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vol.25

<雨の木の下で>

 北園克衛生誕100年記念コンサート 続 2002.11.13 関 富士子

(無知のまま書いているのであちこち間違いが多く、金澤一志さん、奥成達さんと国峰照子さんにチェックしてもらいました。一部訂正してあります。2000.11.23関)

國峰照子 その2

國峰照子
國峰照子

 レポートを書きながらふと思いついて、國峰照子さんにお願いして、当日読んだ原稿を送っていただいた。50年代半ばは、國峰さんの青春時代だったんだね。彼女は当時音楽を学んでいた。今もピアノを教えていらっしゃるということである。
原稿をそのまま掲載する。( )内は時間がなくて話すのを省略したという部分。

 北園についての余計な前書き

    國峰照子

 私と北園克衛との関連についてちょっと申し上げておきますと、まず私が北園の存在について知ったのは1950年代の半ばのことで、新宿でうろうろと青春を浪費していたころであります。その頃、クラシックを聴かせる名曲喫茶というのがいたるところにありまして、「プロバンス」とか「琥珀」とか「ショパン」とか、あと「風月堂」にも通っていました。学校にはロクに行きませんでした。中央線沿線の下宿を出て、新宿で途中下車、「紀伊国屋」と名曲喫茶で一日をけむりにしていました。
 当時「紀伊国屋」の店舗は路地の奥にあり、入口手前の左側に平屋の喫茶室がついていました。そこで北園さんの風貌を度々お見掛けしていました。お話しをしたことはありませんが、その斬新なデザインと格好いい詩は、当時あふれていた詩集の中で目からウロコ的なものでした。北園詩は人生の重さを盛る器ではなかったからです。北園は純粋な音と形を構築していると感じたのです。そこからは自由に音があふれていました。
( 北園がどこかに「僕はスイスの時計師のようにやっていくつもり」と書いていたのを知って、その時、我が意を得たりと思ったものでした。この言葉はドュビッシーに対するラヴェルの立場を強烈に意識したものだからです。私は若い頃ドイツ音楽よりフランス音楽に、ドュビッシーよりラヴェルに魅かれていました。ドュビッシーの大きさは今ではよく分かりますが、ラヴェルの記号的な音の扱いや精密な技法に爽やかさを覚えていたのだろうと思われます。)
 当時、私は作曲を試みていたのですが、人生経験の浅い私にとって戦後詩は「歌」にするには手に余るものでした。せいぜい「カラマツの林を出でて」や「汚れっちまった悲しみに」あたりをネタにするしかなく、旋律も和声もシューベルトの真似事でした。そんな時、北園の詩が「音自体」というものに出会わせてくれたのです。
 今回、この北園克衛生誕百年のコンサートを契機に、むかしの五線紙のダンボールをひっくり返してみましたら、その頃の苦心惨憺の跡が出てきました。「キタソノカツエ」七音を音列として曲を作るという試み。技術もないのにそんな無謀な計画のメモでした。
 今の私もその頃から大して進歩してないのがみえみえなのですが、その紙きれにちょいと細工したものをここにご披露してみます。



き た そ の か つ え に

きたきたきた たき またたき
そのつえつえ つえのさきの そのつえ
つかのつかのつかのまの えきに
かえったかえった かえった
のでしょうか

そのたそのたそのた そのほかそのほかその
ほかでもございませんが

たつたつたつたつ たったぞたったぞ
そだつ そだつ そだつ そだつ
そだったそだったそうだった
かもしれません

きたぞ つえ たき? その かた?

きたきたきた たき またたきまたたき
そのそのその つえ きたえきたえきたえ
くるくるえ くるくるくるえ くるえくる
くるえるくるえるくるえるくるえる
その つえ の さき にきた

 うーん、なるほど。「きたそのかつえ」の七音のなかに、こんな言葉が隠れていたとは知らなかった。アナグラムの一種だが、北園克衛という詩人の本質に迫っているのではないだろうか。北園克衛はまったく魔法使いみたいな詩人だったのかもしれない。感情だの人生だの、情緒だのなんだのかんだのにがんじがらめにされた、びしょびしょに濡れた日本の抒情詩の世界に、どこからともなくやってきて、乾いた小枝の杖をひとふり、シンプルな言葉の魔法をかけて、若い彼女をとりこにしたのだ。
 國峰さんは詩を読みながら、テーブルの上に大きな絵本のようなものを広げていた。あとできいてみると、最近手に入れたニック・ナイトという写真家の「フローラ」という写真集だそうで、ページに北園の詩を張り付けて読んでみた、ということだった。
 彼女の朗読のあいだじゅう、優しくピアノを弾いていてくれたのは渋谷毅さん。あまり指を上げないで、鍵をそっと撫でていくような弾き方である。女のからだをそっと愛撫するようなてのひらの動き、見とれちゃいました。


