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vol.26
<雨の木の下で> 関 富士子

 情報とわたし 2003.6.16

 イラク戦争の情報戦を挙げるまでもなく、さまざまな情報は、その送り手やメディア自身の意図によって、巧妙にねじまげられていることがある。テレビの映像も例外ではない。カメラによって矩形に切り取られた映像は、出来事のどの部分を映すかによって、明らかに送り手の意図を反映する。それがわかっていながら、映しだされた光景、人々の顔、叫び声は激しくわたしに訴えかける。なんと強力なメディアだろう。動揺し混乱しながら、なんとか自分なりの意見を持とうとするが、それがほんとうに自分のものなのかおおいに疑問だ。
 わかる範囲の情報から、拙いなりにも自分の考えを人に伝えるときに、一つだけ念頭に置きたいことがある。それは、せっかちに、事件の当事者の代弁者になってしまってはならないということだ。もし自分があんなひどいめにあったら、というのは仮定であってすでに他人事なのだ。画面を見ながらどんなに心を痛めても、彼の身に起きた苦しみを真に共有できるわけがない。わたしはけっして彼にはなりえない。
 じれったいようだが、今わたしにできることは、ただじっと見てきいて読んで、自分のいる場所を確認しながら考え続けること。それがすぐに言葉にならなくてもあせってはならない。むしろ、心の奥に沈殿させ、濾過されて、シンプルで明確な形になるのを待つこと。それはどこかしら、詩の現れを待つときの気持ちに似ている。
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