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田村さんの三冊の詩集 山本 楡美子 |
気がつくと、傍らに、田村さんがいる気配がします。沈黙だけで話し、夜が明けます。田村さんがひとりで、夜の空を歩いているときもあります。普段は見えませんのに、田村さんのことを思いますと、わたしにも宇宙全体を見ることができます。 それで、家が近いから会いましょうね、と声をかけました。 人には宇宙を見渡せるときが何度かあるようです。わたしの場合は、子どもをみごもったときや、授乳のときや、そのことを感じさせる詩に出会ったとき。田村さんの詩はそういう詩です。いつもわたしを宇宙の隅っこに置いて、中空にいる田村さんの姿を見させてくれます。中空にいるのは田村さんが一人でいるときに限りません。二人、または、三人でいるときも、そのグループごと浮かんでいます。みんな小さく、なにかに夢中ですが、澄んだ寂しさがあります。 Windfall。思いもかけない贈り物。田村さんは、Windfallを受け止めるために風穴になりたいと思いました。そして、「風の穴」という作品を書きました。それは、外界とよくつながるために、風穴になりたいという思想です。自分が空ろになること、なくなってしまうことです。その空ろにWindfallを通したいというのです。Windfallは宇宙規模のことばです。 この詩を読んだとき、こんなふうに考えて生きている人がいるのだということを知って驚き、なんとかしてこの詩を読んだときの気持ちを忘れないでいたいと思いました。忘れないように努力すること。 それから、同じ詩集(『野生のスープが煮えるまで』)には、「八月の割れた窓」という詩があります。夜、テレビ番組で、「南京大虐殺」のドキュメンタリーフィルムを観て、苦しくなって、「南京観光テレビ」が割れた、と表現します。そのあと、 四角いガラス張りの 観光旅行の途中でと書いて、詩を終えます。もう、みんなと一緒にバスに乗っていられないのです。どこかへ出て行きたいのです。この作品を目の前にしていないときも、ときどき田村さんがバスを降りて宇宙の外に出て行く姿が見え、わたしには忘れられない作品です。それはとても物淋しい歩行です。 田村さんは、偶然・暗号・記号などにひかれて、それらを読み取ります。そうやって自然に巡ってきたものから多くの恩恵を受けています。ですから、死者さえもが田村さんの生の間近にいます。『地図からこぼれた庭』では、予言的な作品が多く、地球の危機を出て、宇宙の庭での出会いに喜びを見出しています。 『虹を飲む日』では、その一篇一篇から、田村さんのメッセージが伝わってきます。この頃でしょうか、家が近いから、会いしましょうと言いました。 田村さんの詩はいくつもの宇宙の声を聞き、また、地球の声を聞かせてくれます。それらは熱を内にこもらせていて、発熱しています。 たくさんの人が田村さんは日常の熱気を身体ごと感じ、みずからも発熱しないではいられなかったのでしょう。日常のすぐ先にある未知と、その神秘性に圧倒されながら、そこに存在する一点の自己を感じとったのだと思います。 田村さんは特別に澄んだ目とやさしい耳とやわらかな手をもった詩人です。デニーズ・レヴァトフの詩集『ヤコブの梯子』を読んでくださったときも、(詩に出てくる)黒曜石や白クマは自分の世界だとおっしゃっていました。田村さんはずっと大きな存在、神のような存在を感じていらしたのだと思います。その大きな存在がいつも田村さんを愕ろかし、畏怖させ、しかし、そのために、宇宙的な存在意識を田村さんにもたらしたのだと思います。手元にある三冊の詩集は、田村さんです。ありがとう。 ( ![]() |
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