山下洋輔


山下洋輔
山下洋輔
空中魚
「空中魚」(北園克衛)
 山下洋輔さんは、急病で欠場の高橋悠治さんに代わって急遽出演ということである。北園克衛の『図形説』をピアノで表現するというので、板に作品を大きくしたものが貼ってある。最前席に陣取った私は、デジカメでなんとかこれを撮影することができた。なんか意味はわからないが、シュールレアリズムの絵を見るようなおもしろさがあるでしょ。
 山下洋輔さんのピアノも、北園に負けずに鮮烈な音を響かせた。リリカルな旋律のあとの不協和音。てのひらや肘で腱を押さえる動きがなぜだかとても禁欲的に感じた。彼の演奏を久しぶりに聴いたが、いつまでもかっこいいなあ。
 若いころから奥成達さんと「全日本冷し中華愛好会(略して「全冷中」)」なんかを作って遊んでいたらしいが、彼の深い友情に感激する奥成達。「gui」の2次会でも、山下さんは気さくにみんなを写真に撮ってくれた。奥成達は嬉しそうに、友達は大事にしろよとわたしに説教するのであった。
美麗な魔術家
「美麗な魔術家」(北園克衛)




飛行船の伝説
「飛行船の伝説」(北園克衛) 下のほうが切れてしまっています。


三宅榛名

三宅榛名
三宅榛名

ちょっと風邪気味という三宅榛名さん。鼻をかみながら少し話をしてくれる。タンゴと対位法をつなげて弾こうと思うけどうまくいかないかもしれない。うまくいったほうで終わるから試しにやってみる、と言う。山下洋輔さんと同様、現代音楽の作曲家、ピアニスト。ほっそりしたからだつきの華奢な指から力強い音が現れて、初めて聴くけどとてもかっこいい。激しく挑むようだったり、やさしく揺らすようだったり、ピアノは彼女にかき抱かれ、のしかかられる官能的な生き物に見えた。最後、どちらで終わったかわからないまま。ためいき。


白石かずこ



最後に登場した白石かずこさん。まだ10代のころに北園克衛の「VOU」に入り、直接モダニズムの洗礼を受けた北園のまな弟子。スイートな詩を読みます、ということで、北園克衛の『若いコロニィ』から「口笛」「夏の手紙」「髭」などの短いリリカルな詩を読む。

口笛      北園克衛

夏は美しい季節でした

物質は重く生活は軽いのです
街の従妹たちよ
そこでは星と林檎がいり混り
そしてあなた達は失はれた花束にすぎません

僕は? あなたは? 好きなのですね?

しかし だが
カメラの中に月が出たら
あ!
動いちやいけません


 どう? ドロップみたいに甘くてちょっとシニカル。気が利いていてチャーミング。こんな詩を書きながら、パンツ一枚で七輪に火を起こして魚を焼いていた(藤富保男著『パンツの神様』)という北園克衛って?・・・・
白石かずこ
白石かずこ

 最後に白石かずこさんが自作詩『婚姻』を読む。わたしは白石さんの朗読は2・3回しか聞いたことがなかった。三宅さんとのセッションは初めてという。長い巻き紙をさらさらと広げながら、筆できれいに書かれた文字を読んでいく。
「すでにドーベルマンになったわたし・・・」
ドーベルマンと結婚した女の語る詩だけど、さすがにほかの詩人にない迫力がある。クライマックスで三宅榛名さんのピアノがぐいぐい割りこみ、白石さんがしばし沈黙。見計らうようにしてさらに白石さんのドスのきいた声が響く。二人の個性が激しく火花を散らすのをどきどきして見ていた。
 ところでわたしの個人的な好みでいうと、ドーベルマンよりは生まれながらの野良犬と結婚してみたい。

