瓦屋根の上の光景 2002.11.13 関 富士子 |
叱られたり悲しかったり、退屈したり何も理由がなくても、天気のいい日はときどき屋根に上った。二階の窓から庇を伝い、隣接する工場の屋根である。
屋根瓦というのはおもしろい形をしている。〜〜〜〜〜と、緩やかなへこみと丸い膨らみとの曲線でできている。屋根を葺くのは平たいプレートでもよさそうだが、継ぎめがあると雨が漏れる。屋根瓦は、屋根の端から整然と並べる。へこみの端の少し反った部分に合わせるように、次の一枚の膨らみが載る。順に重ねて列を作り、さらに屋根の傾斜に沿って上りつめ、棟瓦まで重なりながら続いている。互いの重みで安定するから、レンガのようにセメントでつないだりしない。重ねるだけでは瓦の間から雨が漏れそうな気もするが、微妙な反りと丸みによって、雨粒は瓦を一枚ずつ順に流れ落ちて、屋根の端の雨樋に至るのだ。
用もないのに屋根瓦に乗ってはいけない。屋根は古い焼き瓦で、子どもがはだしでそっと踏んでもぐらぐら動く。瓦がずれて下地が見えているところもある。ひび割れているものもある。かなりの傾斜があるから、ずるずる瓦ごと落ちそうなのだ。立ってバランスを取ったり、はいつくばったりして、そろそろと天辺の棟瓦までたどり着く。家の前は三叉路で、眼下の埃っぽい砂利道を、バスやバイクや自転車が通る。
屋根の上は、太陽と風を浴び雨に洗われて、埃もなく清潔に乾いている。寝そべって足だけ踏ん張り、空を眺める。高低の距離感を失って空の真ん中に浮いている気分になる。目の前を、雲が思いもかけない速さで流れていく。複雑な形がみるまに新しく変化する。魅入られているうちに何もかも忘れて、子どものむすぼれた心は柔らかくほどかれていく。
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