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vol.22
<詩を読む> 田村奈津子の遺稿より

発光する七行
谷川俊太郎の詩「会う」を読む 詩集『女に』より
田村 奈津子
COLOURの会合評提出の文章(時期1996年ごろ) 
 谷川俊太郎の1991年に発行された詩集女にに収められた「会う」という詩を、私は折りに触れ読み返す。この作品が載っているページだけをパッと開いて、深呼吸をするように読む。たった七行の詩を、水を飲むように読む。何かを確認するように読む。不思議な光を放っている詩だ。
会う

始まりは一冊の絵本とぼやけた写真
やがてある日ふたつの大きな目と
そっけないこんにちは
それからのびのびしたペン書きの文字
私は少しずつあなたに会っていった
あなたの手に触れる前に
魂に触れた
 これはもう有名な話だが、この詩集は、谷川さんの現在のパートナー佐野洋子さん(編集注・1996年時)との”恋愛”と”共生”をうたった三十六編の詩で編まれている。一つ一つの詩には、佐野さんのエッチング作品が添えられている。
 もちろん「未生」から「後生」までの作品を、通して読んで初めて、二人の人間の出会いの不思議さ、一緒のお墓に入りたいと願う恋心を知り、味わうことができるのだろう。しかし、この「会う」という詩だけは独立して存在することが可能で、普遍的な出会いの瞬間を、簡単な言葉を使いたった七行で表すことに成功した稀有な作品だ。
 「一冊の絵本とぼやけた写真」で始まり、「大きな目とそっけないこんにちは」で現実に二人が対面したときの印象が描写される。はっきりと実在するものと、ぼやけて頼りないものの対比から、出会いのぎこちなさが伝わってくる。さらに次の行では「のびのびしたペン書きの文字」が登場し作品は一気に解放に向かう。一人の女性が詩人に向かって心を開いていくプロセスがここまでの四行を通してありありと想像できる。詩人は少しずつ彼女に出会い「手に触れる前に魂に触れた」とうたうのである。
 なるほど実在のモデルがわかっているので、イメージが伝わりやすい。しかし、わたしはこの詩を読むたびに身近にいる子供や友人や犬や花や石など、愛しく思うものを思い出す。魂と魂が境界を越えて出会い、人の形をなくして融合する。深いところで触れ合う瞬間に発せられる暖かい光を感じたくて私は何度も読み返すのだ。



幸福な冷蔵庫
谷川俊太郎の詩
夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」を読む

田村 奈津子
COLOURの会合評提出の文章(時期1996年ごろ) 
 という番号の詩は、「題なんかどうだっていいよ」と始められているが、この詩集タイトル部分の作品群には、全て題がない。また、なかば即興的に書き上げられた後、音読され、後日活字に記録されたと注釈が添えられている。
 作者は、夜中の台所で次々と知人に話しかけるようにして、詩を書いている。小田実に向かって呼びかけられた作品が、一番その状況を分かりやすく描写しているだろう。
 私がこの詩集に初めて出会ったのは、高校の図書館だった。棚から呼びかけてくる本のタイトルに釘付けになった。「こんな題を本につけていいのか」と、大変なショックを受け、どんな世界が開かれているのだろうと興味津々で借りて帰った。そのくらい1975年に出版されたこの詩集は、当時の田舎の高校生に何かしらのマジックを感じさせてくれたのだ。
 しかし、今読み返してみても作品一つ一つについて批評することがむずかしいと思われるくらい、日常的な口語で書かれている。では、何にそんなに魅せられたのだろう。
 吉本ばななのデビュー作『キッチン』を初めて読んだときに、この詩集に再会したような気持ちになったことがあった。3の作品のなかに、つぎのような詩句が出てくる。
電気冷蔵庫の中にはせせらぎが流れているね
ぼくは台所でコーヒーを飲んでる
 ここから聞こえてきたせせらぎは、私とほぼ同世代の作家のイメージの中にも「台所」を神聖な場所として定着させるのに、効果的な音だっただろう。因みに吉本の小説には、「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」「冷蔵庫のぶーんという音が、私を孤独な思考から守った。」等の文章が出てくる。彼女が本当に詩を読んだのかどうかは不明だが、この詩集はタイトル自体が他者に話しかけられた朗読の言葉を、新鮮なまま保存し続けている幸福な冷蔵庫になっている。



