『野性のスープが煮えるまで』1994年花神社刊(絶版)は二冊目の詩集である。この詩集を語る前に、第一詩集『みんなが遠ざかったあとで』1991年花神社刊(絶版)をそっと垣間見よう。彼女は父を失ってから詩を書くようになった、と述べているが、ぼくは彼女の明るさの裏側をこの第一詩集で知ったのである。阿部岩夫さんという良き師に恵まれ、本格的に詩の街道を歩きはじめた彼女は、いよいよこの第二の詩集で魂(ソウル)と日常の現象との葛藤をうまく捉え出した。
ただし田村本人はそれらを苦渋のフレーズで描かない。底引き網で生活の痛みや、汚れをさらい上げる書き方をしてはいない。ぼくが好きな「風の穴」では、
街のざわめきで
からだが
騒々しいとき
探しあてた
水辺に
自分をはこぶ
一秒でも長く
空洞でいたい
うつろなまま
歩いて
風穴になりたい
自分が
そこに在ることで
外と内をつなげたい
と書く。自分の望む場に態を保って、この詩の最後は、自分の中を風に吹き抜けてほしいと願う心を書いている。
また本人から見た他人とはどんな姿をしているのだろう。やはり本詩集の中でぼくの好きな「光の転調」で、自分は昼下がり高いビルのティー・ルームからぼんやりと下の外界を眺めて、
陽のあたるスクランブル交差点
集まっては散っていく
やさしい人々は
波打つ光の中で
闇を走る一瞬の永遠に似ていた
(中略)
そしてこの詩の終りは美しい幕切れになっている。
そう、生きることも死ぬことも
同じ 川の流れ
街が 移り
調べが 変わり
絶え間なく繰り返される
自然な
光の転調を
ここでこの詩は終るが、自己と他者とを静謐に、そして堅実に見ている作者を知ることができる。全部の引用でなかったので不充分であったが、ぼくには田村の孤絶、孤塁がよく判る気がするのだ。ぼくは魂(ソウル)と前に書いた。たしかに田村がソウルから響く声を出した詩集だと感じたのである。
そういう反面、彼女は自分から見た事物を時には非常に非再現的に扱う。それは表面上、突起し、時に凹み、忠実な描写をさけるような情熱の出し方をする。例えば、
電話口を
鏡に変える
新しい顔が
浮かんだら
海星(ひとで)も
空を思い出す
脳に迷い込んだ月の光
四角い薔薇を散らす
出会い損なった人の指か切れて
など、まだ挙げられるが、これらは不条理をあらわす詩句にみえる。前後をよく読むと異質なバネ状の言語のコブを見る。その突出は、自己の中にもぐることをせず、自己を解消しようと創造しているのではないか、ともとれる。換言すると、自己主張をしようと思いつつ風景と心象にゆれるソウルを描いた詩集ともいえる。
この詩集には、
◎扉が/人の顔をして歩いてくる
◎アネモネ色のマンダラ
◎蜂蜜時計
◎木製のイルカ
◎パジャマのまま バスを降りた
◎透明な三角帽子
などなどの珍奇、不思議、驚きを誘うフレーズや語が出てくる。要するに田村の引き出しがみんな開いている状態である。彼女はその事物、中味を点検することより、まず開陳して見せてくれた。この才媛からほとばしる語彙と想像の大展示はわれわれを充分楽しませてくれる。
まさに多声音楽(ポリフォニィ)を感じるとはこのことである。
彼女は最近、西脇順三郎の詩に興味を持っていると聞くが、あの大詩聖の引出しの奥深さをさぐるということは、非常に健康によい。
ここまで書いていたら、偶然田村さんから手紙が来た。冒頭に「今朝いろいろな犬がたくさんでてくる夢をみました」とあった。ぼくはぼくで昨夜からこの書評を書こうと、改めて読んでいる中で、
五月の釣り堀を
笑い上戸の犬が
泳いでくる
と彼女が書いている個所が頭にひっかかり、夜思い出しては微笑んでいたのである。
Tagessuppeターゲスズッペを小さい時食べた田村はハイデルベルクで過したという。Tagessuppeは日替わりスープとでもいったらいい。彼女はスープに目がない、と「あとがき」に書いている。偶然ぼくはハイデルベルクの街、ベルクハイマー通りの路面電車がある朝、通勤の人々を運ぶのを片目で見ながら、小さい店でパンとチョコレートを買った記憶がある。その頃、彼女が同市にいたか、もう日本にもどってきたか、まだ訊ねてもいない。とにかく、そんなぼくがこの一文を書くことになったのは奇縁といえる。( 1994年7月5日 藤富保男)
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