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vol.24
<詩を読む> 

春から夏にかけて読んだ詩集

関富士子

 2002年の春から夏にかけて読んだ詩集のうちから、何冊かご紹介します。日本で出版されている詩集のほんのほんの一部です。批評ではなくただの紹介文です。お許しを。

零れる魂 こぼれる花身空xフランス詩人によるパリ小辞典あいうえお氏ノ徘徊ウォーターカラーズ

『零れる魂 こぼれる花』 渡辺正也 2002.7.25 思潮社 \2400E


 思慕する心があまりに烈しいとき、求められた魂は、どのように彼の前に現れるのだろう。「地や空の境界にあらわれる」魚や鳥のように? 今は失われてしまったその面影を追いながら、彼は野をさまよう。心に激情を潜ませて、はかないことばを手探りする。するとその魂は、いつのまにかうっすらと、花のように官能的に色づいて、彼の前に現れる。

凍ったたましいにふれると
言わずにいたことが
あざやかな背から胸へながれて
あした逢えなくても
あさってにでも
また あたらしく花のかげがうつる
         (「花のかたち」部分)


『身空x』 支倉隆子 2002.6.1 思潮社 \2000E


 草といっても野原に茂る草ではない。都市のコンクリートの裂け目や、ビルの間の日の当たらない公園に生える雑草。しかし無機的な都会に唯一生物の気配がする領域。その草丈数センチのところをわずかに浮き上がって、支倉隆子の詩の行が夜の街を移動していく。

にんげんの夜から
水銀のように下降して
虫たちははるばると夜の草にいたる
草の耳はふるえるだろう
草の腰はふるえるだろう
触覚はさびしい
にんげんのはるかな夜を
雪柳のように目ざめるひとがいて
かさこそと藁半紙のような自我にさわっている
  (「夜の草」部分)


 前半の詩を埋め尽くす草のメタファが、読者を疲れさせるかもしれない。多用されている直喩表現「ように」も、詩人の意図によってイメージがわずかにずらされる。
 わがままだが憎めない友達といっしょの旅みたいに読んでいく。我が身に添わない、ちょっとずれたメタファの都市から故郷へ、また都市へとさまよう。その旅の身空をともに旅するのだ。草の間からランドセルを背負った少女が現れ、草とともに成長していくのが見える。
 間にはさまれたエッセイ・ポエム(著者命名)にほっと一息つくと、後半に闊達な境地が展開する。
安普請の家にも痩せた川のように敷居は流れ
この黄色い川をわたり
(いつも右足から
(原人のようにひとり
温帯に赤らむ畳ろくまいに至る
せんまんのいとしい<渡り>である
(「最果て」部分)


『フランス詩人によるパリ小辞典』 賀陽亜希子編・訳 2002・5・14 白鳳社 \2700E

 詩で描かれたさまざまなパリの姿を五十篇のフランスの近代以降の詩で編んだもの。「セーヌ河のパリ」「美術のパリ」「恋人たちのパリ」「戦時下のパリ」「働く人々のパリ」「街路のパリ」の六つの章にわかれている。
 わたしはフランス詩をあまり知らないが、写真や挿し絵がたくさん入って、一度だけ行ったことのあるパリの思い出を繰りながら、楽しく読んだ。表紙にも使われているアポリネールのエッフェル塔のカリグラムがかわいいなー。



S
A
LUT
M
O N
D E
DONT
JE SUIS
LA LAN
GUE É
LOQUEN
TE QUESA
B O U C H E
O  PARIS
TIRE ET TIRERA
T O U    JOURS
A U X   A  L
LEM     ANDS



    や
    あ
    やあ
    世
    界 の
    皆さん
    ぼ く
    は そ の
    ゆ う べ
    ん な 舌
    な の さ
    だ か ら
   そのくちは
   おお パリよ
    舌をだすしだすだろう
   い つ  で も
  ド イ   ツ の
  やろう   どもに


アポリネールの「第二砲手」抄
(あなたのパソコンで文字がずれていませんか。おかしかったら教えてください。関)
 カリグラムはエッフェル塔がかわいいなあと思ったら、訳を読んでびっくり。世界を見渡しながらドイツに舌を出しているのである。解説によると、英仏がドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まる直前に書かれたらしい。


