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vol.24
<詩を読む>
 

「蘭の会」の女たちのために

関富士子



わたしの3人の妹は



わたしの3人の妹は
笑い上戸で能天気で強情であばずれで
意地が悪くて夢想家できまぐれで
今ごろどこでどうしていようと
わたしの知ったことじゃない

わたしの3人の妹のために
破滅した男は数知れない
強靭な二の腕とまっすぐな向こう脛
冷酷な瞳と非情な唇

わたしの3人の妹が
世界じゅうをほっつき歩いて
5大陸で5人の娘を生み
3万5千の島で3万5千人の息子を生んでも
わたしの知ったことじゃない

伸びほうだいの髪で地球を翳らせ
扁平なあしうらをひらひら
はりぼての都市を踏んづけて
歴史が古代に戻っても

21世紀の魔女と称えられ
人類の疫病神と罵られ
千年生きて老いさらばえても

わたしの知ったことじゃない

妹たちがちっちゃなころ
こわがりでのろまで泣き虫で
じれったくてずいぶんいじめた
わたしたちはいつも歌っていた
今でも歌っているのなら

どんなにひどい世の中でも
生きることは歌うこと
わたしの3人の妹を
太陽は照らし雨は濡らすさ

わたしの3人の妹が
今ごろどこでどうしていようと
わたしの知ったことじゃない


Web女流詩人の集い「蘭の会」の女たちのために

**********************

 というわけで、わたしには妹がなんと3人もいて、高校は女子高で、もう女はたくさんだ。同窓会のお誘いも敬して遠ざける。わが3人の妹たちには、すでに何も言うことがない。

 それにしても女性限定なんていうと、各県に2つか3つはあるが今や共学化が進む、伝統女子高校の文芸部、といったおもむき? それとも、ひと昔前、女性会員だけで構成した「ラ・メール」という詩の雑誌があったが、そのネット版だろうか。ちょっとばかり懐かしい。読者の男たちは喜ぶかも知らないが、わたしは男にはさらにうんざりしている。

 と思って遠くから眺めるにとどめていたWeb女流詩人の集い蘭の会に、発起人のお一人の宮前のんさんから、何でもいいから書けというお誘いをいただいた。
 わたしがひねくれもので口が悪いのをごぞんじないか。しかしながら、物事は先入観で見てはいけない。蘭の会とはきっとナイスな女たちの集まりであろう、と豹変し、いそいそと蘭の会の色っぽいお花バナーをクリックしたのであった。

 新参者というものは、そのサイトに慣れないうちは、いろんなことに気づくもの。初見というのはあんがい大事で、慣れてしまうとどうでもいよくなってしまうのだけど、はじめはちょっとひっかかることをいくつかメモした。いや、たいしたことではありませんが、一読者の感想です。

*ウェブ上の詩に行間を与えよ。

 1バイトのアルファベットならともかく、四角い日本語の2バイト文字の羅列に行間がないのはまことに読みにくい。紙で字を読むときには行間のない文章など考えられなかった。しかし、はじめからウェブ上の文章なんて行間がないのがあたりまえ、と思いこんでいないだろうか。しかしそれは、未発達なブラウザの文字表示が日本語の特質に対応しきれていなかっただけ。今では行間を作るのはとても簡単だ。<head>のあとに<STYLE TYPE="text/css">body,td{line-height:150%}</STYLE>を入れるだけ。150%のところは空きを調整できる。もちろんブラウザは新しくね。
 それにしても、わたしの妄想でなければ、詩は行間を読むのではなかったのか。お願い、わたしにすばらしい詩と、それに付随する行間を読ませて。

*あなたのスッピンが見たい。

 もちろんこのサイトのメインは、会員が毎月のテーマに合わせて発表する新作詩だ。詩は読むのも書くのも好き。花の写真は撮るのも見るのも好き。ヴィジュアル詩だとか、詩と写真のコラボとか、表現にはいろいろな方法があって、始めからそれなりの表現意図があるならいい。でも、ふつうに書いた感じのふつうの詩のわきに、そんなつもりじゃない花の画像が置いてあると気が散る。女の詩にはお花の絵ってわけ?、なんて意地悪を言いたくなる。
 スッピンで書いたスッピンな詩はスッピンな場所でスッピンで読みたい。

*読者は作者よりえらい。

 女流詩人がいれば当然男流詩人が存在する。その詩をよってたかって料理する「まな板の上にコイ!」。幾人かが、一つの詩をめぐってそれぞれの観点から批評をする。総評や討論もあっておもしろい。これが蘭の会の最大の特徴であり魅力だといえる。
 それはいいのだが、長いていねいな感想のあとに、「読んでいただいてありがとうございます。」としめくくってあるので首を傾げた。これはどういう意味だろう。これを言うのは詩を書いた作者の方ではないのか。
 詩があまりに素晴らしいので、感想を言うのも恐れ多いのだろうかと思ったが、詩の出来は別にそれほどでもない。まずい詩を一生懸命読んであげただけでも、お礼を言われたいくらいなのに、そのうえ懇切丁寧な文章をものし、それを当の作者が読んだかどうかも分からないうちに、文章の末尾に、お礼まで書くのはなんと謙虚なふるまい。「自分は批評するにはおこがましいほどの者だが、そんな拙い文章を読んでくださって・・・」ということらしい。それを言うなら本末転倒? 慇懃無礼? いや、ただのネット批評の慣習か?

*男なんかほっとけ。

 もちろん、詩を読んでもらった男流詩人たちのほうは、きちんとお礼を言っているようだ。すがすがしい交流風景である。それにしても、蘭の会の女たちはなんと男に優しいのだろう。こんなに懇切丁寧に読んで解読して解説して誉めてけなして、至れり尽くせりである。
 いやはや、わたしは今までそんなことをしてもらったこともないし、してあげたこともない。そのうちにほぞをかむのは女だ。お馬鹿で詩もへたくそで、あたしが面倒見てあげなきゃと思っていた男がどういうわけだかとんとん拍子、調子よく売れ始めたと思ったら、こちらがうだつのあがらぬまに、いつのまにやら詩人団体の偉いさんにおさまっている。詩人の世の中はこの世の中。

 男流詩人たちよ、世間というものは、このサービス満点な女流詩人サイトのような天国ばかりではない。始めっから上げ膳据え膳のおもてなしを、当然と思ってはいけない。きみたちは赤ん坊のときから人生のお膳立てのなかで育ってきた。それを当然と思うなよ。

 男にかまっているひまがあったら、自分の詩をどうにかしなくちゃね。ああ、でも、女にはもはや何も言うことがないんであった。それにしてはずいぶん言うねって? ごめんね。

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