さて、わたし自身のことをいうと、北園克衛を特に好きというわけではない。モダニズムの流れを受けた「gui」という詩誌に参加しているので、北園に直接出会い、強い影響を受けた人々の話を聞く機会が比較的多いというぐらい。聞いているうちに、彼らの北園への敬愛の念にうたれ、北園の詩の魅力を少しずつ教えられてきた。もっと若いときだったら、きっとずいぶん影響を受けたかもしれないが、40歳を過ぎてからの出会いということもあり、こちらのほうが固まってしまっていた。やや距離をおいた読み手の立場にあると思う。
モダニズム詩は、ほんとうに、これから詩を書こうとする若い人に特に読んでもらいたいな。
今は、インターネットという場所で、詩が、音声や映像も含めて、どんな前衛的な作品もいつでも発表できる時代が来ている。それは、前衛性とポピュラリティが相反するものではなく、共に実現できる可能性があるということ。
逆にいえば、詩のポピュラリティのなさを、ほかの何のせいにもできなくて、作品自体に直接問われてしまう厳しい場所であるともいえる。
新しい北園克衛テキな詩人こそが、それを乗り越えていくんじゃないかな。期待してるよ、みんなー。




 北園克衛生誕100年記念コンサート 2002.11.6 関 富士子


今年は北園克衛生誕100年! 金澤一志、奥成達さんの企画で、いくつかのイベントが行なわれ、11月まで続く。  10月30日は新宿ピットインで、ゆかりの詩人たちの詩の朗読とピアノのコンサートがあった。
出演:リーディング 藤富保男 國峰照子 白石かずこ 
   ピアノ 神武夏子 渋谷毅 三宅榛名 山下洋輔
山下洋輔さんは、出演が決まっていた高橋悠治さんが急病のためピンチヒッター。すごい代打もあるものである。
奥成達・藤富保男・國峰照子さんは、わたしが参加している同人誌「gui」の大先輩でもある。僭越ながら拙いレポートを書いた。行けなかった方も雰囲気が伝わればうれしい。

奥成達

奥成達
奥成達
 司会の奥成達さんは、まだ少年のころに北園克衛に出会い、直接彼の薫陶を受けたという。直系の弟子といえるだろう。彼の北園への敬愛の念、北園の方法論を今に伝えようという情熱にうたれる。
 「gui」でここ数年、「北園克衛『郷土詩論』を読む」を連載している。北園が戦時中に書いた「郷土詩論」を取り上げ、北園の戦争賛美の詩や、それに対するさまざまな北園批判を読み直そうという試み。ほかのモダニズム詩人たちの作品や、いわゆるモダニズム詩批判の文章を併せて採録し、再検討しようとするものである。とにかく当時の資料をかなりの分量収録していて、できるだけ客観的な材料を読者に提供しようという配慮がうかがえる。これは「gui」という同人誌で、しかも奥成達にしかできない仕事。
 まもなく出る最新67号では、西脇順三郎が、北園克衛や春山行夫など、モダニズムの代表的詩人たちを解説した文章も採録しているし、いいかげんなモダニズム批判に対する反論の形で、春山行夫の『植物の断面』全編を載せている。ほんとうに、この散文詩は今読んでも実に見事なもの。とにかく詩を読んでみろ!、と奥成さんは言いたいんだね。

藤富保男

藤富保男
藤富保男
神武夏子
神武夏子
 初めに登場したのは藤富保男さん。彼も奥成さんと同様、北園克衛と親しく交わり、多大の影響を受けた詩人。『近代詩人評伝』『北園克衛』(1983年有精堂)など、多くの北園論を書いている。現在も詩のアヴァンギャルドのトップを走っている。また、ピアニストの神武夏子さんと『詩を奏でる』の活動も続けている。
 北園との思い出として、1954年に行われたという北園発行の雑誌「VOU」が開いた音楽会の思い出を語った。ただレコードを聞くというだけの会だったそうだが、オリビエ・メシアンやアンドレ・ジョリヴェなど、フランス音楽を聞いたということで、フランスの作曲家の曲を弾く神武さんを紹介した。
1956年のある日、藤富さんが北園に会ったときに、「最近コントを書いていてね」と北園が言ったそうだ。彼は1928年ごろには小説を書いていて、、『今日の文学』『文芸レビュー』にも発表したと言っていたという。
 それらの短編を集めたのがこれ、と言って藤富さんが掲げたのは、B6版ぐらいの小さな本『黒い招待券』だった。その表題作を朗読。バーピューマという酒場が舞台のどたばた調のコントで、アンソニー・パーキンスに似たマスターや、鳥打帽を被った不精ひげの客が登場する。「スプゥトニクてえのをもらおう」などと藤富さんが声色を使っておおげさに二役を演じるので思わず笑える。北園はそれらを自ら「コント」と呼んだが、たしかに奇妙な雰囲気のあるショート・ショート。これを戦後すぐ書いていた北園は、今だったら超売れっ子のテレビコント作家になっていたかもしれないな。
 さて、これからが本番。北園克衛は言葉を記号のように配列して、だれも試みないような斬新な詩を書いたが、もっとも分かりやすい特徴として上げられるのが、単語と単語を「の」で横につないでいく手法。たとえば、