『あいうえお氏ノ徘徊』 小笠原眞 ふらんす堂 2002.5.20 \2000E


 詩1ページの裏に俳句(川柳?)一句の構成。詩はタイトルがすべて「…氏」で統一されていて、さまざまな人物のスケッチ画風。構成もすべて、五行七行五行の三連十七行。いったいなぜ?とだれでも思うだろうが、その裏ページにある俳句がミソ。この俳句は、前のページの行頭の音を順番に並べていくとできあがる。いや、実際には、俳句が先にできていて、前のページの詩は、その俳句の十七音を各行頭に折り込んで作られているというわけ。
 後書きを読むと、この趣向は、藤富保男の折り句詩集『新聞紙とトマト』がヒントになっているという。実は私がときどき作る<ことばのあやとり>の折り句詩も、この詩集に触発されているので、どうやら同好の士といえる。詩もナンセンス詩を志向していて、わたしなんかよりずっと藤富保男的である。


 なにが氏(全部)

 何が詩なのか
 皆目見当もつかず
 蓮根の穴のように空虚で
 手ぬぐいが風に吹かれるように
 文字文字してしまう

 何が一体全体詩なのか
 全ては霧の中
 少しも実体が見えてこない
 別に予習をした訳でもないが
 勿論復習なんかもした事が無いが
 何故か山田君は大あくび
 クラスでは第二の男と呼ばれている
 
 ようこそここへ
 こんなワールドへようこそと
 例え言語の面積が均一でも
 襟を正してやぶにらみ
 立派なあなたに今は空

 この詩は折り句ばかりでなく、藤富保男の詩の言葉や詩集のタイトルが、わたしの知るかぎりでも十冊分ほど、あちこちにちりばめられている。すてきなナンセンス詩人、藤富保男へのオマージュだ。ところで、行頭に折りこまれた俳句、わかったかな?


『ウォーターカラーズ』 小林泰子 ミッドナイトプレス 2002.5.25 \1800E


 『ウォーターカラーズ』を読みながら、わたし自身の子育ての日々が、ありありと甦ってきた。述懐ではないリアルタイムの心が、読む者にまっすぐに届いてくる。

 自分のことが後回しになっていく毎日は
 なぜかとても暮らしやすい
 私に似ていない私が
 私に似ている娘の手を引いて歩いている
               (「夏の水彩」部分)


 「私に似ていない私」は、子供のことを真っ先に考える生活を受け入れながら、それはほんとうの自分ではないことも自覚している。
 この詩のとおりだった。子育て中の十年間、ちょうど三十代のころ、わたしには詩が一行も書けなかった。それはほんとうの自分ではなかったのだが、子どもにまっすぐ向きあって過ごす時間は、詩を書くことより大切な、甘美な年月だった。でも、小林泰子はこう問い掛ける。

 吸えば吸うほど乳は出てきます
 では
 与えれば与えるほど愛はわきでてくる?
 愛すれば愛するほど
 人はやさしくなれるのでしょうか?
            (「小さな泉」部分)


 子供に乳を与えながら、若い母親がこんなことを考えている。自分の愛はほんとうに無限だろうか、と。この問いかけは大事にされなければならない。自分にあるという母性に疑問を投げかけること。
 わたし自身もまた、我が子への愛を疑うわけではないのだが、乳を飲みながら母のエネルギーをむさぼる赤ん坊を恐ろしく思ったことを覚えている。いっときも目が離せない子どもに鎖でつながれたような不自由さ、家庭に閉じ込められたような閉塞感。
 小林泰子の「ウォーターカラーズ」は、わたしの気持ちを、そっくりそのまま書いてくれているかのようだ。
 でもはっきり違うのは、彼女が詩を書き続けたことだ。ペンを捨てなかった。いやはや、わたしとは大違いだな。いいわけはいろいろあるが、わたしはその時期に詩を書かなかったことを今深く後悔している。あとで書けるときに書こうなどと思わずに、詩にならなくてもいいから、そのときのありのままを可能な限り記せばよかった。
 小林泰子には、詩を書きつづける明確な意志があったのだ。「ウォーターカラーズ」は、彼女の粘り強い日々の努力の結晶である。都会に住んで小さな家族を作り、人間を育てながら生きること。その中で社会や人間を見る小林泰子の確かな目は、「見えない少年」という存在を見ることができるのだ。彼女はその少年を、ふかぶかとした愛と優しさで胸のうちにいつまでも抱きしめるだろう。

 見えない少年は見えないバケツを持って
 見えない血をテーブルの下にぶちまける
 見えない血で濡れた家族の足が
 見えないまま乾いていく
 さびしいにおいが鼻に届かぬまま床に澱んで

 見えない少年は声をたてずに泣き
 くちびるを曲げないまま笑う
 家族の首にそっと手をかけ
 離した手をゆっくり宙に浮かべる
            (「見えない少年」部分)


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