじの方は教えてください。)

 実家で母の所有の雨音棒を見せてもらうと、わたしのものよりやや太く、まっすぐである。自然の材料を使うので、太さや長さが一つ一つ違い、音色もまた微妙に違うのである。一気に立てると瀧のような豪華な音がした。2本いっしょに鳴らして音色を比べ合わせて楽しんだ。

 両親やうちの男と福島の温泉めぐりなどをしてゆっくり休み、家に帰る途中、電車の中や駅で雨の木をそっと鳴らしてみると、周りのひとが不思議そうに辺りを見まわす。プラットホームの列のすぐ前で本を読んでいたサラリーマン風の中年男性が振り向いて、しげしげとながめ、虫ですか、いや、水ですかと尋ねる。鳴らしながら説明すると、いい音ですね、とにっこりしてくれた。うれしい、わたしはピアノもバイオリンもギターもハーモニカも弾けないが、この楽器なら弾けるし、人に聴いてもらえるのである。マラカスのように振ったり、回したり、いろいろな弾き方があるのだろうけれど、今はそっと傾けるだけで、静かな雨音に耳を澄ましている。

 雨音棒を売っていたのは福島県の二本松市上葉木坂4―65、アンナ・ガーデン内のざくろ館(tel.fax.0243-24-3968)。値段は5800円。
 
<雨の木の下で>「セツアンの善人」――ブレヒトの戯曲(布村浩一)
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