絶望

火酒




あるひは



のなか




(『黒い火』より「黒い肖像」部分)
といった具合である。
藤富さんはこの北園の「の」を全部盗んでしまった。そして、「の」だけの詩を朗読するという大アクロバットを演じたのである。
の、ののののーの?

の、の、のーのーのーーーの!

ののののの〜〜〜〜〜〜の

のののののののののののののの〜の

といった具合。どう、感じわかる?
 藤富氏はさらに、神武さんのピアノ演奏をバックに、言葉なしの奇天烈なパントマイムを演じる。
 洋服の胸やらズボンのポケットやら、あちこち手で押さえて、探し物をしているようす。きょろきょろとあちこち探し回ることしばし。ついに見つけた!という表情で目を見張り、おもむろに屈んで自分の右の靴を脱ぐ。いったいどうしたの?と見ていると、その靴をたかだかと掲げた。何の変哲もない、履き古した革靴である。その靴の中にに指を入れると、現れたのは、「の」が二つ(一つは鏡文字?)書かれた紙一枚。パフォーマンスは佳境。さらに「の」の大捜索は続く。
 あちこちうろうろと探し回って、どこかに頭をぶつけたらしく、ピアノの神武さんを呼ぶ。神武さんはおおあわてで、藤富氏の頭に白い包帯を巻きつける。それがはげ頭からおでこへ斜めに巻かれてどうやら「の」の字の形。会場大爆笑。ラストに、藤富さんはやおら背広の上着を脱いで、観客に背中を向けてお辞儀をした。その背中には、おおきな「の」の文字が、看板のようにぶら下がっていたのである。

國峰照子

國峰照子
國峰照子

國峰照子さんは、モダニズムの方法論を最も先鋭的に継承している現代詩人の一人。数年前に出た詩集『開演前』書肆山田刊の言葉の実験的な美しさに酔わされた人は多いだろう。


國峰さんは、北園の『円錐詩集』から数編を読んだあと、「藤富保男さんに「の」を盗まれてしまったので、「の」のない詩を読みます。」といって、詩集『BLUE』から、「の」を失った「ブルー」「オプティカルポエム」を読んだ。
盗まれた「の」の代わりに、指をパチンと鳴らす、という趣向である。
いま
去っていく秋(パチン)
ブルー(パチン)

(パチン)
なかに
いて


ジャコメッティ(パチン)
青銅(パチン)彫像
(パチン)
ように


孤独
(パチン)
憂愁
(パチン)
直線
(パチン)
ブルー(パチン)長い影
を曳き


白とブルー
(パチン)

にみちた

(パチン)ブルー

見ている人(パチン)
細い背中

ブルーである
(北園克衛『BLUE』から「BLUE」全部)

聴いていると國峰さんのパチンに合わせて、心の中で思わず「の」と言っている自分。「の」は不思議な言葉だ。ただ一字の助詞なのに、さまざまな働きをする。文法的には、言葉の関係を表すはたらきをする。前の語に対するあとの語の関係について、所属や場所や時期や材料や、性質や状態や。
つまり「の」は、前後の単語をシンプルな形で糊付けし、意味付けをする、もっとも基本の言葉だ。「の」を失った言葉は、ガラスの破片のように透明になって、ばらばらに飛び散るかのようだ。そのまっさらな記号性もまた美しい。



このあと、山下洋輔さんのピアノ、白石かずこさんと三宅榛名さんのセッションが続くが、時間切れなので来週のお楽しみ。

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