詩に描かれた情景を、心にできるだけ思い描いて、イメージそのものを存分に楽しむのは、詩を読む者の最初で最大の愉しみである。
ぬすびと
青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聴く
(宮澤賢治『春と修羅』より)
「骸骨星座」というのがあるかどうか知らないが、星座の図の狩人オリオンを象る白い線は、人間の骸骨のようにも見える。彼は、十二月の夜明けにはちょうど西に沈むところだ。
地面はでこぼこのまま凍って、昇り始めた太陽に氷がきらめく。そんな時間に歩いている「ぬすびと」とは何者だろう。店先に置きっぱなしの、安物の甕を盗んでどうする気か。「長く黒い脚」とは、朝日に斜めに照らされた長い影のようでもある。「二つの耳に二つの手」があるから確かに人間だ。
ところが、「どろぼう」は逃げる足を止め、盗んだ甕を下ろし、両手を耳にあてる仕草だ。聴いているのは追っ手の足音か。いや、それは「電線のオルゴール」だ。いったいどんな音楽が聞こえるのだろうか。電線が唸る「ひゅんひゅん」というテルミンのような音か。
静まりかえった冬の明け方に吹く風の音や鳥の声、氷の砕ける音、枯れ枝のそよぎ、水のしたたり。さまざまな万象が、電線をとおして澄んだ空気に響きわたるだろう。「どろぼう」は、逃げるのも忘れて、じっと音楽に耳を澄ます。輝かしい世界に立ち尽くす黒い人影。「修羅」の詩人の、孤独かつ至福の姿である。
「COLOUR」8 2003.6掲載
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