夏の遊園地へ

北園克衛の詩「理髪店」を読む
詩集『夏の手紙』より
田村 奈津子
COLOURの会合評提出の文章(時期1995年ごろ) 
 私の北園克衛への入口は、北園の出口であった「BLUE」(1978)という詩だった。「青」に魅かれる人間としては、今世紀の初めに生まれた詩人が、最後の最後に残した作品が、「BLUE」であったことが、非常に気にかかった。詩人の見たブルーは、どんな青だったのだろうかと思いを巡らせた。宇宙に溶けて、境目がなくなりそうな青であるなあと想像しながらも、それ以外の硬質で尖った北園の空間には、入れそうで入れないまま、なんとなく遠くから眺めていた。
 ところが、近頃再び彼の全集を読んでいてとても好きになった詩集があった。一九三七年に刊行された『夏の手紙』である。全集の解説で藤富保男氏は、実験的な作品、/リリカルな作品/郷土詩の作品 /その他の傾向の作品と、四つに分類して論じている。この詩集は、少年が主人公の、リリカルな詩で編まれたとてもみずみずしい作品集になっている。
 中でも、私が今回読み直して非常に好きになったのは、「理髪店」という作品だった。

理髪店


土用に入る
散髪屋が欅の木の下で仕事をする
サアボンの匂ひが村一杯に流れる
真桑瓜のやうな頭にニッケルの鋏がトンボのやうにとまる
 たった四行の詩の中に、五感を刺激する全ての要素が含まれていると、感じられたからだった。
 最初に香ってきたのはサアボンだ。「村一杯に流れる」という表現が、空気の粒子ののどかな移動を感じさせる。「真桑瓜のやうな頭」の硬さに、銀白色のトンボがチョキチョキと、止まる様はユーモラスで、しかめっつらの少年の表情までが想像される。
 「欅の木の下で仕事をする」散髪屋の垂直な線と、そよぐ緑の色彩の交点に出現するこれほど幸福な髪切りの時間も、私はほかに知らない。「土用に入る」で喚起された太陽の光の強さを皮膚に感じていると、真桑瓜の青臭い甘さが、夏休みの味として記憶から立ち上がってくる。そもそも「理髪店」と名付けられたその瞬間に、あの看板の赤と青が螺旋運動を開始し、読者に懐かしさを運び始めるのだ。
 夏の手紙を受け取った私は今、北園遊園地へ入り込みもっと遊んでみたいと思っている。



逞しく謙虚な魂
デニーズ・レヴァトフ「西へ向かってゆく」を読む
詩集『ヤコブの梯子』山本楡美子訳より

田村 奈津子
COLOURの会合評提出の文章1997・3 
 デニーズ・レヴァトフ(1923年〜)というイギリス生まれの詩人の作品を、初めて読んだのはつい最近のことだ。『ヤコブの梯子』(1996年ふらんす堂)を訳された山本楡美子さんが、送ってくださったので、幸運にも現在アメリカで最も活躍している詩人のひとりであるという彼女の作品を、日本語で読むことができた。原文が手元にないので確かなことは言えないが、山本さんは詩人の言葉を、とても自然で生き生きとした日本語に翻訳されているように思われた。
 「西へ向かってゆく」というのは、西方浄土だろうか? 同詩集に収められている他の詩に、

 
 心眼という
 日本語
 その二文字の
 ことばは
 軒下にかかる
 雨だれを語る
 野ゼリの
 灰緑の
 葉むらを語る。
というのがあるが、どこか東洋的な風情が感じられる。
 彼女の詩からは、まず色が水彩絵の具のように、やわらかくにじみながら浮かび上がってくるのが印象的だ。そのあと、広大な自然の風景と、ささやかな日常の一瞬が、確かなデッサンで描き込まれていることに気づく。マスカットブドウから、北極星へ、青空に雲のキルト、ひと篭のパンの匂いと、女の肩。
 ああ、わたしはなんて気持ちのよい地球を歩いているのだろうかーと、深呼吸をしたくなる。女の本分が、北極星と等価な真実であることに、他だ静かに力強く喜べるような気がしてくる。
 
 もしわたしが荷を負っても
 それは贈り物やお土産として
 記憶されるだろう。
 わたしという人間のなかの、緑色の魂が肉体を得て、日々を生きる。その苦楽の記憶を贈り物やお土産として、死の国へ持ち帰るのだと感じる魂の逞しく謙虚な意志を、レヴァトフは、心眼で見ようとする。おとなしい詩風のイギリス詩人であった彼女は、結婚を機にアメリカに渡り、生来の資質を開花させたという。白クマや黒曜石やアザラシや月が次々に登場する世界は、ユーモラスで温かい。


ヤコブの梯子』(やこぶのはしご)デニーズ・レヴァトフ(山本楡美子・訳) 発行社(者)ふらんす堂
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